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2010年2月 5日 (金)

2-3-6:【コラム:日本の終戦と原子核物理学者・仁科芳雄博士】(1/4)

※「中国現代史概説」の目次全体及び参考資料については、下記の2010年1月4日付けの発言を御覧下さい。

「中国現代史概説~中国の新しい動きを理解するために~」目次
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/post-a953.html

【中国現代史概説】

第2章:辛亥革命から抗日戦争、中国共産党による革命へ

-第3部:日本による大陸進出と中国による抗日戦争

--第6節:日本の敗戦

【コラム:日本の終戦と原子核物理学者・仁科芳雄博士】(1/4)

A:原子爆弾開発の歴史(前半)

 20世紀の歴史の流れは、科学技術の進展と密接不可分である。戦後の中国の歴史の基軸のひとつとなる中ソ対立も直接のきっかけは、核兵器技術のソ連から中国への移転をソ連が拒否したことにある。そういったことを考える際の参考として、敗戦の時点において日本において核兵器研究に携わっていた仁科芳雄博士について紹介し、博士らの科学知識が広島・長崎に落とされた新型爆弾が原子爆弾であることを正確に理解させ、当時の日本政府がポツダム宣言を受諾する決断をする大きなきっかけになったことをここで紹介しておきたい。

 以下に述べる話の中には、核兵器に関するやや技術的に専門的な事項も含まれているが、これらは1960年代の中ソ対立のきっかけとなったソ連から中国への核兵器技術移転問題を理解する上でも参考になると思われる。また、21世紀の今日、極めて重要な政治課題となっている核不拡散問題に関する日々のニュースについて考える際にも参考になるであろう。

 お断りしておくが、以下に述べる核兵器に関する知識は、原子力関係に携わっている人ならば誰でも知っている話(というか、むしろ原子力の平和利用に携わる人は知っておくべき話)であり、何ら取り扱いに注意すべき機微な情報に該当するものは含まれていないことを申し上げておく。

1.原子爆弾に関する基礎知識

 日本の終戦(1945年8月)の時点では、核兵器といってもまだ原子爆弾しかなく、水素爆弾はできていなかったので、ここでは原子爆弾についてだけ述べることにする。

 20世紀に入って、物質の構造についての仮説がいろいろ立てられ、数々の実験によって、物質の構造が徐々に明らかにされてきた。物質を小さく分けていくと、原子という最小単位にたどり着き、その原子の中心に原子核と呼ばれるものがあることがわかってきた。原子核は、プラスの電荷を持った陽子と、陽子とほぼ同じ質量を持つが電荷を持たない中性子とから構成されている。

 1938年12月、ドイツのハーン、シュトラスマンらは、自然界に存在する最も重い原子核であるウランの原子核に中性子を外からぶつけてやると、ウランの原子核がいくつかの破片に割れる現象が起きる、という仮説を発表し、その後、実験によりそれを確認した(核分裂の発見)。その後の実験により、ウランの核分裂に際しては数個の中性子が放出されること、核分裂によっていくつかに割れた破片と放出された中性子の重さを合計しても元のウランの重さより小さいこと、がわかった。

 核分裂現象の発見よりだいぶ前の1905年、アインシュタインは、質量とエネルギーは本質的には同じものであり、エネルギーをE、物質の質量をmとし、真空中の高速をcとすれば、E=mc2(エネルギー=質量×光速の2乗)という式で表せる量に従って質量はエネルギーに変換される、との理論を打ち出していた。アインシュタインの理論を踏まえれば、核分裂反応で起こるわずかな質量の減少は、減少した質量の分だけ核分裂に際してエネルギーが放出されることを意味していると考えられた。上記の式を見ればわかるように、光速cは秒速30万kmという非常に大きな値であり、減少した質量がごくわずかなものであっても、それが変換されて放出されるエネルギーは膨大なものとなることが予想された。

 核分裂は、ウランの原子核に外から中性子を当てることによって起こり、その核分裂によって数個の中性子が飛び出すことから、一定の量のウラン原子核が存在し、そこに1個の中性子が当たって核分裂が起きると、その核分裂によって飛び出した中性子が別のウラン原子核の核分裂を起こし、それが次から次へと起こる現象(いわゆる「連鎖反応」)が起こることが想像された。この連鎖反応が起これば、膨大な量のエネルギーが一瞬のうちに放出され、大爆発が起こることになる。まさに第二次世界大戦が勃発しようとしていたこの時期、この現象を兵器として利用できるのではないか、と考える人々が出始めた。

 一方、核分裂の連鎖反応は、一度に発生させれば一瞬のうちに大量のエネルギーを放出することになるが、核分裂に伴って発生する中性子をうまくコントロールすることができれば、連鎖反応をコントロールすることができるのではないかと考えられた。核分裂により発生した中性子を吸収する材料(制御棒)を使って核分裂の連鎖反応をうまくコントロールできるようにした装置が原子炉である。

 後に述べるように、アメリカは、1942年8月から密かに原子爆弾製造計画(秘密暗号名「マンハッタン計画」)をスタートさせていたが、その計画の中で、エンリコ・フェルミ(イタリアからアメリカに亡命した研究者)により世界最初の原子炉シカゴ・パイルが作られ、1942年12月、初めて連鎖反応をコントロールしながら持続的に行う実験に成功した(連鎖反応が持続的に起こる状況に達することを「臨界に達する」という)。このシカゴ・パイルは、ウランと黒鉛をサンドイッチのように積み重ねたものである。このため「積み重ねたもの」という意味で「パイル」という言葉が使われている。中国語では現在でも原子炉のことを「核反応堆」と言うが「堆」の字を使っているのは、この「パイル」に由来している。

 自然界にあるウランには、その原子核が陽子92個と中性子146個(合計238個)からなるウラン238と陽子92個と中性子143個(合計235個)からなるウラン235があるが、核分裂するのはウラン235の方だけである。自然界にあるウラン(天然ウラン)は、ほとんどがウラン238であり、ウラン235は0.7%しか含まれていない。一方、核分裂が起きたときに発生する中性子は非常に高速であり、この高速の中性子はウラン235の原子核を核分裂させる能力が高くない。従って、天然ウランを大量に用意して、そこに中性子を1個当てても、ウラン235の濃度が低すぎて連鎖反応は起きない。一方、中性子を通常の熱運動で発生しているエネルギーに相当する程度のスピードに落とすと、それがウラン235に当たった時に核分裂を起こす確率が非常に大きくなる(熱運動のエネルギーと同程度のエネルギーに相当する速度までスピードが落ちた中性子を「熱中性子」という)。従って、核分裂で発生した中性子のスピードを落とす材料と天然ウランを適当な量で混ぜてやれば、核分裂が持続する状態、即ち連鎖反応を持続させることができる。

(注1)物理的に正確にいうとウラン238もごく小さな確率ながら核分裂を起こすので「ウラン238は核分裂しない」と表現するのは正確ではない。ただそういった物理的な正確さを追求すると表現が複雑になるだけなので、この文章では「ウラン238は核分裂をしない」という割り切った表現をさせていただくことにする。

(注2)核分裂で発生した高速の中性子を減速させずに利用する原子炉のことを「高速炉」と呼ぶ。また、核分裂で発生した高速の中性子を減速させて(熱中性子にして)利用する原子炉のことを「熱中性子炉」(英語で「サーマル・リアクター」)と呼ぶ。プルトニウムを利用する原子炉では核分裂で発生した高速中性子を減速させずにそのまま利用するもの(「高速炉」)が多いが(日本の場合は「常陽」や「もんじゅ」がこのタイプ)、「熱中性子」を使った原子炉(現在の日本の電力会社が運転している原子力発電所で使われているタイプの軽水炉など)でプルトニウムを利用することもできる。「熱中性子」を使った原子炉でのプルトニウムの利用を「プルトニウムのサーマル・リアクターでの利用」という意味で日本では「プル・サーマル」と呼んでいる(「プル・サーマル」は「和製英語」であり、外国では通用しないので要注意)。

 最も効率的に中性子のスピードを落とす材料(「減速材」)のひとつに黒鉛がある。黒鉛を使って天然ウランで臨界状態を維持するようにした装置がシカゴ・パイルである。シカゴ・パイルは、極秘裏に進められた「マンハッタン計画」の一貫として作られたため、その写真は残っておらず、イラストが残っているだけである。

(参考URL)(財)エネルギー総合工学研究所のホームページ
「核分裂の発見」
http://www.iae.or.jp/energyinfo/energydata/data3002.html

 減速材として黒鉛を使い、核燃料として天然ウランを使った原子炉は、最も原始的な形の原子炉であるため、多くの国で最初に作られるのが黒鉛減速原子炉(普通「黒鉛炉」と呼ばれる)である。

 一方、天然の状態では0.7%しかないウラン235の濃度を一定の濃度以上に高くすれば減速材なしで(あるいは減速性能があまり高くない減速材(例えば普通の水(=軽水))を用いて)核分裂の連鎖反応を起こすようにすることができる。普通の水など減速性能が黒鉛などほど高くない減速材を使って原子炉を作ろうとすると、核燃料として使うウランの中の核分裂する成分であるウラン235の濃度を高くする必要がある。天然ウランよりウラン235の濃度を高める作業のことを「ウラン濃縮」という。

 核分裂を起こすウラン235と起こさないウラン238は、化学的には全く同じ性質を示すため、ウランを濃縮する、即ちウラン235だけを集めようとするためには、これら二種類の原子のわずかな重さの差を利用するしかなく、高度な技術または巨大な施設を必要とする。ウラン濃縮を行うためには、ウランを含む気体状の化合物を作り、その気体に圧力を掛けて小さな孔の空いたフィルターを通すことによってウラン235を含む気体分子とウラン238を含む気体分子のスピードの違いを利用して少しづつウラン235を含む気体の濃度を濃くしていく「ガス拡散法」、ウランを含む気体を加熱して熱による拡散の仕方の違いを利用してウラン235を含む気体を濃縮する「熱拡散法」、気体分子の重さの差を直接利用して遠心分離器によってウラン235の濃度を高くする「遠心分離法」などの方法がある。

 「ガス拡散法」では、1回フィルターを通すことによるウラン235を含む気体の濃度の上昇はごくわずかであり、何段階もフィルターを通す必要があるが、そのためには膨大な力で気体に圧力を掛けるポンプを何台も駆動する必要があり、多数のポンプ駆動のために相当量のエネルギーを消費する。装置も巨大なものになるが、原理は単純なので、アメリカが最初にウランで原子爆弾を作った際には、この「ガス拡散法」が使われた。現在の原子力発電に用いられているウラン濃縮では、「ガス拡散法」を使ったのでは大量にエネルギーを消費するため経済的にペイしないので、「遠心分離法」が広く用いられている。「遠心分離法」は、高速回転する遠心分離器を利用する必要があるが、安定して高速回転する回転体を製造するためには精密加工技術等が必要である。1945年にアメリカが最初に原爆を製造した時点では、遠心分離器によるウラン濃縮技術はまだ確立されていなかった。

 一方、天然ウランに多く(約99.3%)含まれているウラン238に中性子を照射すると、ウラン238は中性子を吸収し、その後、その原子核が電子を放出して原子核中の1個の中性子が陽子に変わること(つまりウランではない別の元素に変わること。これを「β崩壊」という)により新しい元素が生成されることが理論的に予想されていた。1941年2月、アメリカのシーボーグらのグループは、加速器によってウラン238に重水素を衝突される実験によって、この新しい元素を合成し、分離することに成功した。この新しい元素は、陽子の数が94個、中性子の数が145個(合計239個)であり、プルトニウムと命名された(陽子の数と中性子の数が合計239個あるプルトニウムは、プルトニウム239と呼ばれる。プルトニウムには、陽子と中性子の数の合計が240個のプルトニウム240、241個のプルトニウム241等があることも確認された。陽子の数が同じ元素はその回りにある電子の数も同じであるため、化学的には同じ性質を示す。このため陽子の数が同じで中性子の数だけが違う元素群は「同位体」と呼ばれ、ひとつのグループとして取り扱われる)。

(注3)陽子の数(原子番号)が93個の元素(ネプツニウム)はシーボーグらがプルトニウムを分離する以前に発見されていた。ウランは、1789年に発見されているが、その8年前の1781年に新しい惑星が発見されていた。新しい惑星が発見された時、この惑星はギリシャ・ローマ神話の神の名にちなんでウラヌス(天王星)と命名された。ウランが発見された頃、まだ天王星の発見が科学界では記憶に新しかったため、当時「人類が新たに発見した元素」という意味で、新しく発見された元素は天王星(ウラヌス)にちなんで「ウラン」と命名された。原子番号が93、94の元素が合成された時、このウラン命名時の故事に学んで、原子番号93の元素は海王星(ネプチューン)にちなんで「ネプツニウム」と、原子番号94の元素は冥王星(プルトー)にちなんで「プルトニウム」と命名された。

 プルトニウム239が合成・分離されると、ウラン235と同じように核分裂することがわかった。天然ウランに中性子を照射すると天然ウランに含まれるウラン238が中性子を吸収してプルトニウム239が生成するのであるが、ウランとプルトニウムは化学的には別の性質を示すことから、天然ウランに中性子を照射した後、化学的な処理によりプルトニウム239を分離することができる(ウランとプルトニウムの混合物からプルトニウムを抽出する化学工程を「再処理」と呼ぶ)。即ち、プルトニウムは、ウランの場合に必要な「濃縮」というやっかいな作業を経ることなく化学処理だけで抽出できる核分裂性物質なのである。こういった事情から、プルトニウムの発見当時、この新しい元素の発見に関する情報は厳密に秘匿された(後に述べる日本における原子爆弾の研究の状況などから判断して、プルトニウム発見の情報は、第二次世界大戦終了後まで日本では知られていなかったと思われる)。上記に述べたシカゴ・パイルは、アメリカが原子爆弾製造計画「マンハッタン計画」においてプルトニウムを生成させるため、天然ウランに中性子を照射する目的で作られた原子炉だったのである。

以上

次回「2-3-6:【コラム:日本の終戦と原子核物理学者・仁科芳雄博士】(2/4)」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/02/post-7477.html
へ続く。

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