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2010年2月13日 (土)

3-1-5:「中華人民政治協商会議共同綱領」と「過渡期の総路線」

※「中国現代史概説」の目次全体及び参考資料については、下記の2010年1月4日付けの発言を御覧下さい。

「中国現代史概説~中国の新しい動きを理解するために~」目次
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/post-a953.html

【中国現代史概説】

第3章:改革開放に至るまでの中華人民共和国の歴史

-第1部:中華人民共和国の建国期

--第5節:「中華人民政治協商会議共同綱領」と「過渡期の総路線」

 今まで何回も述べてきたように、国共内戦の中で中国の人々の多くが中国共産党勢力を支持するようになった背景には、中国の広範な人々の間に下記の3つの願望があり、国民党よりも共産党の方がその「願望」を実現してくれそうだ、という強い期待があった。

(1) 内戦を終わらせて平和を確立すること。

(2) 外国勢力を排除して中国人民の民族独立を達成すること。

(3) 経済を発展させ人々の生活の向上を図ること。

 これら3つは、中国だけではなく、第二次世界大戦後、アジア・アフリカ各国で行われた独立運動と共通する理念であった。(1)に関しては、国民党と共産党のどちらが勝っても早く内戦状態が終わればよい、と人々は思っていたので、国民党と共産党とを選ぶ基準とはならない。

 (2)に関しては、蒋介石の後ろにアメリカの影が見え隠れしていたことについて、中国の多くの人々は懸念を感じていたものと思われる。一方、これまで述べてきたように、国共内戦時までは中国はソ連からの直接的な支援を得ていたわけではなかった。むしろ前回述べたように、1950年2月に調印した「中ソ友好同盟相互援助条約」では、毛沢東が指導する中華人民共和国政府は、ソ連が従来から求めていた東北部における権益をあきらめさせることに成功している。従って、(2)については、多くの人々は共産党の方にシンパシィを感じていたと思われる。

 (3)については、中国の人々の大多数を占める貧しい農民は、中国共産党が進める土地改革に期待を寄せていたと思われる。また、アメリカの経済的支援を受けていたとは言え、抗日戦争後の混乱した社会では、国民党支配地域における自由主義経済では極端なインフレを抑制することが難しかったのに対し、統制経済により物資の配給等を行っていた共産党支配地域の方が経済的な「安心感」があったことから、商工業者の中にも、共産党支配に対して一定の警戒感は持ちつつも、「国民党よりは共産党の方が経済を安定化させてくれそうだ」という感覚を持っていた人も多かったものと思われる。

 これらの状況を背景として、結果的に中国の人々の多数は中国共産党勢力の方をより強く支持した結果が国共内戦の結果として現れた、ということができる。

 しかし、中国共産党が進める土地改革に期待を寄せる貧しい農民が中国における多数派であったことは間違いがないにしても、中国には貧農以外の人々もたくさんいた。従って、多くの人が中国共産党に対して上記の3つの願望を実現に対する「期待」を示していたのは事実だったとしても、全ての中国の人々が中国の「社会主義化」を望んでいたわけではなかった。この当時、中国にはどういう種類の人々がいたかについて頭を整理するため、ここに「第1章第2部第3節:第一次国共合作」で述べた中国社会にいる様々な階層の人々のリストを再び掲げることにする。

<都市部>
(1) 資本家
 ・列強各国の外国資本と強く結びついた資本家(「買弁資本家」とも言う)
 ・外国資本との結びつきが弱い民族資本家
(2) 中小企業経営者(小規模工場の経営者:工場・機械設備などは所有しているが、大型のプロジェクトに投資する程の資本力は持たない)
(3) 個人商店経営者(都市部でもっぱら家族を従業員として営業している商店主など)
(4) 大学教授・文化人などの知識人
(5) 政府職員・学校の教師などの公務員
(6) 民間企業で働く賃金労働者
(7) 鉄道など公的機関で働く賃金労働者
(8) 軍隊の中の下士官(地主・自作農の次男、三男などが多く、外国留学経験者も多い)
(9) 兵士(都市の失業者だった者や農村で職にあぶれた貧農の次男、三男などが多い)

<農村部>
(10) 自らは耕作せず小作料収入だけで生活している地主(「寄生地主」とも言う)
(11) 所有する一部の土地を自ら耕作し、一部は小作地として小作人に貸し付けている富農
(12) 自らの土地を所有し、その土地を耕作して生計を立てているが、小作地は所有していない自作農
(13) 自らの土地を持たず、小作料を支払うことによって地主から土地を借りて行う耕作によって生計を立てている小作農(「貧農」とも言う)。
(14) 土地は所有せず、家畜のみを所有し、草原を渡り歩く遊牧民

 中国共産党は、抗日戦争期、国共内戦期を通じて、外国勢力の追放により(1)資本家のうち「外国資本と強く結びついた資本家」を、土地改革により(10)「寄生地主」を、それぞれ打倒しようと考えていたが、それ以外の人々からは広範な支持を得ようと考えていた。国民党勢力を追放した後も、その考え方を変えることはしなかった。戦争と内戦を通じて混乱した当時の中国社会の中では、強圧的に中国共産党の主義主張を押しつけて無理に社会主義化を進めることは国内の分裂を招くと考えたからである。当時の中国では、戦争と内戦で荒廃した国内経済の建設を進めることが最大の課題であり、そのためには中国共産党に対する求心力を維持して安定した政権を作ることがまず最初にやるべき最大の課題だった。

 こうした考え方に基づき、国共内戦末期、中国共産党勢力による軍事的優勢が確定した情勢の中で、国内各勢力の融和を図り、内戦後の国内建設をスムーズに進めるため、1949年9月21日から中国共産党と非共産党勢力も含めた幅広い勢力を集めた中華人民政治協商会議が開催された。この会議では、中華人民共和国の成立が決定されるとともに、新しい国家の憲法とも言うべき「中華人民政治協商会議共同綱領」が策定された。この点については「第3章第1部第2節:中華人民共和国の成立」のところで述べた通りである。この会議の決定に基づいて、1949年10月1日、毛沢東が天安門の上に立って中華人民共和国の成立を宣言したのであるが、下記に述べる「共同綱領」の内容を見ればわかるとおり、この時点で成立した中華人民共和国は「社会主義国」ではなかった。

○「中華人民政治協商会議共同綱領」(1949年9月29日決定)の主なポイント

・中華人民共和国は新民主主義即ち人民民主主義の国家であり、労働者階級が指導し、労農連盟を基礎とし、各民主階級と国内各民族が団結した人民民主主義独裁を実行するものである(第一条)

・中華人民共和国人民は、法に基づき選挙権及び非選挙権を有する(第四条)

・中華人民共和国人民は、思想、言論、出版、集会、結社、通信、人格、居住、引っ越し、宗教の信仰及びデモを行う自由権を有する(第五条)。

・中華人民共和国の国家政権は人民に帰属する。各クラスの人民代表は、人民による普通選挙により選出される。国家最高政権機関は全国人民代表大会である。全国人民代表大会の閉会期間においては、中央人民政府が国家政権の最高機関となる(第十二条)。

・中国人民政治協商会議は、人民民主統一戦線の形式を取り、その構成員は、労働者階級、農民階級、革命的軍人、知識階級、小ブルジョア階級、民族ブルジョア階級、少数民族、国外華僑及びその他の愛国的民主組織の代表から成る(第十三条)。

・土地改革を実行した地区においては、農民の土地所有権は保護されなければならない。土地改革が未実施の地区においては、土地の不法な支配を排除し、土地の分配を進め、耕作者が土地を所有するという原則を実現しなければならない(第二十七条)。

・国営経済は社会主義の性質を持つ経済である(第二十八条)。

・合作社(農業協同組合)経済は半社会主義の性質を持つ経済であり、人民経済の重要な構成部分である(第二十九条)

・国の計画と民生のための私営経済事業については、人民政府はその経営を積極性を持って援助し発展させなければならない(第三十条)

・国家資本と私的資本とが協力した経済は国家資本主義の性質を持つ経済であり、必要かつ可能な条件の下で、私的資本を国家資本主義の方向に発展させることを奨励しなければならない(第三十一条)

・私的経営企業においては、労働者・資本家の双方を利するとの原則の下、労働者を代表する労働組合と資本家が共同で契約を締結しなければならない(第三十二条)

 上記の「共同綱領」では、中華人民共和国成立当初においては「労働者階級が指導し、労農連盟を基礎とし」という前提に立ってはいるものの、中国共産党だけが特別な地位を占めていることは明示されていなかった。人民の権利として、居住地選択の自由やデモの自由も保障され、人民代表は普通選挙によって選ばれることが規定されていた。人民代表が選ばれるまでの間権限を行使する政治協商会議には、小ブルジョア階級や民族ブルジョア階級も参加していた。経済的には、私的資本の経済への参加や私営企業の経営参加が「労働組合と資本家との契約に基づく」という前提の上で認められていた。また、「寄生地主」から土地を没収する「土地改革」は行うことが規定されていたが、地主から没収された土地の所有権は耕作者に与えられる、つまり農民の農地の所有権を認めることが明記されていた。これらは「私営企業は認めない」「農地は全て公有である」とする社会主義の原則とは全く異なるものであった。

 これら多くの階層(小ブルジョア、民族ブルジョアも含む)からなる政権運営方法は、当時「新民主主義」と呼ばれていた。

 中華人民共和国成立の時点で、毛沢東がこの「共同綱領」で定められている各項目を忠実に実現しようと考えていたのか、それともこの「共同綱領」は中国共産党が政権を確実に獲得するまでの間の国内各党派の支持を集めるための一時的な「方便」に過ぎないと考えていたのかは不明である。しかし、下記に述べるように、中華人民共和国は、数年たたないうちにこの「共同綱領」で定められた事項から大きく掛け離れた社会主義化への道(私営企業は認めない。農地は公有とする)へと歩み出し、政治的には「中国共産党が全てを指導する」という一党独裁体制の道へ進むことになるのである。

 1950年6月、土地改革法が公布され、国家の政策として土地政策が推進されることになった。しかし、国共内戦が終結した直後の中国国内は、まだ社会が安定していなかったことから、中国共産党中央でも、改革は穏健に進めるべきであり、急激な社会主義化は好ましくない、と考えられていた。毛沢東自身、1950年6月の中国共産党第7期中央委員会第3回全体会議において「ある人は資本主義を早く消滅させて社会主義を実行できると考えているが、それは誤りである」と語り、直後に開かれた中国人民政治協商会議全国委員会第二回会議では「将来、私営工業の国有化と農業の社会化が実行されるとき、最もそうした時期はかなり遠い将来のことではあるが」と語っていた(参考資料8:「中国の歴史(11)『巨龍の胎動』」)。

 しかし、毛沢東は、それほど時間が経たないうちにこの方針を修正する。1952年9月24日の中国共産党中央書記処会議で毛沢東は「社会主義への移行、即ち『過渡期』の問題」を提唱し、社会主義化を進めることを提唱した。国内建設が始まったばかりのこの時期に毛沢東が社会主義化を進める方向に舵を切ったことは、周恩来のように中国共産党中央の有力者の中からですら驚きを持って受け止められた。周恩来は毛沢東が「社会主義への『過渡期』の問題」を提起した直後の1952年10月段階でも「毛主席の方針は穏歩前進である。新民主主義の発展は10年、20年を要するかもしれない」と指摘していた(参考資料8)及び下記「参考URL」)。

(参考URL)「人民日報ホームページ」-「中国共産党新聞」-「党史人物記念館」-「周恩来記念館」-「著作選登」-「周恩来統一戦線文選」
「民族ブルジョア階級と団結し、国民経済を発展させる」(1952年10月25日)
http://cpc.people.com.cn/GB/69112/75843/75874/75992/5181278.html

 周恩来ですら毛沢東の「社会主義化」への方針転換にとまどっていたのであるから、「新民主主義」の路線に従って国内建設に協力しようとしていた中国共産党以外の勢力の人々にとっては、その驚きはなおさらであった。

(注)毛沢東と周恩来は生涯の盟友であるが、ひたすら自らが信じる共産主義の理想を実現しようとする理想家・毛沢東に対し、常に現実に立脚し現実の政策課題を実現可能な方法で実施することを考えていたのが実務政治家・周恩来である。毛沢東は常に周恩来を信頼し、周恩来も毛沢東の方針に徹底的に反対することはなかったため、この二人は死去するまでお互いに信頼する盟友として中国共産党の指導部に居続けられたが、この二人の路線の違いがこの後の中華人民共和国の政策の歴史の2本の軸を構成することになる。

 この時の毛沢東の方針の変化の理由について「参考文献8:中国の歴史(11)『巨龍の胎動』」の著者・天児慧氏の概ね次のような指摘をしている。

(1) 貧農階層の主体的な改革参加により、土地改革が当初の想定より速いスピードで進展したこと。

(2) 朝鮮戦争の勃発を受けて、アメリカや蒋介石の支援によって中国国内に残っているブルジョア階級が中国共産党を排除しようとする「反攻」に出る恐れが生じ、「新民主主義」という形でブルジョア階級を体制内の一部として位置付けていることはむしろ国家を不安定にする恐れがあると毛沢東が考えたこと。

(3) 毛沢東は「国民経済の建設者」というより「軍事的戦略家」であり、常に「敵」を想定し、「敵と戦う」ことを通じて自らの地位を高めて前進するタイプの政治家だった。このため、朝鮮戦争の勃発により「国際戦略上はアメリカを、国内政治上はブルジョア階級を『敵』とみなすことにより、自らの権力を強化しよう」という「軍事戦略家・毛沢東」の「作戦感覚」が発揮される状況が生じたこと。

(注)毛沢東の「『敵と戦う』ことを通じて自らの地位を高めて前進する」という戦略は、後に(文化大革命期に)毛沢東に「無理にでも『敵』を作り上げる」方法を選択させることになる。

以上

次回「3-1-6:土地改革から本格的な社会主義化へ」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/02/post-7e87.html
へ続く。

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