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2010年2月 6日 (土)

2-3-6:【コラム:日本の終戦と原子核物理学者・仁科芳雄博士】(2/4)

※「中国現代史概説」の目次全体及び参考資料については、下記の2010年1月4日付けの発言を御覧下さい。

「中国現代史概説~中国の新しい動きを理解するために~」目次
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/post-a953.html

【中国現代史概説】

第2章:辛亥革命から抗日戦争、中国共産党による革命へ

-第3部:日本による大陸進出と中国による抗日戦争

--第6節:日本の敗戦

【コラム:日本の終戦と原子核物理学者・仁科芳雄博士】(2/4)

A:原子爆弾開発の歴史(後半)

 ウラン235やプルトニウム239は、「一定の量」を集めると連鎖反応を起こす(臨界に達する)が、「一定の量」以下だと臨界に達しない。量が小さいと核分裂で発生した中性子が別の原子核の核分裂に使われずに外部に漏れ出してしまうからである。物質を球形に固めた場合、物質の量(質量)は、その直径の3乗に比例して大きくなるが、表面積は直系の2乗に比例して大きくなる。つまり物質の量が多くなれば多くなるほど、存在する物質の量に対する表面積の大きさの比率は小さくなる。つまり物質の量が多くなればなるほど、核分裂で発生した中性子が外部へ漏れ出さずに別の原子核の核分裂に寄与する可能性が高くなるため、ウラン235やプルトニウム239のような核分裂性の物質が一定の量を超えて一個所に集まると核分裂の連鎖反応が起きるようになるのである。核分裂の連鎖反応が起きるために必要な最小の量を「臨界量」という。核爆発を起こすためには、核分裂性物質を「臨界量」以上の量、一個所に集める必要がある。

 プルトニウム239の臨界量は、ウラン235の臨界量よりも少ない。核兵器に関する情報は、その多くが現在でも非公開なので、例えば、臨界量ギリギリの量で実際に核兵器ができるのかどうかは私は知らない。最低、どのくらいの量があれば原子爆弾ができるのかは公開されていないが、IAEA(国際原子力機関)が規定しているひとつの値が参考になると考えられている。現在、IAEA(国際原子力機関)では、プルトニウムやウランの取り扱いに関して、核兵器に転用されていないかどうかを国際的に監視する制度(保障措置制度)を運用しているが、IAEAの規定では、保障措置の観点から取り扱いに注意を要する量(有意量)として、プルトニウムでは8kg、高濃縮ウランでは25kg、低濃縮ウランでは75kgという数字を使っている。

 この量がプルトニウム239やウラン235で原子爆弾を作れる量とイコールなのかどうかは定かではないが、ひとつの目安として考えることはできると思われている。

 「兵器」として考える場合、その軽さ(運搬のしやすさ)は重要なファクターである。現在、多くの核兵器に関する問題において、濃縮ウランよりプルトニウムの方に注意が払われているのは、プルトニウムの方が濃縮ウランより小さな量で核爆発を起こすことができるため、運搬可能な兵器として利用しやすいからである。また、プルトニウムは原子炉で中性子を照射された天然ウランから化学的方法で分離できるので、ウラン濃縮というやっかいな過程を経ない分だけ「作りやすい」と考えられていることも、プルトニウムがウランより注意を要する物質と考えられている理由である。

 アメリカは、1942年12月にシカゴ・パイルにおいて天然ウランによる臨界実験を成功させて以降、原子炉によるウランに関する原子核物理上の各種データ収集と様々な研究室レベルでの実験を通じて、ウラン235を一定濃度以上にして一定の量以上を集めれば必ず原子爆弾が作れる、という自信を持つに至った。一方、プルトニウムについては、得られるサンプルがごくわずかであり、プルトニウムに関する原子核物理上のデータは十分に得られていなかった。このためアメリカは最後までプルトニウムが本当に原子爆弾として利用できるかどうかの確信は持てないでいた。

 プルトニウムが小さな量で臨界に達する、という点も「原子爆弾を確実に爆発させる」という点では不利な点であった。というのは、原子爆弾は、当初、臨界量以下の小片に分割しておいた核分裂性物質を火薬などで一か所に集め(爆縮させ)、一気に核分裂の連鎖反応を起こさせる必要がある。しかし、核分裂性物質が一か所に集まって核分裂が始まると、その時点で膨大なエネルギーが出始めるので、核分裂によって発生したエネルギーにより核分裂性物質自体が飛び散ってしまう可能性がある。そうなると、多くの核分裂性物質は核分裂せずに飛散してしまい、放出されるエネルギーも非常に小さなものになってしまう。それでは「核兵器」としての効果が出ない。ウラン235の場合は、臨界量が大きいので、臨界量に達したウラン235を「飛び散らす」のには大きなエネルギーが必要であるのに対し、プルトニウム239の場合は、臨界量が小さいので、ちょっとしたエネルギー放出でプルトニウム自身が飛び散ってしまう可能性がある。従って、プルトニウムの場合は、最初に起きた核分裂でプルトニウムが飛び散る力に打ち勝てる程度の強さで、臨界量以下に小分けされたプルトニウムを強く「爆縮」させて臨界以上の量に保持する必要があるのである。

 ウランについては、核物理学上のデータが十分にあったことから、臨界量以上の濃縮ウランを2つに分け、円筒形の容器の両端に配置し、一方の断片の背後に火薬を置いておき、火薬に点火すれば2つの断片が一緒になり、それだけで十分な威力の核爆発が起きることは計算上わかっていた(広島に投下されたのはウラン型原子爆弾であるが、広島に落とされた原爆(暗号名「リトルボーイ」)が円筒形をしているのはこのためである)。

 しかし、プルトニウムについては、円筒形タイプの配置で確実に核爆発が起きるのかわからなかったので、臨界量のプルトニウムをいくつかに分け、それを球状に配置して、その外側に火薬を置いて、外側にある火薬を同時に点火してプルトニウムを球の中心に「爆縮」させる方法が考えられた(長崎に投下されたのはプルトニウム型原子爆弾であるが、長崎に落とされた原爆(暗号名「ファットマン」)がその名の通りずんぐりとした球形に近い形をしているのはそのためである。)

 アメリカは、ウラン型原子爆弾については、計算上、確実に核爆発を起こす自信があったが、プルトニウム型爆弾については、プルトニウムの核物理上のデータが不十分であることと、「爆縮」が設計通りに起こるかどうかについて確信が持てなかったため、実際に核爆発実験を行うまではプルトニウム型原子爆弾で確実に核爆発が起きるかどうか自信を持ってはいなかった。そこで、1945年7月16日、ニューメキシコ州の砂漠において、このプルトニウム型原子爆弾についての核爆発実験を行った。この人類最初の核爆発実験に使われた爆弾(暗号名「トリニティ」)は下記の米国エネルギー省のページに掲載されている写真を見てわかる通り、完全な球形をしていた。

(参考URL)アメリカ・エネルギー省歴史遺産局ホームページ内
「マンハッタン計画~対話による歴史~」
トップページ
http://www.cfo.doe.gov/me70/manhattan/index.htm

「広島への原爆投下(1945年8月6日)」
http://www.cfo.doe.gov/me70/manhattan/hiroshima.htm

「長崎への原爆投下(1945年8月9日)」
http://www.cfo.doe.gov/me70/manhattan/nagasaki.htm

「トリニティ・テスト」(1945年7月16日)
http://www.cfo.doe.gov/me70/manhattan/trinity.htm

 ウラン型原子爆弾は、核実験を行うことなく広島に投下された。その意味では、アメリカは数十万人の広島市民の頭上で核実験を行ったのだ、と言うことができる。アメリカは、現在でも「原爆投下は戦争を早期に終わらせるためだった」と主張しているが、本当に戦争の早期終結だけが目的だったのならば、広島と長崎の2回、原爆を投下する必要が本当にあったのかどうかは疑問である。「トリニティ」の実験成功により、プルトニウム型原子爆弾が「核兵器」として使えることは既に証明されていたのであるから、プルトニウム型爆弾を1回投下すれば「戦争の早期終結」というアメリカの意図は果たせたはずである。この部分は歴史の「陰の部分」として永久に表に出ることはないであろうが、アメリカにウラン型原子爆弾とプルトニウム型原子爆弾の2つのタイプの原子爆弾の両方を「試してみたかった」という意図があったであろうことを想像することは難しくない。このことは、戦争とは何か、科学技術を戦争に利用するということは何を意味するのか、を考える上で重要な点であり、後世に伝えていかなければならない重要なポイントであると私は考えている。

以上

次回「2-3-6:【コラム:日本の終戦と原子核物理学者・仁科芳雄博士】(3/4)」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/02/post-376d.html
へ続く。

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