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2010年2月11日 (木)

3-1-3:【コラム:イギリスとフランスの中国に対する立場】

※「中国現代史概説」の目次全体及び参考資料については、下記の2010年1月4日付けの発言を御覧下さい。

「中国現代史概説~中国の新しい動きを理解するために~」目次
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/post-a953.html

【中国現代史概説】

第3章:改革開放に至るまでの中華人民共和国の歴史

-第1部:中華人民共和国の建国期

--第3節:国際情勢に翻弄(ほんろう)される建国期の中華人民共和国

【コラム:イギリスとフランスの中国に対する立場】

 1949年10月1日に毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言した翌日、ソ連は中華人民共和国政府を承認したが、10月4日、逆にアメリカは中華人民共和国を承認しないことを宣言した。これは冷戦構造が確定していく中、アメリカは蒋介石を支援する、という立場を明確にしたことを意味している。

 中華人民共和国の成立が宣言されたことを受けて、西側諸国では、1950年1月6日、イギリスが早々と中華人民共和国政府を承認している(蒋介石の「中華民国」とは断交した)。これは、中華人民共和国政府がイギリスの植民地である香港の返還を要求せず、イギリスももはや香港以外の中国本土に権益を持つことを求めなかったからである。イギリスがアヘン戦争以来、最も早くから列強の先頭に立って中国を半植民地化していったのにも係わらず、現在の中国において必ずしも反イギリス感情がそれほど強くないことの原因として、この中華人民共和国成立直後のイギリスの態度が影響しているものと思われる。

 また、フランスは、日本の敗戦後、インドシナ半島の植民地支配を復活させようとしており、1945年9月にホーチミンが建国を宣言したヴェトナム民主共和国と戦っていた(第一次インドシナ戦争)。中国は、1950年1月、このヴェトナム民主共和国を承認していたことから、フランスは当初は中華人民共和国政府を認めていなかった。しかし、1954年、フランスは、第一次インドシナ戦争に敗れ、アジアから完全に手を引いた(フランスの後をアメリカが継いで、アメリカがベトナム戦争の泥沼にはまり込んでいくことになる)。その後、1964年2月10日、フランスは中華人民共和国と国交を樹立した(台湾にある蒋介石の「中華民国」とは断交した)。

 このように、ヨーロッパにおける冷戦構造はアメリカ・イギリス・フランス対ソ連という構図だったが、アジアにおいては明示的にアメリカ対ソ連の1対1の対立関係になったのである(日本はアメリカの方針に同調して、1972年(昭和47年)まで中華人民共和国政府を承認せず、台湾にある蒋介石政権を「中華民国」として認め続けた)。

以上

次回「3-1-4:人民解放軍のチベットへの進出(チベット現代史)」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/02/post-0dbe.html
へ続く。

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