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2010年2月 8日 (月)

2-3-6:【コラム:日本の終戦と原子核物理学者・仁科芳雄博士】(4/4)

※「中国現代史概説」の目次全体及び参考資料については、下記の2010年1月4日付けの発言を御覧下さい。

「中国現代史概説~中国の新しい動きを理解するために~」目次
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/post-a953.html

【中国現代史概説】

第2章:辛亥革命から抗日戦争、中国共産党による革命へ

-第3部:日本による大陸進出と中国による抗日戦争

--第6節:日本の敗戦

【コラム:日本の終戦と原子核物理学者・仁科芳雄博士】(4/4)

D:仁科博士による原爆投下後の調査と日本の終戦の決定

 1945年8月6日8:15、アメリカ軍は広島上空にウラン型原子爆弾を投下した。アメリカのトルーマン大統領は約17時間後の日本時間8月7日午前1:30、広島に投下した新型爆弾は原子爆弾であるとの声明を発表した。

(参考URL1)NHK平和アーカイブス
「原爆・平和番組小史~原爆投下・核時代の到来~」
http://www.nhk.or.jp/peace/chrono/history/his_p04.html

 上記のNHKのホームページは、原爆投下直後、NHK(日本放送協会)の記者がラジオでどのように広島の状況を伝えようとしたのかが記されている。NHK記者は「広島に『特殊爆弾』が投下され、広島市は全滅した」との第一報を大本営に伝えたが、大本営はこの情報を握りつぶした、とのことである。この広島の状況とトルーマン大統領の声明を受けて、陸軍は仁科博士に広島での現地調査を依頼する。仁科博士は、原爆投下翌日の8月7日、「今度のトルーマン声明が事実とすれば吾々『ニ』号研究の関係者は文字通り腹を切る時が来たと思う」との書き出しで始まる手紙を残して、広島の現地への調査に出発した。この時の調査の様子については、下記の「理研ニュース」に詳しく記されている。

(参考URL2)理化学研究所ホームページ
「理研ニュース」2000年11月号及び12月号
「記念資料室から」の「広島・長崎の新型爆弾調査を探る」(執筆・文責:理研広報室嶋田庸嗣)
http://www.riken.go.jp/r-world/info/release/news/2000/nov/
http://www.riken.go.jp/r-world/info/release/news/2000/dec/

 上記の「理研ニュース」の記事によれば、仁科博士を筆頭とする調査チームは、現地で放射線を測定したほか、銅線等のサンプルを採取して理研本部に空輸して放射性物質の存在について測定を行った。もし本当に核爆発が起こったのだとしたら、発生する中性子線で銅等の金属が放射化(中線子線などの照射を受けた物質が放射能を持つ物質に変化する現象)が起きているはずだからである。また、調査チームは、広島市内の病院に残されていたX線フィルムを集めて確認した。核爆発が起きたのだとすれば、大量のX線が発生しているので、X線フィルムは感光しているはずだからである。また、調査チームは、広島にいた人々の血液の状態も調べた。大量の放射線を浴びた人には、白血球の減少等の症状が現れるからである。これらの様々な測定がただちに行われたということは、仁科博士らが原子爆弾が投下されたらどのような現象が起こるのかを正確に知っていたことを意味している。

 調査の結果は明らかだった。上記の「理研ニュース」の記事によれば、調査結果は、長崎にも原爆が投下された翌日の8月10日に広島の補給兵廠(しょう)で行われた大本営調査団による陸海軍合同の研究会議で報告され、研究会議はこの新型爆弾が「原子爆弾」であるとの判断を下した。

 4日後の8月14日、日本政府はポツダム宣言を受諾し、無条件降伏することを決定した。この日本政府の決定は、翌8月15日の正午から行われた昭和天皇の玉音放送によって、全ての日本国民に伝えられた。昭和天皇自身によって読み上げられた終戦の詔書は以下のとおりである。

(参考URL3)国立公文書館ホームページ
「終戦の詔書」(テキスト)
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/01/017/017tx.html

「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
(中略)
交戦已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ心霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ
(後略)」

 上記の部分を口語文で書き下すと以下のとおりである。

 「私(昭和天皇)は世界の大勢と日本が置かれた現状とに鑑みて、通常とは異なる措置を採ることによって時局を収拾しようと考え、善良なる国民に対して告げる。私は、日本政府に命じてアメリカ・イギリス・中国・ソ連の四か国に対して、その共同宣言(ポツダム宣言)を受諾する旨通告させた。

(中略)

戦いは既に四年になろうとしている。日本の陸海軍の将兵は勇敢に戦い、日本政府の官僚は懸命の努力をし、全国の一般国民のそれぞれが最善を尽くしたのにもかかわらず、戦局は必ずしも好転せず、世界の大勢もまた日本に有利にはならなかった。それに加えて敵は新たに残虐な爆弾を使用して、みだりに罪もない人々を殺傷し、その惨状は実に想像を絶する事態に至っている。それでもなお戦争を継続すべきなのだろうか。もしこれ以上戦争を継続したならば、日本民族の滅亡を招くばかりでなく、結局は人類の文明をも破壊してしまうことになるだろう。もし、そのようになることになるとすれば、私は、どのようにしたら多くの日本国民を守り、天皇家の祖先の霊に対して謝ることができるというのだろうか(そのようなことは決してできない)。これが私が日本政府に共同宣言(ポツダム宣言)を受諾するよう命じた理由である。

(後略)」

 この終戦の詔書は、終戦を決断した最終的な理由として、明示的に原子爆弾が投下されたことを指摘している。しかも、原子爆弾が存在する状態で戦争を続けると「日本民族の滅亡を招くばかりでなく、結局は人類の文明をも破壊することになる」と述べ、核兵器がこの世に現れたことの意味を正確に述べている。このように原子爆弾が実際に投下されてから1週間も経たないうちに、その事実を正確に把握し、その影響を正確に評価できたのは、仁科博士等科学者が当時原子爆弾に関して極めて正確な科学的知識を持っており、当時の政府や軍の首脳も原子爆弾が与える影響について正確に理解していたからである。

 調査団に加わったある科学者は「米英の研究者は日本の研究者に対して大勝利を収めたのである」と書き残したが、原子爆弾に対する正確な科学者の知識が、日本に無謀な戦争の継続をさせなかった、という点において、日本の研究者は敗北を喫したわけでは決してなかった、と私は思っている。

 なお、仁科芳雄博士は、量子力学の創始者の一人であるニールス・ボーアが設立したニールス・ボーア研究所で研究し、後にノーベル賞を獲ることになる湯川秀樹博士や朝永振一郎博士を指導したりしている(前回述べたテレビ朝日の番組によれば、朝永振一郎博士も「二号計画」に参画していたとのことである)。仁科芳雄博士は、今では日本の「お家芸」とも言える日本の素粒子物理学の基礎を築いた方であるが、上記に述べたように、日本の歴史に対して直接的に大きな影響を与えた方でもある。基礎的な科学技術に関する研究や知識が現実的な歴史の進展に対して極めて大きな影響を与えることがある、という典型的な例として、日本の終戦と仁科芳雄博士との関係について述べさせていただいた。

以上

次回「3-1-1:国共内戦」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/02/post-ffdc.html
へ続く。

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