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2010年1月26日 (火)

2-2-4:【コラム:孫文に対する評価】

※「中国現代史概説」の目次全体及び参考資料については、下記の2010年1月4日付けの発言を御覧下さい。

「中国現代史概説~中国の新しい動きを理解するために~」目次
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/post-a953.html

【中国現代史概説】

第2章:辛亥革命から抗日戦争、中国共産党による革命へ

-第2部:孫文による革命運動の苦悩と中国共産党の誕生

--第4節:中国革命の父・孫文の死

【コラム:孫文に対する評価】

 革命を指導して、実際に革命を成功させたレーニンや毛沢東と比べて、結局は革命を成功させるまで導くことができなかった孫文に対しては、必ずしも大きな評価を与えるべきではない、と冷めた見方をする人もいる。歴史に「もしも」を考えることは無意味であるが、もし、孫文が病を得ることなく北京に入った後も革命を指導できたとしても、跋扈(ばっこ)する軍閥政治家たちや日本を筆頭とする列強各国の干渉により、中国革命を成功にまで導くことは難しかっただろうと想像される。しかしながら、封建的な社会の仕組みを変え、外国の勢力を排除し、三民主義(民族主義、民権主義、民生主義)を打ち立てる、という孫文の理想は、中国革命の核心であり、中国革命を進める中国の人々が心を一つにするための象徴としての孫文の存在はやはり大きかった。以下に述べるように、孫文の死後、第一次国共合作がもろくも崩れ去っていくことを見ても、それは明らかである。

 孫文の理想は、現在でも、大陸と台湾、双方の人々の理想と連なっており、孫文は現在でも「中国革命の父」として、全ての中国の人々の尊敬を集めている。

 2008年5月下旬、「政権与党の主席」としては初めて大陸を訪問した中国国民党の呉伯雄主席は、北京に入る前にまず南京に立ち寄って、孫文が葬られている中山陵を訪れた。1925年に「革命はいまだ成らず。およそ我が同志は、引き続き努力して目的を貫徹せよ。」と遺言してこの世を去った孫文の歴史的存在は、今なお大きいと言える。孫文という存在は、台湾海峡両岸を結びつけ、死後100年を経過した21世紀において、中国革命の最終決着点である台湾問題の解決の実現を導き、結局はその遺言は実現されることになるのかもしれない。

 その意味において、生存中に革命を成就させることができなかったから、という理由で孫文の歴史上の評価を低く見積もることはできないと考える。

 2008年5月上旬、胡錦濤主席が訪日した際の訪日初日の福田総理主催の非公式夕食会の場所として、日比谷公園内のレストラン「松本楼」が選ばれた。「松本楼」は、孫文の日本滞在中の活動を支援し、孫文と宋慶齢との結婚の仲介役を務めた梅屋庄吉氏の末裔(まつえい)が経営しているレストランである。このレストランが胡錦濤主席が訪日初日の夕食会の会場に選ばれたのも、関係者が、孫文に対する歴史的評価と、孫文の革命運動において果たした日本の役割を意識したからだ、ということができる(背景には福田康夫総理の両親(福田赳夫元総理夫妻)が結婚披露宴をしたのもこの「松本楼」だった、という福田総理側の「ゆかり」もあったようである)。

 なお、孫文と宋慶齢は1915年10月に東京で結婚しているが、二人が結婚した時の結婚誓約書(日本語)の現物は、現在でも、北京の故宮博物館の隣にある中山公園の中にある「中山堂」で展示されている。

(参考URL)サイエンス・ポータル・チャイナ
「中国科学技術月報」第8号(2007年5月21日発行)
「コラム:労働節と孫中山」(科学技術振興機構(JST)北京事務所長(当時):渡辺格)
http://www.spc.jst.go.jp/report/200705/report4.html

以上

次回「2-3-1:国共分裂・北伐の完成と張作霖爆殺事件」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/post-7710.html
へ続く。

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