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2010年1月 5日 (火)

まえがき:この文章を書こうを思った動機~意外に知られていない中国の現代史~

※「中国現代史概説」の目次全体及び参考資料については、下記の2010年1月4日付けの発言を御覧下さい。

「中国現代史概説~中国の新しい動きを理解するために~」目次
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/post-a953.html

【中国現代史概説】

まえがき:「この文章を書こうを思った動機~意外に知られていない中国の現代史~」

 めざましい経済発展を遂げる中国は、奥が深く、その実情を正確に理解することはなかなか難しい。中国に関して何かをなそうとする人は、まず、ちまたにあふれる様々な情報をかき集めて、自分なりの「中国観」を構築する必要がある。現在、中国は、中国共産党の指導の下、1978年から始まった改革開放政策に則って、「中国の特色のある社会主義」の路線を歩んでいる。「中国共産党による指導」「原則は社会主義だが市場経済の原理を大胆に導入」という現在の中国の歩んでいる道は、従来、世界中どの国も経験したことのない新しい社会の姿である。前例がないだけに、その姿を正確に捉えるのは非常に難しい。現在の中国の実情を頭の中に思い描くためには、中国の自然環境や社会の状況、歴史的変遷を頭に入れた上で、現在の中国を示す情報を頭にインプットする必要がある。

 ところが、私は2007年4月から2009年7月まで2回目の北京駐在をしていたが、最近いろいろな人と話をしていて気が付いたのは、日本では、日本が東西冷戦時代に「西側」に位置していたために中国の社会主義革命の歴史についてよく知らない人が多いばかりではなく、1978年以降の改革開放路線の歩みについても、1989年の「第二次天安門事件」の前後で何が変わったのかについても、必ずしも認識していない人が多い、ということである。もちろん、現在の中国共産党と中国政府の公式見解は「1978年以来の改革開放路線は一貫しており不変である」というものであるが、私は1989年の前と後では、一貫している部分もあるが、変化した部分もある、と思っている。私は1986年10月~1988年月にも北京に駐在しており、2007年4月~2009年7月までが二度目の北京駐在勤務だった。私のように1989年の前と後の両方の中国を知っている人は意外に少ないようなので、私として気が付いたことを書き留めることも意味があることだと思っている。

 そもそも、私にとって、1960年代後半以降の中国の動きは、歴史ではなく、自分が経験した現実である。一方、最近の若い人たちにとっては、1989年の「第二次天安門事件」すら「物心が付く前のできごと」のようである。そもそも1989年の天安門事件に「第二次」という冠を付けるのはなぜか知らない人も多いと思う(この文章を読んでいただければわかるように、文化大革命を終了させるきっかけとなった1976年の天安門事件と区別するために、1989年の事件には「第二次」を付ける場合があるのである)。私は、そういった若い人たちには、中国を理解するために、背景となっている中国の現代史を勉強していただきたいと思っているが、現在、日本の本屋さんには、手軽に読める中国の現代史を解説した本が非常に少ない。学術的で専門的な中国現代史に関する本は多く出版されていると思うが、「専門的ではないが、この1冊を読めば、まぁ、だいたい中国の現代史のおおよその枠組みはわかる」といったコンパクトな入門書的な本はあまり見当たらない。

 一方、私は、1958年生まれであり、小学生の頃、テレビのニュースで中国の文化大革命の様子が伝えられていたのをよく覚えている。1971年の中国の国連加盟も、1972年のニクソン訪中や日中国交回復も、1976年の「第一次天安門事件」や毛沢東の死、四人組の追放もテレビや新聞で報道されたのをよく覚えている。これらを伝える新聞は今でも保存してあるし、1976年9月9日の毛沢東の死を伝える日本語の北京放送「全党、全軍、全国各民族人民に告ぐる書」の録音を今でも手元に持っている。

 また、1982年7月、私は中国を担当する職場に配属されたが、その時、上司に真っ先に読むように言われたのは1981年6月に採択された「党の建国以来の若干の歴史問題に関する決議」だった。この頃、あるいは仕事の一環として1983年2月に初めて中国を訪問した頃は、まさに人民公社がほとんど解体され尽くされようとしていた頃だったのである。1986年12月、上海で学生による官僚の腐敗反対のデモが起こり、このデモに対する対処が適切でなかった、として胡耀邦総書記が解任されたのは、私が最初の北京駐在勤務を始めて数ヶ月後のことだった。1987年1月1日、上海での学生デモに呼応して、北京でも学生によるデモが天安門広場で行われるらしい、というウワサが広がったが、この日、天安門広場は人民解放軍の兵士によって封鎖され、一般市民は入れない状況になっていた。私は、この日、天安門前広場に行き、広場の様子を自分の目で見たことを今でもよく覚えている。

 1989年6月4日、その時私は既に日本に帰っていたが、天安門前広場で学生が作った張りぼての自由の女神像が引き倒され、私が見慣れた建国門橋の上を戦車が行き交ったりしている映像を私は日本のテレビで見ていた。

 従って、1960年代後半以降の中国の動きは、私にとっては「歴史」ではなく、「自分史」の一部なのである。

 中国の現代史を概説することは、中国の専門家にとっては「当たり前の話」を語ることであり、今更、振り返る必要もないつまらない作業かもしれない。従って、中国現代史の専門家による一般向け解説書が少ないのであろう。一方、これだけ日本と中国との関係が深まり、中国に関連する仕事をする人が多くなっている中、中国の専門家ではない一般の人が手軽に読める中国現代史を解説した手頃な本が少ないのは非常に残念なことである。

 そこで、私の知っている範囲内で、中国の現代史を概括的に説明する文章を書いて、皆様の現在の中国に対する理解の一助にしていただこうと思い至った次第である。私は、この文章を書いていた時点では、北京に駐在しており、十分な資料が手元になかった上に、一部のインターネット・サイトにアクセスできないなど、一部のインターネット上の情報に対してもアクセス制限を受けている状況にあった(注)。その意味では、この種の文章を書くにはあまり適していない環境にいたのだ。中国現代史については、ネット上に中国語の各種資料が数多く存在しているが、現在の中国当局に都合の悪いものは意図的に削除されており、北京にいてネットにアクセスできる資料に頼っていたのでは客観的な議論が困難だった。従って、各種資料に基づきながら、私なりに努めて客観的にまとめるようにした。

 これから書くのは中国現代史のポイントの部分をさらりとおさらいするだけのものであり、いわゆる「中国通」の方々にとっては当たり前の話ばかりになるかもしれないが、その点はご勘弁いただきたい。また、私の思い違い、勘違いも多々あろうかと思われるので、もし事実に反することを私が書いた場合は遠慮なく御指摘いただけると幸いである。

 特に、私は第一回目の北京駐在勤務を終えて1988年10月に中国から帰国してから2007年4月に北京に再び赴任するまでの間は、ほとんど中国関係の仕事をしておらず、この間の中国の動きについては、知識がぽっかりと抜けている。この間の中国の変化については、最近読んだ他の本で補っていくつもりであるが、1989年6月の「第二次天安門事件」の前と後を知っている立場で、できるだけ「私にしか書けないと思われるもの」を書くように努力したつもりである。

(注)中国当局は、当局にとって「好ましくない」と思われるインターネット上のサイトに対して中国大陸部からのアクセスを禁止する措置を取っている。このインターネット上の障壁を「金盾」と呼んだり、「万里の長城」を英語で「グレート・ウォール・オブ・チャイナ」と呼ぶことになぞらえて「グレート・ファイアー・ウォール・オブ・チャイナ」(中国語では「防火長城」)と呼んだりする。この障壁は、その時々の社会情勢や当局の担当者の意向により日々変化している。例えば、日本語版ウィキペディア、BBC中国語サイト等に対しては、北京オリンピックが開催される直前まではアクセス禁止措置が取られていた。

 日本語版ウィキペディアについては2008年4月初旬、BBC中国語サイトについては北京オリンピック開幕直前の2008年7月末に禁止が解除になったが、中国当局に取ってセンシティブな事件が起きた場合には、一時的にアクセス禁止になるなどの措置は現在でも続けられている。

 北京オリンピックが終わり、これからの中国はどうなるのだろうか、と思っていた矢先の2008年9月、アメリカ発の経済危機が発生し、中国もその荒波に揉まれた。予測不能の世界経済の中で、巨大な市場と大きな生産力を持つ中国の発言は以前にも増して重要視されるようになったように見える。一方で、2009年は「第二次天安門事件」20周年に当たる年だった。大きな経済発展を遂げる中で、中国の民主化がどのような形でどの程度進んでいるかに大きな注目が集まった。雇用問題にしろ環境汚染問題にしろ、一般大衆の声をいかに的確に吸収して政権運用を図っていくかが、今までにも増して重要になっているからである。

 日本にとっても、もはや中国との関係なしに今後を考えることはできない時代になっている。好むと好まざるとに係わらず、中国との関係をいかにしていくかは、日本にとっても重要事項である。今後の中国との関係を知るためには、中国がこれまで歩んで来た道を日本の人々もきちんと頭に入れておく必要がある。この文章がそのためにいくらかでも役に立てるのだとしたら幸いである。

以上

※次回「1-1-1:そもそも「社会主義」とは何を目指したものだったのか」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/post-a974.html
へ続く。

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私も1976年4月二松学舎大学に入学、同年1月から起きた政治闘争がきっかけで中国語を勉強し始めました。1980年卒業後は一貫して中国(香港)に関連がある仕事をし、北京、香港、深セン居住期間は延べ22年を超えました。大学1年生の時に中国語学習教材として使った「人民画報」で「反撃右傾反案風」という言葉を勉強したのが昨日のことのようです。
中国の近現在史をおさらいする意味で、「中国現代史概説」はたいへん役に立ちます。簡素にまとめられた素晴らしい作品です。「南京大虐殺」やチベット問題など、私の考え方も近く、読んでいて共感を覚えます。今後もこのブログに注目していきます。

投稿: 高森幸太郎 | 2011年9月 5日 (月) 11時30分

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