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2010年1月 9日 (土)

1-1-1:そもそも「社会主義」とは何を目指したものだったのか

※「中国現代史概説」の目次全体及び参考資料については、下記の2010年1月4日付けの発言を御覧下さい。

「中国現代史概説~中国の新しい動きを理解するために~」目次
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/post-a953.html

【中国現代史概説】

第1章:中国革命の背景

-第1部:中国における「社会主義革命」とは何だったのか

--第1節:そもそも「社会主義」とは何を目指したものだったのか

 まず、中国の共産主義革命の歴史を語る上で、大前提として「社会主義とは何か」「共産主義とは何か」を押さえておく必要がある。世界が東西冷戦構造で規定され、日本の政治が自民党対社会党という構図(いわゆる55年体制)で成り立っていた頃は、みんな「社会主義とは何か」などについては当然のこととして知っていた。しかし、1989年にベルリンの壁が崩壊して東西冷戦が終了し、1990年代半ばに日本の政治でも55年体制が終わりを告げてから、特に若い人たちの中には「社会主義とは何か」を改めて考える機会が今までなかった人もいるかもしれない。そこで、中国の現代史について話を始める前に、「そもそも社会主義とは何ぞや」についてまとめておくことにしたい。

 かなり基礎的な内容なので、一定年齢以上の人に取っては「あくびの出る話」であるかもしれない。しかし、現在の日本やアメリカをはじめとする西側各国の体制は、「社会主義的施策を盛り込んだ修正資本主義」と言えるものであるので、現在でも社会主義の考え方は日々の政策決定に重要な役割を果たしており、ここで改めて「社会主義とは何か」について考えることも悪くないことだと私は思っている。

 まず本論に入る前に用語の使い方についてひとこと申し上げておく。本稿は、社会主義に関して論ずる学術論文ではないので、あまり厳密に用語を定義するつもりはない。用語について説明が必要な場合は、その用語が出てきたときに適宜説明することとする。ただ、「社会主義」と「共産主義」との関係についてだけは、前もって説明しておきたい。本稿では、「共産主義」が最終的な理想的形態であって、「社会主義」は「共産主義に至る少し前の不完全な段階の政治形態」を表す言葉として使うこととする。従って、本稿において「社会主義化」と「共産主義化」は同じ方向への変化を表すので、同じ意味であると考えて頂いて結構である(注1)。

(注1)「社会主義」という用語は、使われている国や時期によって意味が異なるケースがあるから注意を要する。

 さて本論であるが、社会主義について語るためには、まず17世紀のイギリス、18世紀のフランスで起きた政治レベルでの市民革命と経済レベルでの産業革命について述べる必要がある。17世紀のイギリスで起きたピューリタン革命と名誉革命、18世紀にフランスで起きたフランス革命により、これらの国々ではそれまでの王族と貴族からなる支配構造を持っていた絶対王政による支配が終了し、議会民主制が誕生した。議会民主制の基本理念は、まず「人は生まれながらにして平等である」ということにある。つまり、王族や貴族のような特権階級は存在せず、人は生まれる時は、皆、等しく平等なところからスタートする、という考え方である。この考え方から導き出される経済的理念としての「人はその人の労働の程度に比例した報酬を受けるべきである」という考え方も市民革命の理念のひとつである。これは王族・貴族は生まれながらにして王族・貴族なので何の労働をしなくても優雅な生活を保障されるが、そのような制度は不公正である、という発想から生まれたものである。

 これら二つの基本理念は、現代まで続く基本理念といって差し支えない。例えば、「人は生まれながらにして平等である」という理念は多くの国が憲法で定める基本原理であり、「人はその人の労働の程度に比例した報酬を受けるべきである」という理念も、「働かざる者食うべからず」という諺に表現されれているように、世界の広い地域で古くからある基本的な倫理観である。

 「人は生まれながらにして平等」「労働の程度に応じて報酬を受ける」という二つの理念を確立した市民革命は、やがて蒸気機関の発明等によって進められた産業革命によって、その具体的な経済的効果を社会の中で発揮するようになる。即ち、王族・貴族として生まれなくても、資本家になり、産業革命の成果を利用した工業の経営に成功すれば、巨額の富を手に入れることができ、それまでは王族・貴族しか味合うことができなかったような優雅な生活を手に入れることができるようになったのである。議会制民主主義制度により、こういった富を得た資本家階級の人々は政治的にも発言力を増していくことになる(注2)。

(注2)19世紀以降、議会制民主主義制度により、自国産業の原料と製品の市場を求める資本家の意見が政治に反映されるようになり、ヨーロッパ各国によるアジア・アフリカの植民地分割がより強力に推し進めてられていくことになった。このことから、アジア・アフリカ諸国(中国も含む)の人々の一部には「議会制民主主義」は資本家階級が植民地支配を進めるために利用した制度だ、という認識を持っている人がいることを頭に入れておく必要がある。世界の人々は、どの国の人でも、いつの時代でも、常に「議会制民主主義は一般人民にとって良い制度なのだ」と思っているはずだ、というのは、議会制民主主義の制度に慣れている多くの日本をはじめ西側諸国の人々が抱いている一種の先入観である。

 一方、産業革命による工業化は、多くの労働力を必要としていたことから、多くの人々を農村から都市に集めて都市化が進んだ。その結果、都市には、工場を経営して巨額の富を投入してさらに次なる工場経営に投資しようとする少数の者(資本家)と低賃金で労働力を提供する多数の者(労働者)という二つのグループができるようになった。資本家は自分の子孫に資産を相続することができるので、資本家の子孫は資本家となることができたが、労働者はいくら働いても工場経営に必要なほどの資金を貯めることはできなかったので、労働者の子孫は労働者にならざるを得なかった。即ち、市民革命で解体されたはずの「王族・貴族」対「平民」という世襲制の「身分制度」が、今度は産業革命により「資本家」対「労働者」という実質的には世襲制と同じ様相を示す新しい「身分制度」に取って代わったのである。

 しかしながら、資本家は別に不公正なことをしてお金を儲けているわけではない。工場での製品の生産は、資本家が資本を投下して生産設備を用意するとともに原材料を購入し、労働者が工場で労働することによって行われる。つまり、製品の生産には、資本家が用意する資本と労働者による労働の両方が必要なのであり、労働者が労働の対価として賃金を受け取るように、資本を投下した資本家に対しても利潤という報酬が与えられるのは当然であって、これを「不公正だ」と言われる筋合いはない、という理屈が資本主義的考え方の出発点である。

 一方、市民革命によって「人は生まれながらにして平等である」という理念が広く行き渡った19世紀のヨーロッパにおいては、経済的な不正行為は働いていないとは言いながら、「資本家階級」「労働者階級」という身分制度にも似た階級分化が生まれるのは、やはり社会的に不公正と言わざるを得ない、との認識が労働者の間で高まるようになる。そういった労働者階級の疑念を背景として、資本家階級と労働者階級の分化が起こる理由について詳細な分析を行ったのがマルクスの「資本論」であった(「資本論」は1867年に第一部が出されたが、その後、改訂版が出されたほか、1883年のマルクスの死後も残された草稿を基にしてエンゲルスが整理して、逐次、追加部分が発刊された)。

 マルクスは「資本論」で、「そもそも社会的な富をもたらす源泉は労働であって、資本家が労働することなしに利潤を得ているのは、本来、労働者が労働することによって生み出している富に相当する額よりも少ない額の賃金しか労働者に支払っていないからである。労働をしていない資本家が利潤を得ているということは、労働者が生み出している富の一部を資本家が搾取していることにほかならない。」と主張した。このマルクスの考え方は、基本的には、市民革命の際に掲げられた二つの理念のうち「人はその人の労働の程度に比例した報酬を受けるべきである」に鑑みれば、労働をしていない資本家が利潤を得るのはおかしい、という考え方から出発している。さらにマルクスらは、「資本家階級」「労働者階級」が世襲されるのならば、それは「人は生まれながらにして平等である」という理念にも反する不公正な状態であり、是正されなければならないと主張した。

 また、低賃金にあえぐ労働者の窮状を救うためには、好況と不況とを繰り返し、不況の時には最下層の労働者が真っ先に切り捨てられていく、という市場原理に基づく経済システム自体を変えなければならない、というのがマルクスらの考えだった。

 マルクスとエンゲルスは、このような現実を踏まえた時、資本家階級と労働者階級の衝突は不可避であるとした。彼らは、搾取のない社会を実現するには、最終的には労働者階級が支配者となり、資本家が私有している工場設備などの生産手段は全て社会の共有物とし、市場経済を廃して理性的な計画により生産を行うシステム、即ち共産主義社会を作るほかはなく、また、そうなることが歴史的必然であると主張した。また、政治が議会制民主主義制度によって資本家階級によって支配されていた当時のヨーロッパの現状を踏まえれば、そういった社会の変革を図るためには、労働者階級が団結して既存の社会組織を暴力的に転覆するほかはない、と主張した。彼らの考え方は、1948年、「共産党宣言」として発表された。この「共産党宣言」は、その後、共産主義社会を実現しようとする人々の行動指針となった(注3)。

(注3)1948年にマルクスとエンゲルスが出した宣言は、日本語訳では「共産党宣言」という名称が一般的になっているが、1948年の時点で政党としての「共産党」は存在していなかったので、この宣言は「共産主義者宣言」と訳す方が適切である、と言われている。

 21世紀の現在では、東西冷戦が終結し、現実的に純粋な共産主義体制を取っている国は存在しないので、マルクス、エンゲルスの言った「歴史的必然」は誤りだった、と多くの人は考えているに違いない。しかし、一方で、彼らがその結論を導くために基礎とした市民革命の二つの理念、即ち「人は生まれながらにして平等である」「人はその人の労働の程度に比例した報酬を受けるべきである」という考え方は、現在でも、様々な社会制度の根本をなしている。所有する富が無条件で子孫に相続されることを制限する相続税制度や、技術の発明や著作物によってもたらされる利益がそれらを生み出すために苦労した人に還元されるように配慮されている知的財産権制度などがその例である。

 マルクス、エンゲルスらの主張を指針として、19世紀から20世紀初頭に掛けて、都市部で低賃金労働にあえぐ労働者たちの解放を目指し、多くの人々が、マルクス、エンゲルスが「歴史的必然」として掲げた共産主義社会の実現を目指して活動し始めることになる。

以上

※次回「1-1-2:『社会主義』と農民・土地との関係」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/post-06c0.html
へ続く。

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