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2010年1月24日 (日)

2-2-2(2/2):【コラム:「中国共産党第一回全国代表大会」の出席者について】

※「中国現代史概説」の目次全体及び参考資料については、下記の2010年1月4日付けの発言を御覧下さい。

「中国現代史概説~中国の新しい動きを理解するために~」目次
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/post-a953.html

【中国現代史概説】

第2章:辛亥革命から抗日戦争、中国共産党による革命へ

-第2部:孫文による革命運動の苦悩と中国共産党の誕生

--第2節:五四運動と中国共産党の誕生(2/2)

【コラム:「中国共産党第一回全国代表大会」の出席者について】

 陳独秀、李大釗及び「中国共産党第一次全国代表大会」に各地の代表として参加した12名の合計14名を「中国共産党の創設当事者」と位置付けるならば、現在、彼らのうち中国共産党の機関紙「人民日報」のホームページ「中国共産党の85年」の「党史人物」に載っているのは10名であり、載っていないのは4人ということになる。「党史人物」に載っていない4人(張国トウ、劉仁静、陳公博、周佛海)については、その後の経歴から「党史人物」に掲載するのは好ましくない、と考えられていると見られる。

(参考URL1)「人民日報」ホームページ「中国共産党の85年」-「党史人物」
http://politics.people.com.cn/GB/8198/65833/65837/66792/index.html

(参考URL2)「人民日報」ホームページ-中国共産党ニュース-人物紹介
「包惠僧の人知れぬ記者生涯」
http://cpc.people.com.cn/GB/64162/64172/85037/85038/6472347.html

 これから見ていくように、中国共産党の内部では、常に路線の対立があり、党内闘争に敗れた者は、脱党したり失脚したりしている。李大釗ら革命の途中で死亡した者も多く、「党の創設当事者」の中で中華人民共和国成立後も一貫して名誉ある地位を占め続けたのは、毛沢東と董必武(後の国家副主席・国家主席代理(1959~1975年))だけである。初代中央書記の陳独秀自身、1937年に路線対立により党から除名処分を受けている。また、陳独秀の代理として出席した包惠僧も1927年に離党している(離党または失脚した者であっても、現在「党史人物」に名前が載っていない4人以外の者については、現在では名誉が回復されていると考えてよいと思われる)。

 なお、「中国共産党の創設当事者」14名のうち6名(陳独秀、李大釗、李達、李漢俊、董必武、周佛海)は日本留学帰国者(周佛海は当時日本留学中で、在日中国人留学生の共産主義グループの代表として参加)であった。2008年5月初旬、訪日した胡錦濤国家主席は、5月8日に早稲田大学の大隈講堂で演説を行ったが、その演説の中で、陳独秀、李大釗らが早稲田大学に留学していたことを指摘し、日中の歴史的結び付きの強さを強調した。2008年5月の胡錦濤主席の訪日時における早稲田大学での胡錦濤主席の演説は、歴史が現在に連なっていることを如実に示しているものと言える。

 この時胡錦濤主席が講演を行った大隈講堂は、もちろん早稲田大学の創始者である大隈重信を記念して建てられたものである。一方、大隈重信は、中国共産党誕生の母胎となった「五四運動」のそもそもの原因となった「対華21か条要求」を行った内閣の総理大臣であるが、このことについては、この胡錦濤主席の訪中に際して、日中双方とも、誰も触れなかった。

以上

次回「2-2-3:第一次国共合作」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/post-a40e-1.html
へ続く。

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