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2010年1月23日 (土)

2-2-2(1/2):【コラム:儒教に対する考え方】

※「中国現代史概説」の目次全体及び参考資料については、下記の2010年1月4日付けの発言を御覧下さい。

「中国現代史概説~中国の新しい動きを理解するために~」目次
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/post-a953.html

【中国現代史概説】

第2章:辛亥革命から抗日戦争、中国共産党による革命へ

-第2部:孫文による革命運動の苦悩と中国共産党の誕生

--第2節:五四運動と中国共産党の誕生(1/2)

【コラム:儒教に対する考え方】

 当時の中国の進歩的知識人は、国民の意識改革のひとつとして、儒教に対する批判も展開していた。儒教は「若年者は年長者に従うべきもの」「女性は男性に従うべきもの」といった上下関係を重視するものであり、服従を美徳とするものであって、この考え方が「人民は皇帝に服従すべきもの」という古い中国の政治体制を支える基盤をなしていた、として、彼らは儒教を批判したのである。自ら皇帝になることを宣言した袁世凱は「中国は強力な統治者が国を支配するのが正しい姿である。」として、上下関係を尊ぶ儒教を国教とすべきだ、と主張していた。こういった政治的状況も、当時の中国の進歩的知識人が儒教を批判した背景にあった。

 ところが現在の日本では「中国においては、古代から現代に至るまで、儒教は、中国の思想・哲学の重要な基盤として、歴史上一度も批判されたことはなく、中国の一般の人々は一貫して儒教を尊重していた。儒教や孔子を批判したのは中国共産党だけである。」といった誤解が意外と根強い。

 後に述べることになるが、文化大革命の後期、1974年頃、当時中国の党中央の実権を握っていた「四人組」は「批林批孔運動」を展開した。これは反毛沢東クーデターを企てて死亡した林彪と孔子とを合わせて批判する運動である(この「批林批孔運動」の目的には、実は「ウラ」があるのだが、それについては文化大革命について記述する際に後述する)。これに対して日本の新聞の中には「中国の精神的柱である孔子を批判するとは、中国共産党はとんでもないことをする」と批判したものがあった。こういった批判は、中国の近代化革命の過程で、孫文や魯迅など中国共産党とは異なる立場の進歩的知識人たちも含め、多くの人々が中国の近代化のための障壁のひとつとして孔子や儒教を批判していたことを理解していないことからくる誤った批判である。

 それに関連して、2007年12月に訪中した福田総理が首脳会談後の訪問先として孔子廟を選んだことについて、私は若干の違和感を感じた。中国の近代化革命の中で批判の対象だった孔子の墓を日本の総理大臣が訪問することは、外交上微妙なメッセージを発する可能性があったからである(うがった見方をすれば、日本が中国の近代化の歴史を批判した、と受け取られかねない)。また、今でこそ孔子は中国政府からも「中国が世界に誇る古代哲学者の一人」として高く再評価されているが、その背景には現在の中国の党中央・政府による「中国民族の優越性」を示す「愛国教育(民族教育)」の方針があると考えられることから、総理の孔子廟訪問は、そういった「愛国教育(民族教育)」を日本の総理大臣は支持している、というメッセージを内外に与える可能性もあったからである。それらを考えると、2007年の時点で日本の総理大臣が訪問先として孔子廟を選んだのはややピントがはずれている、と私は感じたのである。

以上

次回「2-2-2(2/2):五四運動と中国共産党の誕生(2/2)」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/post-4c48.html
へ続く。

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