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2010年1月27日 (水)

2-3-1:【コラム:ロシア革命と中国共産主義革命との違い】

※「中国現代史概説」の目次全体及び参考資料については、下記の2010年1月4日付けの発言を御覧下さい。

「中国現代史概説~中国の新しい動きを理解するために~」目次
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/post-a953.html

【中国現代史概説】

第2章:辛亥革命から抗日戦争、中国共産党による革命へ

-第3部:日本による大陸進出と中国による抗日戦争

--第1節:国共分裂・北伐の完成と張作霖爆殺事件

【コラム:ロシア革命と中国共産主義革命との違い】

 日本の多くの人は、中国共産主義革命はロシア革命を模範としたものであり、できあがった体制はソ連も中国も共産党による一党独裁社会であって、ロシア革命と中国共産党による革命は本質的に同じものである、と考えている。しかし、それは日本が長く「西側陣営」に属しており、社会主義革命について知る機会が少なかったことと、中国革命については今なお「最終体制に至っていない継続中の状態」であって、革命過程がいまだに客観的に分析評価できる状況になっていないることから来る一種の誤解である。ロシア革命と中国共産主義革命にはおおざっぱに言って以下に述べるような大きな相違点がある。

 ロシア革命は、帝政を打倒する革命(2月革命)と社会主義革命(10月革命)が同じ年(1917年)に起き、帝政から社会主義体制まで、一気の流れで変革が進んだのに対し、中国では、清王朝が崩壊した辛亥革命(1911~1912年)から、中華人民共和国が成立した1949年まで40年近い時間が掛かっている点に大きな違いがある。ロシア革命では、前衛的なごく一部の人々により革命が一気に進められ、その他の多くの人々は自分自身で革命に参加したわけではなく、むしろその革命的変化に翻弄される受動的立場にいた、というのが実態である。それに対し、中国共産主義革命は、時間を掛けて、革命自体が大きく紆余曲折しながら、多くの人々を巻き込んで、ゆっくりと進んでいき、中国の多くの人々自身が何らかの形で実際に革命に係わったのである(この事実は、ずっと後に実際に革命に携わった世代(革命第一世代)の幹部がいつまでも政治的発言権を維持し続けた(このことは、悪い言葉で言えば「老害」とも言える)という形で、本来は世代交代が行われるべきだった1980年代にボディーブローのように効いてくることになる)。

 ロシア革命では、首都ペテルブルグなど大都市で、労働者や兵士による権力奪取が一気に進んだ。その勢いがそのまま短期間で全国へ波及していった。つまり、大都市の中小商工業者に対しても、農村部の農民に対しても、多くの人々にとっては、社会主義は短時間のうちに一気に「上から降ってきた」のである。従って、ロシア革命によって成立した「ソ連共産党による一党独裁体制」とは、都市部においても、農村部においても、革命を主導的に推進した一部の人々以外の人々にとっては、常に上から強圧的に下部を指揮する中央集権的な体制を意味していた。

 一方、中国の共産主義革命では、都市部において国民党軍と日本軍との戦闘が続いている間に、中国共産党が農村部において時間を掛けながら力を蓄えて「農村が都市を包囲する」戦略を取った。その際、中国共産党としては、勢力を拡大するに際して農民の支持を取り付けることが絶対的に必要な条件であった。そのため、中国共産党は、地主の土地を没収して貧農に分け与えるなど、農業改革を実行することにより、農民の支持を取り付け、農民自身の革命への参加を求めていったのである。そもそもそういった大多数の農民大衆の参加による「人海戦術」がなければ、中国の共産主義革命は成功しなかったのである。

 革命を進めるに当たって、中国共産党は、自作農や富農層などからの反発を避けるため、一定程度の土地の所有を認めるなど、「共産主義化」の観点からすればかなりの「妥協」と思われることも敢えてした。中国の共産主義革命は人口の大多数を占める幅広い階層の農民の支持の上に立った「下からの支持を利用した革命」であることを中国共産党はよく自覚していたからである。

 日本の敗戦後、抗日戦争期間中に培ったこうした蓄積の上に立って、中国共産党は都市部に依拠する国民党を包囲して敗走させた。中国共産党は、都市部に入城するにあたって、中小商工業者の支持を集めるため、工場や商店などの所有権は国有とするものの、工場主や商店主が従来通りに事業を継続することを認めるとともに、工場や商店の施設や家屋を国有化する賠償として退職後の年金支給を約束するなど、一定の「妥協」をして、中小商工業者(いわゆる「プチブル」)の支持も獲得した。

 つまり、「中国共産党による一党独裁」とは、「上からの押しつけによる独裁」ではなく、「多くの妥協によって得られた幅広い階層による支持に基づく独裁」なのである。従って、「中国共産党による一党独裁」は、いつの時代でも、幅広い階層からの支持を失うと容易に崩壊する危険性を秘めている。「大衆からの支持を失うことに対する恐怖」に常に怯(おび)える党中央は、これまで、毛沢東という偉大な指導者のカリスマ性に頼ったり、改革開放後は急速な経済成長というニンジンに頼ったり、1990年代以降は大衆の反日感情や民族主義的感情に頼ったりしてきているのだが、どうしようもない時には武力を使うこともあった。そういったことが、中国共産党に対しても、ソ連共産党による一党独裁と同じようなイメージを多くの人々に与えていたのかもしれない。しかし、ソ連共産党は「大衆からの支持を失うことに対する恐怖」には怯えていなかった。なぜなら、ソ連共産党はそもそも「大衆からの支持」の上に立脚していなかったからである。

 中国共産党が、幅広い階層の大衆から支持を得るために行ってきた数々の「妥協」は、多くの場合、かなり「あいまい」なものだった(「中国的あいまいさ」と言ってもよい)。そのため党中央の路線が変更されたり、現実的な社会状況の変化に応じて政策選択が変更されたりする際に、過去に行った「あいまいな妥協」との矛盾により様々な問題が噴出することになる(21世紀に入った現在の中国において、「土地の所有権」は国にあるのだが「土地の使用権」は売買できる、といった「あいまいな妥協」が、土地の利用や政府による土地の収用に関して様々なトラブルを引き起こしているのがその典型例である)。

 これから、この「中国現代史概説」の中で、こういった中国共産党による革命の歴史を述べていくことにより、具体的に「中国共産党による一党独裁」の姿が浮かび上がってくることになると思う。それにより、現代中国に対する理解を深めることができれば幸いである。

以上

次回「2-3-2:中華ソヴィエト共和国の樹立と満州事変」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/post-9fef.html
へ続く。

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