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2010年1月21日 (木)

2-1-3:【コラム:中国の人々の日本に対する見方】

※「中国現代史概説」の目次全体及び参考資料については、下記の2010年1月4日付けの発言を御覧下さい。

「中国現代史概説~中国の新しい動きを理解するために~」目次
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/post-a953.html

【中国現代史概説】

第2章:辛亥革命から抗日戦争、中国共産党による革命へ

-第1部:日本の大陸への進出から辛亥革命の勃発へ

--第3節:辛亥革命(清王朝の終焉)

【コラム:中国の人々の日本に対する見方】

 1898年に「戊戌の変法」に失敗した康有為、梁啓超らは日本に亡命した。孫文らが日本で「中国革命同盟会」を結成した時、当時18あった中国の省のうち日本への留学生が居なかった甘粛省を除く全ての省の代表がこの「中国革命同盟会」の結成に参加したという。それだけ多くの若者がこの当時日本に留学していたのである。思想面で中国の近代化に貢献した魯迅は、この当時、東北大学に留学中だった。このように1894~1895年に日清戦争が行われたのに、19世紀末から1900年代初期の中国の知識人にとって、日本は「敵国」としてではなく、明治維新以来の改革を学ぶとともに中国における改革の拠点となる場所として認識されていたのである。この当時の中国の人々にとっては、日清戦争は、確かに日本と中国との戦争ではあったが、日本が戦った相手は清朝政府であり、清朝政府を見限っていた当時の中国の人々からすれば、日本は「自分たちの国の交戦相手の国」という認識はあまりなかったのかもしれない。

 一方、日清戦争は、朝鮮半島の利権を巡る日本と中国との間の戦争であり、日本が韓国(朝鮮は日清戦争後の1897年に国号を「大韓」と改めていた)を植民地化しようとしていたことを中国の人々はよく知っていた。また、日本は、義和団事件で北京に侵攻した8か国連合軍の一員であり、日本を「中国の半植民地化を進める列強」として警戒する感覚は当時の中国の人々の間にはあったと思われる。ただ、それはイギリス、フランス、アメリカなどに対するのと同じ感覚であり、今で言う「反日感情」とは異なるものだったと思われる。

 日本に対する中国の人々の感覚が明確に「反日」に転換するのは、「対華21か条の要求」など1910年代以降の日本の対中国政策によってである。

以上

※次回「2-2-1:袁世凱政権と日本による対華21か条の要求」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/21-f906.html
へ続く。

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