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2010年1月10日 (日)

1-1-2:「社会主義」と農民・土地との関係

※「中国現代史概説」の目次全体及び参考資料については、下記の2010年1月4日付けの発言を御覧下さい。

「中国現代史概説~中国の新しい動きを理解するために~」目次
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/post-a953.html

【中国現代史概説】

第1章:中国革命の背景

-第1部:中国における「社会主義革命」とは何だったのか

--第2節:「社会主義」と農民・土地との関係

 次に、社会主義と農民・土地との関係について若干説明をしておく。というのは、中国の共産主義革命は、革命の推進主体が農民であるという「農民革命」としての側面が強く、中国の共産主義革命を理解するためには、社会主義と農民・土地との関係を理解する必要があるからである。

(i) プロレタリアートの一部をなす者としての小作農民

 中国共産党は、自らが実現した中国の共産主義革命について、マルクス、エンゲルスが唱えた共産主義革命の思想、それを実行に移したレーニンによるロシア革命の延長線上にある革命と位置付けているし、多くの人もそう思っている。それは一面では誤りではないが、一方で、中国共産党が指導した革命は、農民を地主階級による支配から解放することが主たる目的であり、マルクス、エンゲルス、レーニンらが思い描いていた革命、即ち、都市部の工業を支える労働者が工業資本家を打倒して新しい社会を作るための革命とは、その道筋がやや異なるものだった。従って、中国共産党による革命の特徴を理解するためには、まず社会主義と農民・土地との関係をまず理解しておく必要がある。

 前節で述べたように、そもそも社会主義とは、産業革命による大規模工場経営によって生じた資本家階級と労働者階級の分化が、結果的に「人は生まれながらにして平等」「労働の程度に応じて報酬を受ける」という市民革命の基本理念に反する状況を発生させたことに対する反発の中から生まれた。従って、初期の段階において、社会主義を目指す人々が「解放すべき人々」として認識していたのは、都市に住み工場で働く労働者であった。農民は、社会主義が唱えられるようになった19世紀のヨーロッパにおいても人数的には一般人民の中では大きな割合を占めていたが、自作農は土地という財産を持っており、必ずしも「社会から虐げられている人々」の中に入るとは思われていなかったので、農民全体を「解放すべき人々」という範疇でくくることは難しかったからである。

 従って、マルクス、エンゲルスがまとめた「共産党宣言」では、資本家階級を表す言葉として「ブルジョアジー」、労働者階級を表す言葉として「プロレタリアート」という言葉を使っているが、「農民」は、ブルジョアジーやプロレタリアートとは別の存在の人々として扱われている。マルクス、エンゲルスにとって、解放すべき「プロレタリアート」とは工業労働者であり、打倒すべき「ブルジョアジー」とは工業資本家だったのである。

 一方、毛沢東が指導した中国共産党の革命では、自分の土地を持っていない小作農を工場労働者と同じ「虐げられた人々」として扱い、革命の主体となるべき者、と位置付けた。また、土地を私有しているが自らは耕作せずに小作農から小作料を取り立てている地主は、工業資本家と同じ「打倒されるべき人々」として扱われ、革命における攻撃の対象と位置付けられた。従って、中国革命においては、プロレタリアートとは工業労働者と土地を持たない小作農の両方を指し、ブルジョアジーとは工業資本家と大地主の両方を指す。中国語において、プロレタリアートの訳語として「無産階級」、ブルジョアジーの訳語として「有産階級」という言葉を使うことにも、そういった考え方が現れている。

 このようにヨーロッパやロシアと中国とでは「ブルジョアジー」「プロレタリアート」という語が意味する範囲が異なるが、本稿では、中国での革命を記載する都合上、「ブルジョアジー」を工業資本家と農業における大地主の両方を含む概念、「プロレタリアート」を工業労働者と土地を持たない小作農の両方を含む概念として取り扱うことにする。

(ii) 農地における「土地所有権」の発生と地主・小作人関係の成立

 社会主義と農民・土地との関係を考えるに当たって、まず土地(農地)所有のあり方の問題と農業が持つ他の産業と異なる特徴について考えておく必要がある。

 「所有権」とは、一般に「そのモノを自由に利用したり処分(譲渡や売却)したりできる権利」として捉えられている。この考え方をそのまま土地に適用すると、土地所有者は、その土地に対する処分権を発動すれば、土地の上で居住したり産業活動をしたりしている人々を追い出すことも可能となる。従って、歴史的には、土地所有権とその土地の上にいる人々に対する政治的支配権とは、ほとんど同義語であった。

 近代国家では、こうした土地所有者が持つ強力な権原を抑制するため、様々な土地所有権に対する制限を設けている。例えば、日本では、農地法により農地は原則として耕作者自身以外が所有することができないことにして地主・小作人制度を事実上禁止しているし、借地借家法により地主が土地所有権を盾にして借地人・借家人を追い立てすることに対して厳しい制限を設けている。それに対し、現代の中国では、土地の「使用権」は自由に売買できるが、土地の「所有権」は国または村などの地方の集団が持っているため、政府が土地所有権に基づく土地の収用を強行し、その土地の上に住んだり、その土地を耕作したりしている住民・農民の反発を招く事件が頻発している。土地の所有権と使用権との調整は、中国では、今まさに一番ホットな課題なのである。

 日本でも、借地借家法がいろいろな議論の後で現在の形に落ち着いたのはごく最近(1991年)のことである。農地については、農地の所有権とその農地における耕作権を分離して、農地所有者でない者が耕作を行うことも認めるべきだ、といった議論も行われている。日本においても土地の所有権と使用権の調整の問題は、今でも重要な政治課題であると言える。

 そもそも土地に対する権利が政治的な意味での「支配権」ではなく、経済的な意味での「所有権」の一種として認識されるようになるのは、貨幣経済が発達し、土地を利用する権利を貨幣で売買しようという発想が生まれてから後のことである。貨幣経済が発達した都市部においては、居住用の土地の所有権の売買や賃貸はかなり前から行われてきたが、農地に関する権利が経済的な「所有権」として認識されるようになるのは、西ヨーロッパでは市民革命後、ロシアでは農奴解放令(1861年)の後、日本では明治維新の際の地租改正(1873年)の後のことである。それ以前は、農地は、所有権を持った地主が所有していた、というよりは、貴族や領主などがその土地を支配していた、と表現した方が正しい。

 貨幣経済が農村部に浸透する以前は、支配者たる貴族や領主は、支配している土地の範囲内にいる農民に耕作させ、年貢という形で生産物の一部を徴収していた。土地に対する支配権は、貴族や領主が戦争をすることによって他の貴族・領主との間で奪ったり奪われたりすることによってのみ移転した。ところが貨幣経済が農村部に浸透すると、経済的に困窮した貴族や領主は、他の裕福な貴族や領主から一定の貨幣を受け取った上で土地支配権を売却する例が出始めた。また、自らも一部の土地で耕作を行っている最下層の貴族や領主の中には、経済的に苦しくなって自分が耕作している部分以外の土地を他者に売却し、支配していた農民を失う(自らは自作農となる)者も出始めるようになった。この段階になると、貴族や領主と農民との関係は、政治的な支配者と被支配者との関係ではなく、土地を貸し与えて耕作をさせ小作料を徴収するという経済的な意味での地主と小作人との関係に自然に移行していくことになる。

 地主・小作人関係の発生は、産業革命とは直接関係しないが、産業革命による貨幣経済の発達とその農村部への浸透が、農村における貴族・領主と農民との関係を地主と小作人との関係に変化させていった、という意味では間接的には関係している。従って、工業労働者(マルクスやエンゲルスが言っている狭い意味でのプロレタリアート)の発生の時期が農村部における小作人(広い意味でのプロレタリアートの一部をなす)の発生の時期と重なっていた、ということができる。

(iii) 農業が持つ他の産業と異なる特徴

 そのほか、以下に述べるような農業が持つ他の産業とは異なる特徴にも留意しておく必要がある。

 農業では一定規模の広い面積がないと効率的な収益は得られない。究極的に労働効率のよい農業のやり方は、現在、アメリカで行われているような広大な土地で大規模な機械を用いて耕作するような方法である。機械化する以前の段階であっても、一定規模(例えば農家1戸あたり1ヘクタール)以上の広さがないと効率的な農業生産はできない、と言われている(注)。一方、農業技術が進歩し、食料生産に余裕が生まれると、農業人口は増加する。新たな農地開拓が行われない限り、人口が増えれば、その分、農地は多くの農民に分割されることになる。例えば、農家に複数のこどもが生まれれば、これらこどもが全て農民のままでいるのであれば、農地を分割相続することになるので、こどもの時代になれば、一人当たりの農地面積は親の時代よりも狭くなってしまうことになる。

(注)中国は農家人口が多く、現在でも中国の農家一戸あたりの農地面積は約0.5ヘクタール(日本の半分以下)である。このことが中国の農業に大きな問題を与えている。

 効率的に生産できる面積を下回るような小さな面積に分割された農地を受け継いだ農民は、効率的な農業生産ができないために経済的に困窮し、最終的には農地を放棄して農村を離れざるを得なくなる。自作農の中にも、持っている土地の面積が分割相続を続けていくことにより農業生産ができる最低限の面積を割り込んだ場合には、土地を地主に売って小作農に没落したり、農業を放棄して農村を出ざるを得なくなる者も出始める。

 このようにして、時代が進むにつれて、農村から都市へ移住する労働者の増加、自作農の小作農への没落と強力な地主への土地の集中(地主の大地主化)が進むことになる。

 農業においては、共同農作業や灌漑施設などの共通インフラ整備を行うに際して、例えば「村」や「集落」の単位で、共同作業を行うことが必要な場合が多い。即ち、産業としての農業は、居住単位としての「村」「集落」の形成と密接に関係している。これがプライベートな生活空間とビジネスとしての仕事とを分離することが可能な他の産業とは異なる農業が持つ特徴のひとつである。

 小規模な土地を持つ農家が集まって農村を形成している場合、特に植え付けや収穫などの時期においては、各農家が独自にバラバラで農作業をやるよりも、一定の数の農家同士が協力してお互いに助け合って作業した方が効率的な場合が多い。また、灌漑用設備など、複数の農家同士が協力して共通インフラを整備した方が効率的なケースも多い。共同で農作業を行い、灌漑用水など共通インフラを整備したりする際には、同じ立場の自作農が集まっているケースよりも、誰かがリーダーシップを発揮して、全体をまとめる方がやりやすい。そのため、自作農がバラバラに存在するよりも、大地主がいてリーダーシップを発揮して小作人に作業をやらせる方が効率の点で有利な場合がある。こういった農業の持つ特質も、土地所有が大地主に集中することを後押ししていたと考えられる。

 上記二つの「世代交代に伴う農地の分割」と「共同農作業と共通インフラの整備の有利性」の問題は、中国の共産主義革命の過程で様々な農業政策改革・土地制度改革を行っていく上で常に問題になってきており、現在でも、重要な課題であり続けている。

 これら社会主義と農地・農民との関係を踏まえた上で、以下、中国における共産主義革命の過程を見ていくこととするが、まずその前に中国革命が起こる前夜の中国の状況を見ておくことにする。

以上

※次回「1-2-1:19世紀の中国・ロシア・日本の状況」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/19-8b87.html
へ続く。

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