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2010年1月20日 (水)

2-1-2:【コラム:義和団事件の賠償と清華大学】

※「中国現代史概説」の目次全体及び参考資料については、下記の2010年1月4日付けの発言を御覧下さい。

「中国現代史概説~中国の新しい動きを理解するために~」目次
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/post-a953.html

【中国現代史概説】

第2章:辛亥革命から抗日戦争、中国共産党による革命へ

-第1部:日本の大陸への進出から辛亥革命の勃発へ

--第2節:義和団事件

【コラム:義和団事件の賠償と清華大学】

 日清戦争に続いて、日本は義和団事件でも清国から賠償金を得ることとなった。当時、列強各国にできるだけ近付きたいと考えていた日本にとって、清国から獲得した賠償金は非常に貴重なものだった。日本はこれらの賠償金を国内のインフラ整備等のために充て、更なる軍事大国への道を歩んでいくことになる。

 一方、アメリカは、義和団事件で清国から受けた賠償金のうち1,100万ドルを「将来アメリカと対等に話のできる幹部を養成して欲しい」として中国に返還し、1911年、「清華学堂」を設立させた。この「清華学堂」は、アメリカへ留学する学生を養成する学校で、当時「留美予備学校」と呼ばれていた(参考資料6:中国の頭脳 清華大学と北京大学)(中国語でアメリカは「美国」と書く)。これが現在の清華大学の前身である。中国の国家指導者には、胡錦濤国家主席をはじめ軒並み清華大学出身者が並んでいる。アメリカが100年前からしたたかな国家戦略的意図の下に動いていたことを感じさせる逸話である。

 こういった「アメリカ式のやり方」、即ち、軍隊を送り込んで戦争をし、その賠償金を得て、その賠償金で自国に留学する学生を育てる学校を作るといったやり方について、「フェアな精神に基づく美談」としてではなく、形を変えた「侵略」である、と明確に喝破したのが、かの毛沢東であった。

 毛沢東は、中華人民共和国が成立する約1か月前(1949年8月30日)、「『友情』か、侵略か?」と題する論文を書いている。

(参考URL)「人民日報のホームページ」-「共産党ニュース」-「指導者の人物」-「人民の指導者・毛沢東」-「著作選集」-「毛沢東選集第四巻」
「『友情』か侵略か?」(1949年8月30日)
http://www.people.com.cn/GB/shizheng/8198/30446/30452/2189412.html

 この中で毛沢東は次のように述べている。

 「アチソン(当時のアメリカ国務長官)は、アメリカは古くから中国と友情を持っていた、と言っている。彼の言い方によれば、例えばアメリカは庚子賠償(義和団事件による賠償金)を中国人学生の教育に使ったり、第二次世界大戦中は中国に多額の援助をしたりしていたが、これは古くからのアメリカの中国に対する友情を表すものだ、ということになる。しかし、彼は、8か国連合軍の一員として中国に攻め入って得た賠償金を用いて中国人学生を教育したこと、即ち、精神的に侵略したことをもって『友情』と表現しているのである。蒋介石(国民党軍)に多額の資金援助をし、何百万人もの中国人を殺したことをもって『友情』と言っているのである。」

 アメリカの長いスパンを考えた世界戦略、そしてその意図を見抜く毛沢東のような冷徹さは日本にはなかなかまねのできないところである。国と国との関係は、結局は、こういった緊張関係に基づく長期的な視野に立った戦略の上に成り立っていることを常に認識しておく必要があるのである。

以上

※次回「2-1-3:辛亥革命(清王朝の終焉)」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2010/01/post-a40e.html
へ続く。

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