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2009年3月

2009年3月22日 (日)

中国で放送された政策ディベート番組

 香港の民間衛星テレビ局「鳳凰衛視」(フェニックス衛星テレビ)が土曜日の20:00~21:00というゴールデン・タイムに放送している「一虎一席談」という人気番組があります。世間で話題になっているテーマについて、専門家を読んで話を聞くとともに、スタジオに集まった人々の間で議論するという番組です(番組名の「一虎」とは、人気司会者の胡一虎氏の名前から来ています)。

 昨日(3月21日)夜たまたまこの「一虎一席談」見たら、この日のテーマは「両会(全人代と政治協商会議)開催に合わせた特集」ということで、「戸籍問題」でした。中国では、農村戸籍と非農村戸籍の厳然たる区別があって、農村戸籍の人は、実際にその人がどこに住んでいようと戸籍のある場所でないと教育、医療、社会保障等の制度を利用することができないことになっており、現在の中国の大きな社会的問題になっています。例えば、農村から都会に出稼ぎに出てきている労働者(農民工)のこどもは、戸籍が故郷の農村にあるので、都会に住んでいるのに都会の公立学校に入れないし、病院に行っても医療保険の適用が受けられない、といったような問題です。

 昨日見た番組では、全人代や政治協商会議の代表らも参加して、熱の入った議論が行われていました。出ていた主な意見には次のようなものがありました(番組は、中国語の標準語の放送ですが、中国には方言のきつい人も多いので、多くのテレビ番組では字幕が出ます。字幕が出ると、私程度の中国語ヒアリング能力でも一定程度内容を理解することができます)。

・私は弁護士だが、中華人民共和国憲法には「法の下の平等」がうたわれているのだから、農村戸籍・非農村戸籍で対応が違うのはおかしい。戸籍は一本化すべきだ。

・上海市は戸籍人口が1,300万人だが上海戸籍でない人も500万人住んでいる。戸籍の一本化は図る必要があるとは思うが、都市の政府には、実態的に、戸籍のない人に対して教育、医療、社会保障等の行政サービスを提供する能力が不足している。

・最近の北京のビル群は素晴らしいが、このビル群は誰が作ったのか。農民工の人たちが働いて作ったのではないのか。そういった農民工の人たちのこどもが北京で学校へ行けない、というのは、やはりどう考えてもおかしい。

・私は寧夏回族自治区の人間だが、戸籍制度は経済の進んだ都市部の人々の既得権益を守る役割を果たしている。内陸部の貧しい人々の権利を考えれば、戸籍は一本化すべきと考える。ただし、大学入学試験の戸籍別枠は撤去しないでほしい。例えば、大学入試の戸籍別枠を廃止したら、北京や上海の大学受験生が大量に寧夏回族自治区に来て受験したら、地元の受験生は大学に入れなくなってしまう。

・(農村戸籍の人でも都会に住宅を買って定住している人には都市戸籍を与えるべきだ、という意見があることに対して)住宅を買える経済的余裕のある人だけが都市へ移ってしまい、農村は経済的余裕のない人や老人だけになってしまうから、そういう条件を付けて戸籍の自由化を図ることには反対だ。

・農村・非農村戸籍を廃止し、自由に戸籍が選択できることにしたとしても、例えば都市住民が農村戸籍を取得したいと考えても、農地は既にいる農民に割り当てられており、新しく来た人には農地を割り当てられないから、実態的に戸籍の自由化はできない(筆者注:この部分は、土地の私有は認められておらず、従って農地の売買はできず、農地の耕作は村から請け負わされている形になっている現在の中国の社会主義制度の根本に起因する問題です)。

・私は上海の全人代の人民代表だが、この種の問題の対応策について諸外国の事例をいくつも勉強した。しかし、諸外国の例は、みな、他国からの移民をどう扱うか、という移民政策の問題だった。今、我々が議論しているのは中国国内の問題である。戸籍制度は、例えば、上海を農村から見るとまるで外国のように見えてしまうようにしているのである。私は上海の人間であるが、その前に一人の中国人である。これは何とかしなければならない問題だと考えている。

 議論に参加していた人の多くは「戸籍の自由化」に賛成のようでしたが、今すぐ自由化すると様々な問題が生じるという懸念を表明する人も多いのも事実でした。戸籍制度は、多くの人々が不満に思っている問題であると同時に、社会主義制度の根幹にも係わる問題なので、相当に「敏感な問題」です。

 「フェニックス衛星テレビ」は香港の民間テレビ局なので、報道の自由はあるのですが、中国大陸部での放映が許可されているテレビ局です。大陸部での放映が不許可にされてしまうと民間テレビ局としてやっていいけないので、当然、中国当局ににらまれるような内容の放送はできません。そうしたテレビ局で、今回の戸籍制度のような「敏感な問題」を取り上げて、参加者にディベートをさせて、中国全土に放映したことに対し、私としては、相当な「時代の進歩」を感じました。具体的な政策に関する議論ですから、当然、政府が決めた現行の政策に対する批判も出てくることになるからです。

 もし、このテレビ番組をまねたような小グループでの「討論会」が中国大陸のあちこちで開かれるようになったら、世の中はだいぶ変わると思います。全人代の人民代表が住民の直接選挙で選べない現在の制度では、「討論会」を開いても、その結果として住民が意思表示をする機会がない、というのが現在の中国のシステムでは致命的な問題ですが、今はインターネットがあるので、そういった「討論会」を開いて議論を整理し、その上で自分の意見をネット上にアップすることは可能です。

 ただ、そもそも中国の人々は「自由に自分の意見を述べたり、人の意見をじっくり聞いて論理的にそれに反論する」といった経験をあまり積んでいないように思えます。番組を見た感じでも、あまり議論がかみ合っていない感じがしました。最後の方で、農村出身の口べたな感じの青年が戸籍制度の問題点を挙げて主張していましたが、言いたいことを全部は言えなかった、という感じでした。

 1時間の番組だけでは、当然結論は出ませんが、最後に司会者が「戸籍制度は変えるべきだが、今すぐになくすわけにいかないし、一朝一夕に変えるわけにもいかないという意見が多かったと思います。ただ、最後に発言した農村出身の青年の未来が明るいものになればよいなぁと思っています」とまとめていたのは、なかなかよかったと思います。

 司会者による最後の「まとめ」の中で司会者は「先の改革開放30周年記念式典で、胡錦濤先生は改革開放政策は「不動揺」だし『不折騰』(むちゃをしない)と言っていました。戸籍制度の問題は時間を掛けて議論する必要があると思います」と結論付けていたのも印象に残りました。

 そもそもこの番組が香港のテレビ局だからですけど、胡錦濤主席のことを「主席」とも「同志」とも呼ばず、日本語の「さん」に相当する「先生」と呼んでいたのが印象に残りました(オリンピックの開会式・閉会式でもオリンピック・スタジアムの司会者は「胡錦濤先生」と呼んでいましたので、今の中国では別に珍しくはない表現なのですが、中央電視台では絶対に使わない呼び方です)。

 それから、ここでも「不折騰」という胡錦濤主席の言葉を引用していることに驚きました。やはりこの「不折騰」という言葉は相当に含蓄のある言葉なのだろうと思います。

 中国は、かつてのソ連や東欧諸国をはじめとする社会主義国として分類されますが、ひとつだけ中国だけにしかない特徴があります。それは「香港」という「風穴」が開いていることです。かつてトウ小平氏は、イギリスの植民地だった香港が1997年に中国に返還されるに当たって、「一国二制度」(香港では返還後50年間資本主義制度と報道の自由を維持する)という「ウルトラC」を使いました。これは改革開放を進める経済政策において香港という対外的に開かれた「風穴」を最大限に利用しようとしたからだと思います。そして今、もしかすると、香港は「政治体制改革=民主化」の点でも「風穴」になろうとしているのかもしれません。今回、香港のフェニックス衛星テレビで「政策ディベート番組」を見て、それを感じました。

 2012年に行われる予定の次の香港の行政長官・議会選挙は、今と同じ業界団体などを通じた間接選挙制度で行われ、住民による直接選挙は行われないことが既に決まっています。問題は、次の2017年の選挙がどうなるか、です。それすら決まっていない今の時点で、将来を予測することなどできないし、まだまだ先は長いと思いますが、こういった「フェニックス衛星テレビ」のようなテレビ放送が中国大陸部全土に放送されることによって、たぶん時代は少しづつ変化していくことになるのだろうと私は思っています。

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2009年3月21日 (土)

自作自演記者会見の疑惑

 相変わらず痛快な記事や評論の多い広州で発行されている週刊紙「南方周末」(日本語表記では「南方週末」)ですが、今週号の評論もなかなか鋭いものがありました。

(参考)「南方周末」2009年3月19日号評論欄「評論方舟」
「記者会見がどうして一人芝居になってしまうのか」(本紙評論員:郭光東)
http://www.infzm.com/content/25621

 筆者の郭光東氏は、先日終わった両会(全国人民代表大会と中国政治協商会議)の際に行われた2つの記者会見について指摘しています。

 ひとつめは「財経」の記者が伝えている3月6日に行われた四川省代表団の記者会見についてです。この記者会見では、質問しようとした記者がいくら手を挙げても、司会者が一番前に陣取っている「官製主体メディア」にばかり質問させ、しかも彼らは机の上に置いてあるメモを見て質問しているようであり、答える四川省関係者も用意した紙を読み上げているようであり、一切の質問と答えが「用意されたもの」のように見えたというものです。

 もう一つは「新快報」の記者が伝えている3月7日に行われた雲南省代表団の記者会見です。この記者会見では、事前に関係者が顔見知りの記者に質問のレジメを渡して、質問番号に応じて質問させており、人々の間で関心の高い「目隠し鬼ごっこ事件」については一切質問がなく、一問一答が事前に準備されていたことは明白だった、としています。

※「目隠し鬼ごっこ事件」については、このブログの2009年2月24日付け記事
「監獄内の『目隠し鬼ごっこ』で死亡」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2009/02/post-bcc5.html
参照

 また、3月8日に行われた四川省大地震の災害復旧状況についての記者会見について、多くのネットワーカーが内外の記者の質問水準の違いについて指摘している、とのことです。具体的には、境外の(外国及び香港、マカオ、台湾の)記者は人々が知りたいと思う問題について質問しているのに対し、中国大陸の記者は、往々にして「塩辛くも酸っぱくもない質問」や大してニュース性のない質問ばかりし、甚だしいものにあっては役所で発表されている公式発表文を見ればわかるような問題について質問して、質問時間をつぶしていた、とのことです。

 さらには、多くの記者にとって、事前に質問事項の許可が必要であり、許可されていない質問については聞いてはいけないかのように思わせるような記者会見もあった、とのことです。この評論の筆者である郭光東氏は「嗚呼! またしてもこの種の人を愚弄するような感じを受けるとは、何と悲しいことか」と嘆いています。そして、郭光東氏は、政府機関がこのような自問自答するような記者会見をセットして、外見だけ民主的であるように見せかけることは、公務員としての職業道徳に違反しているばかりでなく、そもそも人間が持つ基本的な倫理、即ち、「誠実さ」に反している、と怒っています。

 中国にいて多くの人が感じるのが、今の中国の社会は「誠実さ」が全く尊重されていない「モラルハザード」の状態にある、ということです。先日書いたニセ薬やニセモノのテレビの話もそうですが、人間が社会で活動する上で最も重要視すべき「誠実さ」が今の中国にはないのです。よく多くの日本の人が勘違いしますが、現在の中国社会に蔓延している「不誠実さ」は中国の伝統でも中国の人々が昔から持っている性質でもありません。本来、中国の人々は、純朴で、人なつこく、親切で、誠実な人たちばかりです。「不誠実さ」が蔓延しているのは、「不誠実」でも罰せられない、むしろ「不誠実にうまく世の中を渡った方が得をする」という現在の社会システムのせいなのです。

 もともと中国共産党は、まじめさ、純真さ、誠実さ、をもって人々の心を捉え、革命を成功させたのでした。それがなぜ今こういう社会になってしまったのでしょう。上の評論でわかるように、多くの中国の人々もそうした「誠実さ」のない社会の問題点について「改善すべし」という声を挙げ始めています。こういった人々の「改善すべし」という声が、実際にシステムを改善させる方向で結集され、実際にシステムが改善されるようになることを期待したいと思います。

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2009年3月18日 (水)

中南海の向かいの住宅群の撤去工事開始

 今日(3月18日)付けの北京の新聞「新京報」の記事によると、北京の中心部、天安門前を東西に走る長安街の南側の国家大劇院から中国共産党中央組織部のある交差点の間とに残されていた古い住宅がある地区(対象面積約4万平方メートル、約700戸が住んでいる)の住宅の撤去作業が一昨日(3月16日)から始まった、とのことです。この撤去作業により、また古い北京の胡同(フートン:横町のようなもの)がいくつか消えることになります。

(参考)「新京報」2009年3月18日付け記事
「西長安街の拡張のための撤去作業が開始」
http://www.thebeijingnews.com/news/beijing/2009/03-18/008@022312.htm

 この場所は、中国共産党本部や共産党幹部の住居のある「中南海」の正面入り口に当たる「新華門」の長安街を挟んでちょうど真向かいのあたるあたりです。北京を東西に貫く大通りである長安街は、天安門から西へ歩くと、南側は、天安門前広場、人民大会堂、国家大劇院と巨大な建造物が続きますが、国家大劇院の西側は、まだ一般の住居が残っており、古い胡同もいくつか残されています。長安街沿いは、もうほとんど近代的なビル群として再開発されてしまっていますが、この一帯だけは開発されないで残っている数少ない貴重な部分でした。しかし、ついにここも取り壊されることになったようです。取り壊しの目的は「長安街の道路拡張と特殊用地にするため」とのことです。「特殊用地」とは何に使うための土地なのか、私は知りません。今年10月1日の中華人民共和国成立60周年の式典の際に、何らかのイベントをやるために使う用地なのかもしれません。

 中国の場合、土地の私有は認められておらず、都市部の土地は全て国有なので、国家が何かに使うために住んでいる人の立ち退きを決めたら、住民に拒否権はありません。一定の合理的な補償金が支払われた上で、住民は立ち退かなければなりません。今回の撤去作業が行われることになった場所は、北京市のど真ん中もど真ん中ですし、目の前の長安街の下には地下鉄も通っているので、場所的には最高の場所です。そのため、「新京報」の記事によれば、補償金も50万元(約700万円)程度と、かなり高い金額が出されるようです。ただ、この一帯は、住宅を売りに出すとすると評価額は1平米あたり25,095元(約35万円)程度する(北京の普通のマンションの価格の2倍以上)そうですから、50万元程度の補償金では、全然足りない、と考えている人もいるようです。しかも、代替地として提供されるのは、北京市内の昌平区東小口、朝陽区常営、海淀区上地といった郊外の土地で、都心に住み慣れた人には相当の不満があるようです。

 撤去予定地の住人たちに対して、どれくらい以前から話がなされていたのかは不明ですが、上記の「新京報」の記事によると、「表向き」の話としては、計画が公示されたのが2月20日、住居の撤去が公告されたのが3月6日で、実際の撤去作業の開始が3月16日ですから、相当に急な話のように見えます。10月1日の国慶節のイベントのために急に決まった話なのかもしれません。移転に合意して、実際に撤去工事が始まったのはまだ一部で、移転に合意していない人もいるようです。

 しかし、ここは場所的には中国共産党本部の真ん前ですから、ここで揉め事が起こったら、中国共産党のメンツに係わると党の幹部は考えるのではないかと思います。だから、住民と揉めないように、あまり無理をすることはないだろうし、必要とあれば補償金の額も上乗せすると思うので、揉め事になることはないと思いますが、もし10月1日の国慶節のイベントに使うため、という理由だとすると、時間的に期限が限られているので、かなり強硬な手段を採る可能性も否定できません。ここは、天安門前広場のすぐ近くですし、観光客や外国人もよく行く場所なので、何か動きがあったら、相当に目立つ場所です。

 今ある国家大劇院も、同じようにもともとあった古い住居の住人にどいてもらって作った建物ですし、この種の住居移転話は北京市内のどこででもやっている話だし、それに、長安街の両脇は全てビル群に変わるのは時代の流れでしょうから、この住宅撤去話自体はそう不自然ではないのですが、私の感覚からすると、何も建国60周年という「敏感な年」にこんな目立つところで揉める可能性のあることをわざわざやらなくてもいいのになぁ、と思います。

 北京オリンピックが終わってしまったので、次は「中華人民共和国建国60周年記念式典」を何が何でも成功裏に終わらせる、というのを「絶対目標」にして、引き締めを図ろうという意図があるのかもしれません。もしそうなのだとしたら、建国60周年は慶祝すべき話だと私も思いますけど、常に「これだけは絶対やるんだ」という「絶対目標」を常に掲げていないとまとめられない社会というは、やはりおかしいと思います。

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2009年3月17日 (火)

ニセ薬とニセテレビ

 以前ほどの「鋭さ」がなくなった最近の中国中央電視台第一チャンネル(総合チャンネル)19:38~放送の報道番組「焦点訪談」ですが、今週は久々に結構深刻な「告発もの」をやっていました。

 一昨日(3月15日)放送分は「ニセ薬」の話でした。「病院に薬を納入する業者が正式な証明書が添付されていない薬を納入した際、病院側が『証明書は?』と尋ねると、今回は間に合わなかったので、後ですぐに送ります、と言われたので、病院側はそれを信用して薬を受け取り、そのまま患者に処方した。しかし、いつまで経っても薬納入業者から『証明書』は送られてこず、そのうちに服用して体の不調を訴えた患者が出て、納入された薬がニセモノだったことがわかった。病院側では、薬を患者に渡した記録をきちんと取っていなかったために、ニセ薬がどの患者に渡されたのかはわからない。」という話でした。

 番組では、ニセ薬を作って売り込むニセ薬業者も問題だが、チェックの甘い病院側も問題だ、というような指摘をしていました。中国では、単なる風邪であっても、医者に掛かるのは命懸けです。

 今日(3月17日)放送分は、政府の内需刺激策として採られている「家電下郷」政策(農村で家電製品を買うと、一定の条件に当てはまる場合に価格の13%の補助金が政府から支給される制度)を悪用して、廃品テレビを改造して新品のテレビのようにして農村に売る悪徳業者の話をやっていました。この悪徳業者は、10年以上使った廃品テレビから、ブラウン管など、まだ使える部分を集めてきて、きれいな外枠をはめて、「家電下郷」政策を使ってテレビを買おうとする農民に対して、あたかも新品のテレビであるかのように売っていたのでした。新品テレビだと思って買って使っていたら、1か月たたないうちに故障したので、分解して調べてもらったらブラウン管が使い古しのものであることがわかった、というのが発端だそうです。

 ブラウン管の表面をきれいに拭き、外枠には新しいものを使っただけでなく、段ボールの包装は新品のものを使い、取り扱い説明書だけは新しく印刷したものを入れてあった、というのですから、相当に悪質です。

 一般に「中国製(メイド・イン・チャイナ)」の品質問題が日本などでも問題にされますが、私は基本的に日本で売っている中国製の製品はそれほど心配する必要はないと思っています。輸入する日本の商社が品質には厳しいチェックを掛けているからです。問題は中国製の製品を中国国内で買わざるを得ない中国国内に住んでいる私のような人間や中国の人々です。もちろんちゃんとした製品がほとんどなのですが、たまに「はずれ」の製品に当たる場合があります。私は薬の類は買わないようにしていますが、食べ物は買わないわけにはいかないので、毎日「今日は当たらないように」と祈りながら食べています。

 政府の取り締まり機関も一生懸命取り締まっているし、この「焦点訪談」のようにテレビやマスコミでも取り上げられるのですが、中国のニセモノはなくなりません。一連の「焦点訪談」の「ニセモノ問題特集」は、3月15日の「世界消費者保護デー」にちなんだ特集番組のようです。やはり、結局は、消費者の声を直接政府に訴えられるようなシステム、即ち、取り締まりをきちんとやらない地方政府のトップは住民によってクビにされるという直接選挙による民主制度がない、ということが中国の最大の問題なのでしょう。

 政治の民主化が進まない限り、中国国内におけるニセモノ追放キャンペーンとニセモノ業者のイタチごっこは永遠に続くと思います。

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2009年3月12日 (木)

人民代表大会制度についての議論

 今年の全国人民代表大会(第17期の第2回会議)が明日(3月13日)終了する予定です。今年の全人代は、開催期間がいつもより数日短めでした。全人大と同時並行的に開かれる全国政治協商会議も同じようにいつもより短めでした。なぜこの二つの会議(中国では「両会」と略称される)が今年は「短め」だったのかの理由は、たぶん何かウラがあるのでしょうけど、私にはわかりません。

 この二つの会議の開催期間中は、政治関係のニュースが毎日流されますが、今年の「人民日報」には、「人民代表制度は必要だ」という全人代の根本を擁護する記事が目立ちます。

(参考1)「人民日報」2009年3月11日付け1面記事
「根本的な政治制度 民主的な重要な媒体~人民代表大会を堅持し完全なものとするための一論~」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2009-03/11/content_209077.htm

(参考2)「人民日報」2009年3月12日付け10面記事
「党の指導を堅持し完全なものにすることは、人民代表大会制度による政治を保証するものだ」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2009-03/12/content_209794.htm

(参考3)「人民日報」2009年3月12日付け11面記事
「人民代表大会制度と西側議会制度の本質的な違いを十分に認識すべき」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2009-03/12/content_209857.htm

 多層的な間接選挙によって選ばれる「全国人民代表」による会議「全国人民代表大会」が国政を議論すること、全人代をはじめ全ての国家組織が中国共産党の指導を受けること、は、今の中国では「当たり前」のことで、今さら議論するような話ではありません。それなのに、そもそも全人代開催期間の終盤になって、「人民日報」にその「当たり前のこと」に関して現在の制度を擁護するような論文が「これでもかこれでもか」というように掲載されるのは何を意味しているのでしょうか。

 改革開放前と異なり、現在の全国人民代表大会の票決は必ずしも全会一致ではありません。かなりの数の反対票・棄権票が出ることがあります。そういったことを考えると、もしかすると、全国人民代表大会の議論の中で、全国人民代表大会のあり方についての議論が少なからず行われ、それを鎮めるために「人民日報」に評論がいくつも掲載されていると見ることもできます。

 「人民日報」では、昨年暮れ頃から、盛んに「民主化」や「中国共産党による指導」についての記事を掲載しています。従来の方針を擁護するものばかりであり、新しいことは何も言っていないのですが、むしろ「当たり前のことを口を酸っぱくして繰り返して訴えなければならない、ということ自体が、実は、水面下で、かなりの議論が行われていることを意味しているのではないか」という推測を私に起こさせるのです。

(参考4)このブログの2008年12月5日付け記事
「『人民日報』上での政治の民主化を巡る議論」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/12/post-44d1.html

(参考5)このブログの2008年12月8日付け記事
「『なぜ今も中国共産党なのか』に対する答」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/12/post-f9f3.html

(参考6)このブログの2009年1月6日付け記事
「『なぜマルクス主義堅持なのか』に対する答」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2009/01/post-2760.html

 これらの「人民日報」の一連の記事が昨年(2008年)12月9日にインターネット上にアップされたいわゆる「08憲章」に関する動きと関係があるのかないのか、私にはわかりません。しかし、地方政府幹部の腐敗阻止や環境汚染企業と地方政府との癒着を防ぐためには、政治体制改革、即ち、住民による直接選挙が不可欠であることについて、中国国内でも以前から広く議論されてきています。

(参考7)このブログの2007年5月30日付け記事
「中国の新聞に『根本は政治体制改革』との社説」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/05/post_f50b.html

 「08憲章」は一部の知識人による「意図表明」に過ぎず、幅広い多くの人々を巻き込んだ運動には成り得ない、という見方もあります。しかし、「人民日報」にこうした「根本問題」に関する論文が繰り返し掲載されるということは、中国の社会全体の中で、本当の意味での政治体制改革の必要性に対する認識が現実問題として高まってきていることを示しているのではないかと思います。

 世界的経済危機の中で、中国は輸出依存の経済体質から内需重視型の経済への転換を迫られています。日本の過去の歴史や韓国、台湾の過去を踏まえると、経済の重点が内需に移るに連れて、政治体制の民主化は必然的な流れとなっていきます。経済が内需重視型に移行する、即ち、国内の消費者の声を集約した経済体制を確立することが求められるようになると、それに連動して政治自体も国民全体の意見を正しく集約できるようなシステムが求められるからです。経済状況を見れば、今の中国は韓国や台湾の政治的民主化を進めた1980年代末から1990年代初頭のころの状況と似ています。

 上記(参考4)の中で引用している中国共産党中央編成局副局長で北京大学中国政府イノベーション研究センター主任の兪可平氏が述べている「中国の民主化は増量方式で発展している(少しずつ段階的に発展している)」という言葉の中身が、具体的な政治制度改革として目に見えてくることになるのかどうかが、今後のポイントになると思います。少なくとも、第17期全国人民代表大会第2回全体会議の最終日を明日に控えた今日(2009年3月12日)の時点では、そのような「具体的な改革」は見えてきていませんが。

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2009年3月 4日 (水)

「公式見解」すら報道されない微妙な案件

 3月2日北京発の時事通信の報道によれば、3月3日から始まった第11期全国政治協商会議第2回会議の開会を前にして3月2日に行われた政治協商会議の趙啓正氏に対する記者会見において、ボイス・オブ・アメリカの記者が1989年の「第二次天安門事件」の再評価について質問したとのことです。時事通信の報道によれば、趙啓正氏は、この質問に対して「80年代の政治的風波は、中国共産党と政府が既に明確な結論を出した」と述べた、とのことです。

 この記者会見は、インターネットで生中継され、質問と答えの一言一句は文字情報としてネット上に記録されています。「第二次天安門事件」に関する上記の趙啓正氏の話は、現在の中国当局の「公式見解」であり、趙啓正氏の答えは完璧な「模範解答」だと思うのですが、ネット上に記録されている「文字実録」には、上記のボイス・オブ・アメリカの記者との質疑応答の部分は記録されていません。3月3日付けの中国の新聞では、趙啓正氏の記者会見については大きく紙面を割いて報じていますが、上記の「第二次天安門事件」に関するやりとりの部分については、私が見た範囲では掲載されいている新聞を見つけることができませんでした。

(参考1)「新華社」ホームページ2009年3月2日
「全国政治協商会議第11期第二回会議第一回記者会見」
http://www.xinhuanet.com/2009lh/zhibo_20090302.htm

※上記のページで「文字実録」をクリックすると記者会見の一言一句が文字情報として確認できますが、時事通信が伝えたようなボイス・オブ・アメリカの記者とのやりとりはこの「文字実録」には載っていません。

 生中継されている記者会見の文字による記録をネット上に載せる際に、「微妙な問題」については、実際には質疑応答が行われたのにネット上の記録には載せない、ということは中国ではよくあります(日本の財務省のホームページの財務大臣記者会見記録にも、先日のローマでの「あのぉ~」という中川財務大臣の質疑応答部分は載っていないそうですので、こうした現象は中国だけのものとは限らないと思いますが)。ただ、趙啓正氏は中国政府にとって都合の悪いことは全く言っておらず、ほとんど完璧な「模範解答」であったにも係わらず、ネット上で記録されず、新聞で報道されず、あたかも「なかったこと」のようにされているのは、この部分、即ち「第二次天安門事件」については、完璧に「触れられたくない」という気持ちが中国当局に強いのだと思います。

 なお、北京から3月3日の時点でボイス・オブ・アメリカのホームページにアクセスしたところ、中国語版の部分にアクセス制限が掛かっており、中国語版にどのような記事が載っているのかを見ることができませんでした。

 これから中国では、3月10日のチベット騒乱50周年、5月4日の「五四運動」90周年、6月4日の「第二次天安門事件」20周年という「敏感な日」が続きます。昨年の北京オリンピックで、大幅にインターネットのアクセス制限等が改善された中国ですが、これら「敏感な話題」については、インターネットのアクセス制限や外国テレビの「検閲ブラック・アウト」が増えるのでしょうか。去年のチベット問題に起因する聖火リレーに関する報道に見られるように、むしろこういったネットのアクセス制限や外国テレビの「検閲ブラック・アウト」は、中国当局がどの部分に触れられたくないのか、という点をかえって浮き彫りにする効果があります。

 中国国内では、先日の「躱猫猫(ドゥォマォマォ=目隠し鬼ごっこ)事件」に見られるように、情報制限をしてもネット上で議論が「炎上」することは避けられないのが昨今の状況です。

(参考2)(「躱猫猫事件」についての参考)このブログの2009年2月24日付け記事
「監獄内の『目隠し鬼ごっ』で死亡」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2009/02/post-bcc5.html

 そういったネットでの人々の意見のやりとりが活発している現状において、記者からの質問に対する「公式見解」すら報道されない、といったやり方をいつまで続けることができるのでしょうか。

 そもそも今年は中華人民共和国成立60周年の記念の年なので、今年の全国政治協商会議(3月3日に開幕)と全国人民代表大会(3月5日に開幕)は、なんとなく緊張感のある会議となっています。それは各会議の出席者自身、未曾有の経済危機の中、真剣に、率直に意見を交わし打開策を見つけることが重要になっている、と考えていることと重なっていると思います。この二つの会議は中国にとって非常に重要な会議なので、「微妙な話」を「なかったこと」にするのでなく、きちんと真正面から見据えてきちんと議論して、中国にとって必要な結論を出して欲しいと思います。「文化大革命」の時期を反省し、中国共産党の過去の決定や毛沢東主席の誤りを率直に認めたことから出発した今の改革開放体制の中国ならば、それができるはずだ、と私は信じています。

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