« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »

2008年12月

2008年12月29日 (月)

山西省の政治協商会議主席交通事故死の疑惑

 今年10月に行われた第17期中国共産党中央委員会第3回全体会議(第11期三中全会)で、前山西省長の于幼軍氏が中央委員を解任されました(党籍は剥奪されず「監察処分」となった)。この決定は10月12日に行われたのですが、その前日の10月11日、山西省の政治協商会議主席の金銀煥氏(女性)が交通事故に遭って死亡しました。

(参考1)「新京報」2008年10月13日付け記事
「山西省政治協商会議主席、交通事故で死亡」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2008/10-13/008@023839.htm

※「政治協商会議」とは、中国共産党以外の民主党派(「共産党の指導」を受けることを前提に活動が認められている政党)等が作る会議で、中国共産党が作る政策について意見を具申することができます(ただし決定権はない)。中国政治協商会議は、中華人民共和国の建国時、共産党以外の党派や知識人の意見を集約し中国共産党が「反国民党」の立場で全中国をまとめるために作られました。中央に全国組織がある(主席は政治局常務委員序列ナンバー4の賈慶林氏)ほか、各地方にそれぞれの地方政府レベルに応じた地方組織があります。山西省政治協商会議主席は、政治協商会議の山西省の地方組織のトップです。

 山西省政府のトップはもちろん省長ですが、山西省政治協商会議主席も政策決定権限はないとは言え、山西省の政界ではトップクラスの有力者です。このため、山西省政治協商会議主席の交通事故死のニュースを聞いたとき、前山西省長の中央委員解任決定とのあまりのタイミングの一致に、私は「単なる交通事故ではないのではないか」との疑問を感じました。また、于幼軍氏が中央委員の解任が三中全会の結果を伝える「公報」の中の一項目としてわざわざ明記されていたことから、そもそも于幼軍氏の中央委員解任劇には何かウラがあるのではないか、とその時私は思ったのでした。

 その後、中国国内の一部の新聞で、山西省政治協商会議主席の交通事故死の疑惑について調査中、との報道がちょっと出たりしましたが、「何が疑惑なのか」については、全く情報がありませんでした。

 ところが、12月28日付けの「人民日報」ホームページの記事(「山西日報」の記事を転載したもの)では、この金銀煥氏が事故死した交通事故を起こした件について、山西省の忻州市政治協商会議副主席の李毅氏とその運転手の李志富氏に対する裁判が開廷したことが報じられており、その中で「疑惑の中身」についても触れられていました。

※忻州市政治協商会議は山西省政治協商会議主席の下部の地方組織です。

(参考2)「人民日報」ホームページ2008年12月28日14:32アップ記事(山西日報からの転載記事)
「山西省忻州市政治協商会議職員が運転する車が起こした交通事故で省の政治協商会議主席が死亡した件に関する裁判が開廷」
http://society.people.com.cn/GB/8590577.html

 この記事によるとこの「交通事故」のあらましは以下の通りです。

-----------------------
○山西省忻州市政治協商会議副主席の李毅氏は、自分が運転する車で山西省政治協商会議主席の金銀煥氏の載った車の右側を併走していた時、車線変更しようとしてコントロールを失い、李毅氏が乗った車の左側と金銀煥氏が乗っていた車の右側とが接触し、金銀煥氏の乗っていた車は反対車線に飛び出して横転した(中国では車は右側通行)。金銀煥氏と同乗者一人の二人は病院に運ばれた後死亡し、もう一人の同乗者も怪我をした。李毅氏は、車線変更時に安全を十分に確認しなかったこと及び彼の身体的条件が「車両運転免許証取得と使用に関する規則」に違反していたことにより、この交通事故の全責任は李毅氏が負うべきものであるものと認定された(金銀煥氏側の車に責任はないことが認定された)。

○李毅氏は事故発生の約50分後、自分の運転手の李志富氏に現場へ行かせ、事故の責任を李志富氏にかぶせ、警察当局に対して車を運転していたのは李志富氏であるとして事故の経緯について虚偽の説明をした。

○李毅氏はその後拘束され、「中国共産党規律違反条例」及びその他の関連法令により起訴された。
----------------------

 上記記事では、この案件はあくまで「交通事故」としてだけ述べられており、李毅氏が金銀煥氏に危害を加える意図があったのかどうか、なぜ事故時に忻州市政治協商会議副主席李毅氏の運転する車が山西省政治協商会議主席の金銀煥氏が乗る車のすぐ隣を走っていたのかについては、何も述べていません。これらの点が今後裁判の中で明らかになるのかどうかについても、何も述べていません。

 ただ、上記の事情を見たら、この交通事故の起きたタイミング(事故が起きたのが党中央で前省長の于幼軍氏の中央委員解任が決定する前日であること)と山西省政治協商会議は忻州市政治協商会議を監督する立場にある上部組織であることを考えるとき、ますますこの交通事故が「単なる偶然による交通事故」であるとは考えられなくなってしまいました。この交通事故は、山西省の政界を巡る何かの「どす黒い動き」による「事件」なのではないか、と思えてきます。

 この事件が「人民日報」ホームページに掲載されていることを考えると、党中央は本件を問題視し、きちんと処理しようとしている姿勢が伺えます。しかし、李毅氏の意図はどこにあったのかや李毅氏の背後に誰か「黒幕」がいるのかどうか、など、は今後も明らかにされない可能性があります。前省長の于幼軍氏は、党中央で中央委員を解任されたのですから、もしこの交通事故に「黒幕」がいて、その「黒幕」が党中央に関係している人だったりしたら、これは相当に大きなスキャンダルになる可能性があります。日本ならば、この手の「疑惑」は、週刊誌メディアなどが騒ぎ立てますが、中国にはそういうメディアがないので、このまま疑惑は解明されないまま終わる可能性が大きいと思います。

 山西省では、昨年(2007年)6月に明らかにされた拉致した労働者やこどもを奴隷のように働かせていた「悪徳レンガ工場事件」や相次ぐ違法炭坑での炭坑事故など問題が頻発しています。違法鉱山の鉱滓体積場が崩壊して200人以上の人が死亡した事件については、省長げ責任を取らされて解任されています。

(参考3)このブログの2008年9月22日付け記事
「社会的事件と担当する行政トップの辞任」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/09/post-5218.html

 于幼軍氏は、昨年6月の「悪徳レンガ工場事件」が起きたとき山西省長でしたが、この事件では辞任しませんでした。それどころか、その後、中央政界に戻って、文化部副部長となり、中国共産党の中央委員になっていました。

(参考4)私のブログの2007年6月23日付け記事
「悪徳レンガ工場事件で山西省長が謝罪」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/06/post_d370.html

 一方、「南方周末」(日本語表記は「南方週末」)の12月25日号では2008年に起きた3つの記者の拘束事件についてまとめて報じていますが、この3件のうち2件は山西省における事件を追っていた記者が拘束された案件です(残りの一件は遼寧省の案件=このブログの2008年1月7日付け記事で紹介した案件)。

(参考5)「南方周末」2008年12月25日号記事
「今年は『記者の拘束』が頻発、いずれも背後に疑惑の案件がある」
http://www.infzm.com/content/21691

 こういう周辺状況からすると、山西省は中央からの統制が届かず、省の党や政府が地元の公安当局と「グルになっていて」ほとんど「独立王国のような状態」になっているかのように見えます。

 胡錦濤総書記が最近「不折騰」(「寝返りを打つ」「いじめる」などの意味)という言葉で警告を発しているのは、地方の党組織・政府機関・公安当局・大手企業が全て癒着して「既得権益マシン」と化していて地方政府の内部でのチェック機能が働かず、地方の党と政府が強権を発動して人民を苦しめているような状況(あるいは環境汚染や労働者の就業状態などの面で違法状態にある企業を見て見ぬふりをしている状況)は、人民からの反発を呼び、中国共産党の危機を招く、と認識しているからでしょう。「人民日報」のホームページが山西省政治協商会議主席の交通事故死に関する裁判を伝える「山西日報」の記事を転載したのも、党中央のこうした危機感の表れだと思います。

 中国政府は11月に世界経済危機に対応して2010年末までに4兆元(約56兆円)にも上る大規模な景気刺激策を打ち出しました。こうした大型の景気刺激策が動き出すと、またぞろこういった地方の「既得権益マシン」が動き出して景気刺激策プロジェクトによる利益を独占する危険性が強くなります。多くの中国人民は、こういった「既得権益グループ」の動きに対し、胡錦濤総書記が強力なリーダーシップを発揮して、断固対処して欲しいと思っていることでしょう。もし胡錦濤総書記が断固たる処置を採れば、中国人民は大いに胡錦濤総書記を支持しバックアップすると思います。「既得権益グループ」は、強力な「抵抗勢力」になると思いますが、そういう抵抗を乗り越えて、本当の「改革」を進めて欲しいと思います。

| | コメント (0)

2008年12月27日 (土)

「南方周末」笑蜀氏の「不折騰」論

 12月18日の改革開放30周年記念大会の「重要講話」の中で胡錦濤総書記が述べた「不折騰」という言葉について、12月25月号の「南方周末」(日本語表記は「南方週末」)の「評論」特集の「方舟評論」という欄で、「南方周末」論説委員の笑蜀氏が評論を書いています。

(参考)「南方周末」2008年12月25日号評論
「一般庶民の日々の生活を『折騰』させては(寝返らせては)ならない」(原文)
http://xiaoshu.z.infzm.com/2008/12/25/%E4%B8%8D%E8%A6%81%E6%8A%98%E8%85%BE%E8%80%81%E7%99%BE%E5%A7%93%E7%9A%84%E5%B0%8F%E6%97%A5%E5%AD%90%EF%BC%88%E5%8E%9F%E7%89%88%EF%BC%89/

※上記のホームページ上の文章は「原文」であり、実際に紙面に掲載されている文章とは若干異なります。しかし、以下に掲げる議論のポイントは基本的にホームページ上の文章と紙面の文章とでは同じです。

 この中で、笑蜀氏はポイントとして次のように書いています。

------------------

○唐や宋の最盛期は「不折騰」だった。即ち、権力は自分を制限し、国家は社会が進歩するのに任せ、社会の自由は拡大した。逆に秦や隋が短期間で滅亡したのは、権力の自己膨張により、朝廷が社会を侵犯した、別の言葉で言えば「折騰」したからである。

○1990年代以降が1980年代と異なるというのであれば、最も重要なのは発展方式が違うということだ。1990年代以降は、政府主導モデルが盛んになり、富や資源が政府に過度に集中し、権力が過度に政府に集中したのである。

○有効なコントロール機構が欠けている中、過度に強い政府は往々にして社会の自由を抑圧し、一般庶民の日々の暮らしの権利を抑圧したのである。つまり言い換えれば、一般庶民を「折騰」させる可能性を増大させたのである。

○このことは「改革」を変質させた。一部の場所では「改革」と「折騰」は同じ意味になった。国有企業の改革が必要だとなれば「管理者による購入」運動が起き「料理する人が大釜の飯を私的に独占してしまう」現象が起きる(注:国有企業資産の私物化のこと)。都市化が必要だとなれば、強制移転運動が起き、結果として政府は土地による暴利を独占する。彼らは往々にして戦車のように無情にも一般庶民の日常の暮らしを押し潰し、大量の社会矛盾と衝突を起こしているのである。

○一般庶民の日々の暮らしは社会安定の基盤であり、日々の暮らしを守ることは必須である。その意味で「高層」が明確に「不折騰」を提示したことは、特に大きく取り上げるべきだし、全力を上げて実現させるべきことである。

○最も重要なのは一般庶民に「折騰」に抵抗する権利を与えることである。「折騰」するコストが収益よりも高くなれば、「折騰」は自然と消えるのである。

--------------------

 「高層」とは、もちろん胡錦濤総書記のことです。これはやはり私が昨日のブログで書いたように、胡錦濤総書記が述べた「不折騰」という言葉は、強いメッセージなのだ、と笑蜀氏も考えたようです。

(参考2)このブログの2008年12月26日付け記事
「胡錦濤総書記の謎の言葉『不折騰』」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/12/post-2c5d.html

※「不折騰」の意味については、上記(参考2)の記事を御覧下さい。

 この「不折騰」という言葉を巡る議論は、今後とも目が離せそうにありません。

| | コメント (0)

2008年12月26日 (金)

胡錦濤総書記の謎の言葉「不折騰」

 去る12月18日に現在まで続く改革開放政策を決めた中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議(第11期三中全会)の開催から30周年を記念する「改革開放30周年記念大会」が開かれました。この会議で、胡錦濤総書記・国家主席が「重要講話」を行いました。この「重要講話」の内容は、「これからも中国の特色のある社会主義の道に従って改革開放路線を進む」「西側諸国のような三権分立制度は絶対に導入しない」といったことで、今までと路線の変更は全くないことを示すもので、その意味では、新しい部分はありませんでした。

 しかし、この胡錦濤総書記の「重要講話」の中でちょっと気になるくだりがありました。「我々は、動揺せず、怠けず、寝返りを打たずに改革開放の推進を堅持し、中国特色のある社会主義の道を進むことによってのみ、大きな計画を成し遂げ目標を達成することができるのである。」と述べた部分です。この部分が、今、中国のネットワーカーの間で話題になっています。「動揺せず、怠けず、寝返りを打たず」の部分は、中国語では「不動揺、不懈怠、不折騰」となっています。「動揺」「懈怠(けたい:なまけること)」は日本語でも使われるように、中国語でも普通に使う言葉なので誰も不自然には感じませんでしたが、「折騰」という言葉は、この種の演説には使われない言葉なので、多くの人が違和感を感じたようです。

(参考1)「新華社」ホームページ2008年12月18日15:06アップ
「胡錦濤総書記の第11期三中全会開催30周年記念大会での講話」(7分割のうちの第6部分)
http://news.xinhuanet.com/newscenter/2008-12/18/content_10524481_5.htm

 辞書で調べると「折騰」と言う言葉は、「寝返りを打つ」という意味ですが、ほかに「いじくり回す」「むやみなこと(無茶なこと)をする」「苦しめる。痛めつける」という意味があるほか「身悶(もだ)えする」という意味でも使うようです。胡錦濤総書記が何を言いたかったのかは、今ひとつハッキリしません。胡錦濤総書記の重要講話は基本的に前々日と前日に「人民日報」に掲載された「任仲平」署名の評論記事の内容を踏襲したものになっています。しかし、「人民日報」の「任仲平」署名の評論記事には「不折騰」という言葉は登場していません。

※「任仲平」とは特定の人物ではなく「『人』民日報『重』要『評』論」の意味を持つグループによる集団討議の結果書かれる評論です(「任仲平」は「人重評」と中国語では同じ発音)。

(参考2)このブログの2008年12月16日付け記事
「『人民日報』の改革開放30周年評論(前半)」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/12/30-3c83.html

(参考3)このブログの2008年12月17日付け記事
「『人民日報』の改革開放30周年評論(後半)」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/12/30-b9ef.html

 12月22日付けの「新華社」ホームページに掲載された解説では、「不動揺、不懈怠、不折騰」という言葉は、胡錦濤総書記が警鐘を鳴らすために述べた言葉であり、改革開放30年の経済成長の中で、驕りたかぶってはならない、保守的で新しいものを受け入れようとしないような態度を取ってはならない、と述べたものなのだ、としています。

(参考4)「新華社」ホームページ2008年12月22日08:13アップ解説
「不動揺、不懈怠、不折騰」(動揺せず、怠けず、寝返りを打たず)
http://news.xinhuanet.com/theory/2008-12/22/content_10539949.htm

 一方、12月26日付けの「中国青年報」に掲載された陳季冰という人が書いた評論では「『折騰』とは無計画に激しい方法で現在の体制を変えようとすることである。」と解説しています。

(参考5)「中国青年報」2008年12月26日記事(「新華社」ホームページに転載されたもの)
「時事評論:改革開放では、いかにして寝返りを打たないことを確保するか」
http://news.xinhuanet.com/politics/2008-12/26/content_10560041.htm

 さらに、この評論では、ポイントとして次のように述べています。

---------------------

○「不折騰」の主語は誰なのか。筆者のような庶民からすると、今日は仕事を辞め、明日は不動産や株式市場の売買で金儲けし、あさってには別の都市に引っ越してしまうような人が、一種の「折騰」(寝返りを打つ)人だと思えてしまう。その人がただの個人なら問題はないが、区、市、省の政府の人だったら影響は大きくなる。

○功名心に走り、大きなことをして手柄を立てようとする地方政府の「折騰」については、やればやるほどその程度が激しくなっているところが少なくない。

○ここで言う「不折騰」の主語は政府と考えるべきだろう。ただ、当然のことながら現状を変えようという政府の努力を全て「折騰」と見てはいけない。政府が行う行為を「折騰」なのか、「創新」(イノベーション)なのかを見極めなければならない。その見極めをする方法は、人類の経験からすると二つある。一つ目は、ふさわしい政府職員を選抜して政府が「折騰」しないようにさせることであり、二つ目は、一般庶民による政府に対する強力な監督体制を作ることである。明らかに後者の方が根本的な解決策である。職員にしろ、政府にしろ、世界の中で誤りを犯さない者などないのだから。

○もし一歩譲って、大多数の民衆の見方が誤っていて、政府の中に卓越した素晴らしい見識を持つ職員がいる、という状態が常に存在している、と仮定したとしても、それでも政府は、政策を進めるためには、「民衆の考え方は遅れている」とか「民衆の観点は狭い」として民衆の意見を反映しないようなやり方をすれば、政府の政策は進めるに当たって大きな困難を招くだろう。胡錦濤総書記は、講話の中で、政策は「人民が支持しているかいないか」「人民が賛成するか不賛成なのか」「人民が喜ぶのか喜ばないのか」「人民が了承するのかしないのか」を出発点とすべきだ、と述べている。

○「不折騰」の実現を保証するためには、民主政治を強力に進めて政治体制改革を進めることが必須である。政府は、真に法律に基づいて人民が付与した権力を行使し、人民による監督と審査を受けなければならないのである。

------------------

 もし、胡錦濤総書記が「不折騰」という言葉を、この「中国青年報」の評論の筆者である陳季冰氏が考えるような意味で使ったのであれば、胡錦濤総書記は、権力を傘に人民の意向を聞かずに強引に政策を進める地方政府の行為を民主的な方法によって人民の手で監督して縛って「不折騰」(寝返りを打たない)ようにすべきだ、と主張したことになります。「中国青年報」は、共産主義青年団(共青団)の機関紙であり、共青団出身の胡錦濤総書記とは近い関係にあると言われています。従って、上記のような想像は、あながち的はずれではない可能性があります。

 「人民日報」の評論の中では使っていなかった「不折騰」という言葉を胡錦濤総書記が改革開放30周年記念大会の重要講話の中で使った、というのは、意外に強力なメッセージだったのかもしれません。「人民日報」の「任仲平」署名の評論は、多くの人が討論して何回も書き直して作る文章なので、地方政府を民主的政治体制改革によって縛る、というようなメッセージは入れられなかったが、胡錦濤氏が総書記権限で書き込める自分の講話の中に自分の考えを「メッセージ」として埋め込んだ、と考えることもできると思います。

 もともと、胡錦濤総書記は、1987年1月に民主化を求める学生運動に理解を示していたとして解任された胡耀邦総書記(この方も共青団出身)を尊敬している、と言われています。そもそも今回の胡錦濤総書記の改革開放30周年の「重要講話」では、1987年の第13回党大会で趙紫陽総書記が提唱した「社会主義初級段階論(建国後100年程度(=2050年頃まで)は社会主義の初級段階が続く、という考え方)を繰り返し述べています。趙紫陽総書記も、1989年の「政治風波」の中で民主化を求める学生たちの動きを容認したとして失脚した人です。こういうことを考えると、何年か経ってみると、この「不折騰」という言葉は、複雑な党内情勢の中で胡錦濤総書記が自らのメッセージを込めた重要な言葉だった、と振り返ることになるのかもしれません。

| | コメント (1)

2008年12月23日 (火)

「南方周末」の改革開放30年記念特集

 「南方周末」(日本語表記は「南方週末」)を含むいくつかのメディアを統括する「南方メディア集団」の江芸平副編集長が更迭された話は先日このブログで書きました。

(参考1)このブログの2008年12月14日付け記事
「2008年12月前半のできごと」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/12/200812-6baa.html

 江芸平副編集長が更迭された後に発行された「南方周末」の改革開放30年記念特集号(上)(2008年12月11日号)の状況については、上記の記事に書きました。改革開放30周年記念日である12月18日号の改革開放30年記念特集号(下)も、基本的にはこれまでの「南方週末」が持っていた方向性と基本的には変わっていないように私は思いました。

 この号の最初の特集は「改革の八賢」として改革開放に功績のあった8人の業績を紹介しています。その特集の最初に「常識に出会って春の花が開いた」と題する「南方周末」紙論評論員の郭光東氏の評論が載っています。

(参考2)「南方周末」2008年12月18日号評論
「常識に出会って春の花が開いた」(郭光東)
http://www.infzm.com/content/21342

 この評論では30年前の第11期三中全会の決定がそれまでの「文化大革命」の誤りを正し、「常識」を引き戻した、と書いています。改革開放30年を振り返る評論としては、普通の論調ですが、その表現は結構辛辣です。例えば、いくつかのポイントを挙げれば以下のとおりです。

------------------

○あの当時(注:文化大革命の時期)の人々は、穀物や野菜には関心がなく、社会主義の草は要るけれども、資本主義の苗は要らないと言っていた。天と闘うこと、地と闘うこと、人と闘うことに陶酔し、毎年毎年、毎月毎月演説し、毎日毎日階級闘争をやっていた。あの当時の人々は偉大な指導者を頂いており、英明な指導者はどんな親しい人よりも大事だと思っていた。

○あの当時も人々は盲従していたわけではなかったけれど、「文革は左の誤りだ」「個人崇拝はおかしい」といった本当のことを言った張志新は、無惨に喉を切られて虐殺された(注:張志新は、文革当時遼寧省党委員会宣伝部にいた女性幹部。林彪・江青らの文革グループを批判して逮捕され1975年に死刑となった。改革開放後の1979年に名誉回復された)。当時の指導的立場にいた良識を持った人たちも、打倒されるのを避けられず、家族もひどい目に遭った。あの時は最高指導者の言葉の一言一句は真理だったので、最高指導者の決めたことや指示に対しては人々は従わなければならなかった。

○これがずっと続いていたら今の中国はある隣国の現状のようになっていただろう(注:「ある隣国」とは北朝鮮のことを指すことは明らか)。それを思うと、30年前に中国の命運を変えた元勲の方々には敬意を表して、し過ぎることはない。

○とは言え、当時の元勲の方々の理念が崇高だったわけではない。彼らは、単に「貧しいことが社会主義ではない」「『一切は階級闘争のためにある』というようなことをこれ以上続けたら地球上に居場所がなくなってしまう」と思っただけなのである。彼らの経験から、国があのような状態を続けたら、政府幹部から一般人民に至るまで、全ての人の人権がなくなってしまう、と思っただけなのである。これは、ごく普通の一般の人が考えていた明白な常識であった。彼らは常識を捨て去ってはならないと決めたのである。

○人類の社会生活において最も貴重なのは、偉大な人物の著作でもなく、指導者の演説でもなく、ごく普通の人の常識なのである。トウ小平氏は、政策は「人民が賛成するかしないか」「人民が喜ぶかどうか」で決めよ、と述べた。これこそが「常識に従え」ということなのである。

○常識を敵とするような政策決定には大きな代価が付いてくる。我々は今年が「大躍進政策」50周年であることを忘れてはならない。指導者の一声で、人々は、イギリスを超えよう、アメリカを超えようと頑張り、資源を消耗させ、数千万人の餓死者を出すという悲劇的な人類史上最大の飢饉をもたらしたのである(注:毛沢東の提唱で1958年に始まった「大躍進政策」は、その後の3年間、農業生産の停滞を招き、自然災害とも相まって、極端な食糧不足を招いて数千万人の餓死者を出したと言われている)。

○改革開放は常識への回帰をもたらした。しかし、改革開放の過程でも、まだ「もうちょっと計画経済を強めよう」「もうちょっと市場経済を強めよう」という議論にさらに10年余の時を要した(注:1980年代及び1989年の事件の後1992年にトウ小平氏が「南巡講話」で市場経済化を進めようと方向性を定めるまで、保守派と改革派の間で市場経済化の程度に関して議論が続いたことを指す)。

○この30年の「中国の奇跡」はまさに「常識の勝利」なのである。しかし、まだ改革は終わってはいない。我々は再び常識に戻り、改めて常識から出発しなければならない。経済、政治、民生、文化等多くの領域で改革を進めるには、その根本にある多くの迷信を捨て去り、一般大衆の常識を集めてそれを広めなければならないのである。多くの常識を集める方法は、即ち、一人一人の個々人が自分の意見を言うことによって物事を議決するシステムを作ることである。これが社会生活における最大の常識なのである。

--------------------

 現在の改革開放政策は「文化大革命は大きな誤りだった」「1958年の大躍進政策や文化大革命の発動など毛沢東主席も晩年にはいくつかの誤りを犯した(しかし、革命を勝利に導き新中国を成立させたという点で、総合的に見れば毛沢東主席の功績は極めて大きい)」という認識からスタートしています。従って、上記の評論は、現在の党指導部の考え方からずれていません(だから出版されることを許されたわけです)。ただ、最後の一文は、議会制民主主義を確立せよ、それが世界の常識なのだ、という主張にも見えるので、現在の中国の「枠」から一歩踏み出していると思います。

 いずれにしても、上の評論の表現は、一般市民向けの新聞に載る文章としてはかなりハッキリしたことを書いていると思います。文化大革命に関する記述しかり、大躍進に関する記述しかりです。名指しこそしていませんが、大躍進期や文化大革命の時期の毛沢東主席の位置付けをハッキリ批判的に書いてあるのも印象的です。改革開放初期(1980年代)には、学者の書いた専門的な本などにはこういう表現はあったろうと思います(当時の新聞は今ほど自由には文章を書いていなかった)が、1989年の事件以降、党の求心力を維持するために毛沢東主席のカリスマ性に頼る傾向がある現在の中国共産党のやり方からすると、結構、突っ込んだ表現だと思います。しかも学者の専門書ではなく、一般市民が気軽に買って読める新聞にこういった表現が出てくることに時代の流れを感じます(副編集長が更迭されても「南方周末」は何も悔い改めてはいない、ということなんでしょう)。

 なお、この号の「南方周末」で取り上げている「改革の8賢人」の中には胡耀邦元総書記が含まれています。先日このブログのひとつ前の発言の「改革開放30周年記念日が終了」で書いたように、商務部や中国共産党対外宣伝弁公室等が主催している「中国対外開放30周年回顧展」では、胡耀邦氏は全く無視されていました。客観的に言えば、改革開放を進めた功労者の中に胡耀邦氏が入るのは当然です。ただ、さすがに「南方周末」とは言えども、趙紫陽氏(元総理、元党総書記)を「改革開放の貢献者」としてピックアップすることはできなかったようです。趙紫陽氏は1989年の事件の処理を巡って失脚した本人ですからね。その意味では、まだ「南方周末」と言えども1989年の事件を客観的に論じることはできない、ということなんでしょう。

 (参考1)で書いた12月11号の「南方周末」では一時的に消えていた「時局・天下」「評論(自由談など)」の特集ページは、12月18日号では元に戻っています。副編集長の更迭は内容の変更には影響がなかったようです。(読者に見えないところで、ではいろいろな葛藤があるのかもしれませんが)。いずれにしても「南方周末」の切れ味が落ちていなくて安心しました。たぶんこれからも毎週買って読むと思います。

| | コメント (0)

2008年12月21日 (日)

改革開放30周年記念日が終了

 2008年12月18日は、改革開放政策を決めた中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議(第11期三中全会)から30年目の日、ということで記念式典が行われ、胡錦濤中国共産党総書記・国家主席が重要講話を行いました。

(参考1)「新華社」ホームページ2008年12月18日15:06アップ
「胡錦濤総書記による党の第11期三中全会30周年記念大会での講話」
http://news.xinhuanet.com/newscenter/2008-12/18/content_10524481.htm

 講話の内容は、「今後も中国の特色のある社会主義の路線を守って、改革開放を進めていこう」ということで、新しい内容を含むものではありませんでした。前々日と前日に「人民日報」に載せられた「任仲平」署名の論評と同じ路線と言ってよいと思います。

(参考2)このブログの2008年12月16日付け記事
「『人民日報』の改革開放30周年評論(前半)」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/12/30-3c83.html

(参考3)このブログの2008年12月16日付け記事
「『人民日報』の改革開放30周年評論(後半)」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/12/30-b9ef.html

 私としては、30年を回顧する中で、1989年の事態をどのように捉えるのか、に関心がありました。今回の胡錦濤総書記の講話では、「東ヨーロッパの激変」「ソ連の解体」「厳しい国内の政治風波」などを例に挙げて、これらに対して党と人民が心を一つにして対処してきた、と述べています。1989年の事態に触れているのはここだけです。「国内の政治風波」という表現で触れていますが、胡錦濤主席が1989年の事態に触れることはこれが初めてではなく、2004年8月22日に開かれたトウ小平氏生誕100周年記念大会での演説の中でも同じような表現で述べているとのことです。

(参考4)「MSN産経ニュース」上の伊藤正(産経新聞中国総局長)「トウ小平秘録」
「第1部:天安門事件(2)格差と腐敗の中華振興」
http://sankei.jp.msn.com/world/china/070216/chn0702160357022-n1.htm

 一方、昨日(12月19日)から12月30日までの予定で、北京市内で「中国対外開放30周年回顧展」が開かれています(主催は、中国商務部、中国共産党対外宣伝弁公室、中国共産党中央分権研究室、新華社通信社)。この回顧展は、商務部の主催なので、この30年間の対外貿易や中国国内の経済の発展などが展示の中心なのですが、展示の導入部分のところに30年間の大きな流れを解説する部分ばあります。この導入部では、この30年間を三つの部分に分けて説明しています。第一は「トウ小平の時代」で1978年から1980年代の部分、第二は「江沢民の時代」で1989年~2002年までの部分、第三は「胡錦濤の時代」です。

 第一の部分で、1989年に関する部分としては、1989年6月9日(事態平定の5日後)にトウ小平が首都戒厳部隊幹部に接見した時の写真が掲げられており、トウ小平氏がこの時「中国は鎖国してはならず、鎖国政策はわが国にとって極めて不利になる」と述べたとの解説があり、トウ小平氏は、一貫して改革開放路線を推進してきたことを強調しています。この展示で、1989年6月に北京に戒厳令が敷かれていたことはわかるのですが、それ以上の情報はこの展示を見ただけでは何もわかりません。

 そのほか、1980年代の部分では、改革開放を進めるべき、とするトウ小平氏のいろいろな場面での発言が紹介されています。一方、1987年の第13回党大会で「中国は現在社会主義の初級段階にあり、改革開放を進め、対外的な経済的交流を進めなければならない」とする初級段階論が打ち出されたことも紹介されています。この「初級段階論」では、「社会主義の初級段階は少なくとも中華人民共和国建国後100年間(つまり2050年頃まで)続く。その間は発展のための努力を続けなければならない」とされており、(参考1)で述べた今回の講話の中で胡錦濤総書記も同じことを言っています。

 1987年の第13回党大会で「社会主義初級段階論」を打ち出したのは当時党書記だった趙紫陽氏でした。しかし「中国対外開放30周年回顧展」の展示では、現在の胡錦濤総書記も踏襲している「社会主義初級段階論」の路線を打ち出したのが誰なのかの説明が全くありません(トウ小平氏の発言については、発言を掲げた後「~トウ小平~」と書いてあり誰の発言であるのかを明確にしてあるにも係わらず、です。この「回顧展」では、1980年代のいろいろな写真が展示されていますが、趙紫陽氏(国務院総理、1987年1月以降は党総書記)や胡耀邦氏(1987年1月まで党総書記)の写真は全くありません。胡耀邦氏は、1986年末の学生運動に対する対処が適切でなかったとして1987年1月に失脚し、趙紫陽氏は1989年の戒厳令が敷かれた事態に対する対処が適切ではなかったとして失脚しているからです。

 というわけで、胡錦濤総書記の講話でも、「中国対外開放30周年回顧展」の展示でも、「政治風波があった」「首都に戒厳令が敷かれていた」ということは示されていますが、それが何であって、何があったのか、その過程でどういう人物がいたのか、については全く触れていません。胡錦濤総書記の講話でも「30年周年回顧展」でも、トウ小平氏、江沢民氏(党総書記、国家主席)の功績については触れていますが、1989年の事件の以前の党と国家の指導者であった胡耀邦氏、趙紫陽氏には全く触れておらず、まるで1980年代には党の総書記も国務院総理もいなかったかのような扱いです。

 何か問題があるのであれば「こういう問題があった」と批判的立場から回顧することも可能だと思うのですが、そうではなく「全く触れていない」のです。当時を知らない今の若い人たちは、これをどう感じるのでしょうか。

 なお、「中国対外開放30周年回顧展」は入場無料ですが、入り口のところで身分証明書のチェックがあります。身分証明書を提示すると、無料の入場券をくれるのです。ショッピング街の中にある展示場でやっているのですがガラガラでした。

 来年は1989年の事件から20年目の年であり、また中華人民共和国成立60周年の記念の年でもあります。過去の歴史の大きな事件について「触れない」「触れはするけれども何も説明しない」という態度(これは「何もなかったことにする」という態度に通じます)がどこまで通用するのか、党や政府のそういった態度を中国の人々がどう思っているのか、2009年はその答のひとつが現れる年になるかもしれません。

 改革開放30周年記念の行事が終わったことで、本当にいろいろなことがあった中国の2008年もいよいよ終わりです。静かな年の瀬になることを祈りたいと思います。

| | コメント (0)

2008年12月17日 (水)

「人民日報」の改革開放30周年評論(後半)

 昨日に引き続き今日(12月17日)も「人民日報」1面の下の方に「任仲平」署名の評論が載っていました。

(参考)「人民日報」2008年12月16日付け1面評論
「歴史的契機が我々の把握を待っている~改革開放30周年に際して(下)~」(任仲平)
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-12/17/content_159030.htm

 この評論では、ちょうど改革開放30周年のタイミングで世界でも経験したこのとのない強烈な金融危機が中国にも襲い掛かっていることに対して、果敢に立ち向かって行こう、と呼びかけています。

 この評論では、18世紀半ば、西洋諸国からの武力による衝撃によって中国五千年の歴史の中での近代化が始まり、100年にわたる苦闘の末、新中国が成立し、中華民族を復興させるひとくぎりの偉大な革命が達成された、としています。そして、改革開放の道を開いて「中国の特色のある社会主義」の道を歩んできた、一定の水準の安定した生活を得るまで十数年にわたり奮闘し、近代化の基本を実現させるにはなお数十年必要だとしています。また、確固たる発展した形の社会主義制度を確立するには数世代必要であり、十数世代ないし数十世代にわたって努力を続ける必要がある、としています。

 1987年の第13回中国共産党第13回全国代表大会で、当時の趙紫陽総書記が「中国は今まだ社会主義の初級段階にあり、この段階は建国後約100年間(つまり2050年頃まで)続く」との現状認識を示しましたが、上記の評論の認識も基本的にそれと同じ認識に立っています。

 第13回党大会の時、私は北京に駐在していて当時の趙紫陽総書記の演説を「そんなもんかもしれないなぁ。中国は変化するのに時間が掛かるからなぁ。」と思っていました。ただ、その時は2050年までまだ60年もあったので「そんなもんかなぁ。」と思っていたのですが、現在までにそれから既に20年が経過しました。しかし、中国は確かに経済発展はしましたが、社会的構造の面ではほとんど変わっていないと私は思っています。趙紫陽総書記が語っていた2050年まで、あと40年ちょっとしかありません。今まで20年間の変化のペースのままでは、2050年までには「社会主義の初級段階」は終わらないのではないかと思います。

 上の「任仲平」氏の評論は、「社会主義制度の確立には数世代必要であり」と言っていますが、その次の十数世代、数十世代にわたって努力を要する期間は社会主義制度が続くのかどうかについては言及していません。そんな先のことはわからない、ということなのでしょう。ですから、2040年~2050年頃以降の中国がどうなっているのか、を頭に想定しつつ、今から何をしていく必要があるのか、を考える必要があるのだと思います。

 転載と削除が繰り返されている「ネット上の文書」は、「最終的な絵姿」が書いてあるだけで、そこまでに至る過程をどうするか、については何も書かれていません。ほんとうはその「過程」が大事なのであって、どういう「過程」を採るのか、は大いに議論をする必要があります。「過程」を議論するためには、まずその先の目標をどうするのか、について議論する必要があるのですが、現時点では、その最終目標のひとつの考え方が「削除」の対象になっていて、議論の俎上(そじょう)に上げることができないのが現状です。そうした状態なので「過程」の議論ができない、というのが最も大きな問題なのだと思います。

 実際に中国が変わるのは、数世代先、つまり2040年~2050年頃の話だと思いますので、そこにどういう将来像を描くか、そこに行き着くまでにはどういう「過程」を通るべきか、について、今から少なくとも議論はしていかないと、中国は時代の流れに取り残されてしまうのではないかと私は心配しています。

| | コメント (0)

2008年12月16日 (火)

「人民日報」の改革開放30周年評論(前半)

 今日(12月16日)付け「人民日報」の1面の下の方に出た「任仲平」という署名入りの「30年の変わらぬ時代の呼び声~改革開放30周年に際して(上)~」と題する評論が掲載されました。

 「任仲平」とは特定の人物ではなく、「人民日報」が重要な論評を書くときのペンネームだと言われています(「『人』民日報『重』要『評』論」の『 』内の3文字は中国語で「任仲平」と発音が同じ)。(なお、「人民日報」には、似たような署名として「仲祖文」(「中国共産党『中』央『組』織部『文』章」)というペンネームの文章が載ることがあります)。

(参考1)「人民日報」2008年12月16日付け1面評論
「30年の変わらぬ時代の呼び声~改革開放30周年に際して(上)~」(任仲平)
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-12/16/content_158571.htm

 この論文は「世界的金融危機により、従来の自由資本主義の見直しが議論される中、「中国モデル」に注目が集まり、「中国の特色のある社会主義」に対する評価が行われている、というところから書き始めています。

 評論のポイントは以下のとおりです。

○この30年間に最も大きく変わったのは「人」であり、最も恩恵を受けたのも「人」であり、最も大きな原動力を発揮したのも「人」であった。農村経済は活性化し、数年で「何とか食っていける」状態に達し、労働者には週休二日制が普及し、権利が社会の基本的話題となり、村民委員会で直接選挙が実施され、戸籍制度の殻が破れて全国的な人口の大流動が起こり、この「人民共和国」において、個々人に対する変化がだんだん具体化されてきているのである。

○30年経ち、多くの問題も生じている:貧富の格差、都市と農村の格差、雇用問題、社会保障問題・・・。今は当初の頃の「一部の人が先に豊かになってよい」という時代から「パイをいかにして分配するか」という公平主義と社会の和諧促進の問題が重要な時代になってきた。

○商鞅(秦の官僚)の改革、王安石(宋の時代の官僚)の改革、戊戌の改革(1898年:清末の改革)は短い時間で終わりを告げ、改革者は流血と生命の代価を支払った。それに対して、20世紀、1970年代末から始まった現在の中国の未曾有の新革命では、終始、執政党の強力な指導により、その堅牢な政治的保証を利用して、30年を「一気呵成」にことを動かしてきた。

○30年の改革開放は、中国共産党の執政方法にも巨大かつ深刻な変化をもたらしてきた。30年の政治文化の一歩一歩の歩みは、全て執政党としての自己完全化の歩みでもあった。

○30年を顧みれば、「価格制度の難関突破」「経済の『軟着陸』」「『ソ連・東欧の激変』」「『八九風波』」「アジア金融危機」「世界的金融危機という津波」...といった一連の重要な歴史的難関に対して、中国共産党は、歴史に対して責任を負い、人民に対して責任を負う、という勇気をもって、全力をもって改革開放の船を進めてきている。著名な中国問題の専門家で元在中国ドイツ大使のコンラッド・セイツ氏(音訳)は、「中国が、次々と現れる悲観主義者たちに反駁し、様々な問題に立ち向かってこられた原因は、中国には強力な指導者層がいたからだ。」と指摘している。

○改革開放は、いまだかつて誰も経験したことがない、まだ完成していない道である。様々な歴史的要素が変化する中で我々が選択し終始変化させずに堅持しなければならない道とは「党と人民とが心をひとつにして、時代の流れに順応して改革開放を進め、行く先を完全に正しい方向に向け、結果に対する不寛容な態度を避け、停滞と後退には出口がないことを理解すること。」である。改革は未だ終わっていない。中国はまだその途上にあるのである。

-------------------

 上記評論の中にある「この『人民共和国』において・・・」という部分は、最近ネットに掲載され、人々による転載と当局やネット管理者による削除との「いたちごっこ」状態となっている文書の中にこういった表現があることから、この「人民日報」の評論もそのネット上の文書を意識して書かれたのかもしれません。

※「ネット上の文書」については、このブログの12月14日付け記事「2008年12月前半のできごと」の(3)を御覧ください。

(参考2)このブログの2008年12月14日付け記事
「2008年12月前半のできごと」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/12/200812-6baa.html

 また上記評論の過去のいろいろな問題点を振り返る部分では「八九風波」について言及しています。私は昨年4月北京に再び駐在するようになってから、基本的に毎日「人民日報」には目を通しているつもりですが、私が知る限り「人民日報」の紙上でどういう表現の仕方をするにせよ「八九風波」について言及したのを見たのは初めてです。(新華社ホームページの「資料」のページには以前から「1989年の政治風波」として載っていました。また、「新京報」や「経済観察報」では「政治風波」という呼び方で時々登場します。先日(2008年12月1日号)の「経済観察報」では「1989年春夏之交」と表現されていました。)

 1989年の事件については、従来は日本語のウィキペディアでは1976年に起きた「四五」(第一次)の方は見られたのですが、1989年の方のはアクセスしようとするとウィキペディアへの接続が遮断されるというアクセス規制が掛かっていました。しかし、先日(12月1日に)試しにアクセスしてみたら、北京からも見ることができるようになっていました。来年は20周年になりますので、少し扱いが変わってきているのかもしれません。

 この「任仲平」評論は、あたかも12月8日に「人民日報」の編集部が提示した「なぜ」に対する「人民日報」なりの答になっているのではないかと思います。

(参考3)このブログの2008年12月8日付け記事
「『なぜ今も中国共産党なのか』に対する答」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/12/post-f9f3.html

 この「任仲平」評論が述べている「答」で、納得するかどうかは人によって違うと思いますが、「人民日報」が自ら「なぜ」という問い掛けを提示し、それに対する答となる評論を掲げていることは、ひとつはもちろん改革開放30周年のタイミング、ということもあるのでしょうけれども、やはり上に書いた「ネット上の文書」の存在が気になっているのではないかと思います。

 「ネット上の文書」については、人々による転載と当局やネット管理者による削除が繰り返されていますが、「文書」は単にひとつの「文書」であって、多くの人が思っていることを単に率直に文章にしただけのものにしか過ぎません。「人民日報」上で、自ら「なぜ」という問を発し、自ら答える論評を書いているのは、「人民日報」としても、「ネット上の文書」を削除したところで、「多くの人が思っていること」自体を消すことはできないことをよくわかっているからだと思います。もしそれがわかっているのだったら、きっと解決策は見付かる、と私は信じています。

| | コメント (0)

2008年12月14日 (日)

2008年12月前半のできごと

 ここのところいろいろな案件が起きているので、ここでまとめて書いてみたいと思います。

(1)南方メディア集団副編集長の更迭

 この件は中国の新聞では伝える記事を見ていませんが、12月5日香港発時事通信によると、私がよくこのブログで引用している「南方周末」(日本語表記は「南方週末」)や「南方都市報」などの新聞を統括している南方メディア集団の副編集長の江芸平氏が更迭された、とのことです。今までこのブログでも何回も御紹介してきましたが、「南方周末」は、かなり突っ込んだ記事を書くことで有名であり、輸送費を掛けて北京に持ってきても売れる内容の新聞です。

 江芸平副編集長が更迭された後に制作された「南方周末」2008年12月11日号は、いつもと雰囲気ががらりと変わっていました。まず、それまでは新聞の標題が白地に赤く「南方周末」と書いてあったのが、12月11日号では赤地に白抜きで「南方周末」と書いてありました。

 内容も従来は以下のようなものでした。

【パートA】法治、特別報道
【パートB】時局・天下
【パートC】経済
【パートD】文化
【パートE】自由談

 最後の【パートE】は「方舟評論」という欄で「南方周末」紙の論説委員が結構辛辣な評論記事を書いていましたし、読者からの投書も載っていました。

 2008年12月11日号は「中国改革開放30周年記念特別編集(上)」ということで「三十而立」と題して、以下のような特別構成になっています。

【パートA】30年の各年を代表する人物にスポットを当てた特集記事
【パートB】経済:10名のビジネス啓蒙者にスポットを当てた特集記事
【パートC】文化(芸術、映画、演劇、音楽)、科学技術の30年を振り返る特集記事

ということで「時局・天下」を報じる部分と評論記事からなる「自由談」がなくなっています。たぶん「南方周末」社に聞けば「改革開放30周年の特集号だからいつもと違う編成なんだ」という答が帰ってくると思います(改革開放政策を打ち出した第11期中国共産党中央委員会第3回全体会議(第11期三中全会)が開かれたのが30年前の1978年12月で、今、改革開放30周年の時期に当たるのは事実です)。

 ということで、構成上は、かなり「圧力が掛かったな」という感じを受ける編成になっています。しかし、実は個々の記事を読んでみると、記事を書いている各記者は全然へこたれておらず、各記者の強い気持ちがにじみ出ている記事がたくさん掲載されています。

 例えば1面トップには、論説委員の「笑蜀」氏が書いた文章が載っています(この論説委員の名前は、もちろんペンネームでしょうが、三国志に出てくる劉備玄徳が抱いていた大望、即ち蜀(四川省)を得て漢を復興させようという「望蜀」を考えると、かなり皮肉なペンネームです)。この「笑蜀」氏の文章は、相当に意味深長なことを述べています。ポイントを示すと以下のとおりです。「笑蜀」氏に聞けば、「そんな意味は含んでいない」と否定すると思いますが、私には、あたかも下記の(3)で述べる案件と相通ずるような主張を感じました。

(参考1)「南方周末」2008年12月11日号
「再び人に戻り、再び人から出発する」(笑蜀)
http://www.infzm.com/content/21045

-「南方周末」2008年12月11日号1面の「笑蜀」氏の文章のポイント(始まり)-

・改革開放が進展したのは、当時、多数の「普通の人」を解放したからだ。一端、抑圧と屈辱の中から人々が解放されると、その創造力と進歩に対する激情は最大限にほとばしり出て、人々が奇跡を起こすことすら不可能ではなくなったのだった。

・改革開始によって、国民が歴史の主体としての位置に戻ったのである。古い革命幹部が受益しただけではなく、知識階級が受益し、社会の最先端を行く人々が受益し、ごく普通の以前だったら「貧しい人々」と呼ばれていた人たちも受益したのである。これが30年の改革の原点である。

・この改革の原点は、また新しい改革、即ち「最後の30年」の起点でなければならない。

・現代史を振り返ると、おおよそ200年がひとつの単位となっている。フランス革命によって蒔かれた自由・平等・博愛の精神の種は、ちょうど200年を経て普遍的価値となった。歴史家の唐徳剛は、中国も現代史のモデルに習うことになる、と述べている。つまり、アヘン戦争から200年後、即ち2040年までに歴史のボトルネック(原文は「歴史的三峡」)を抜ける、と述べている。200年間の苦闘の結果は、これからの「最後の30年」によって得られるのである。

・改革30年の成果には大きなものがある。しかし、権力が改革をねじ曲げ、改革を曖昧なものにし、改革を論争の種にし、看過できない事実をももたらしている。改革の精神は改革を必要としている。改革の様々な異質化を真正面から見つめなければならず、改革の中における何千万、何億の「普通の人々」の悲しみと喜び、血の涙を正視しなければならない。

・改革とは誤りを修正することである。新しい改革は、その意味するところの原点に戻らなければならない。権利システムの調整を通して、国民の心の中に国家を再建することに対する同意を与え、それによって我々の国家を真に道徳感を招き寄せうる国家にしなければならない。四川地震の救援に対して全国の人々の心がひとつになったように、全民族の力量をもって、現在直面している困難に共同して立ち向かわなければならない。そうすることにより、我々は最終的に歴史のボトルネック(「歴史的三峡」)を通り抜け、広大で穏やかな太平洋に流れ入ることができるのである。

-「南方周末」2008年12月11日号1面の「笑蜀」氏の文章のポイント(終わり)-

 さて、この号の「南方周末」では、改革開放30年の各年を代表する人物について述べていると上に書きました。一番気になる1989年の部分ですが、当然のことながら「1989年の政治風波」については何も書かれていません。

 「1989年を特徴付ける人物」で取り上げているのは、1989年3月26日に自殺した海子という詩人です。この年の特集記事のタイトルは「海子:ひとつの自由で苦痛に満ちた声が静寂に帰した」となっています。そして「理想主義の1980年代が終わった」と書かれています。

 そしてこの1989年に関する記事の最後には次の一文が載っています。

「海子は、1980年代の最後の年に自殺した。欧陽江河氏は『彼はやがて来る消費時代の到来を予感していたのかもしれない。来るべき時代は、散文的で、自嘲的で、逆説的な風刺による、身体で表現する言語の時代だったのだ。』と語った。そして、この海子の死と引き替えに、海子のような作風と海子の時代の夢が終わった。」

 この特集記事では「1989年の政治風波」については何も語っていませんが、貧しくとも未来への発展の夢があった1980年代後半を北京で過ごした私は、この特集記事の筆者(南方周末の楊継斌記者)に大いなる共感を覚えます。

(参考2)「南方周末」2008年12月11日号「改革開放30年の各年を代表する人物」
「【1989】海子:ひとつの自由で苦痛に満ちた声が静寂に帰した」
http://www.infzm.com/content/21075

(2)「新京報」による「上訪者が精神病院に入れられた事件」の報道

 この件は、日本の報道機関でも伝えられたので、御存じの方も多いと思います。

 「上訪」とは中国独特のシステムで、地方政府の横暴に苦しむ住民がその地方政府の上部機関へ(例えば、市や県の政府に苦しめられている人は省の政府へ、さらに最終的には北京の中央政府へ)訴える制度です。いわば日本の江戸時代にあった「直訴」のようなもものです。省の政府や北京の中央政府には、この「上訪」を専門に受け付ける部署があります(中央政府の場合、この受付窓口は「国家信訪局」といいます)。

 12月8日号の「新京報」は、「核心報道」として2面にわたり、強烈なレポート記事を掲載しました。内容は、今年10月、山東省新泰市の住民が北京に来て「上訪」しようとしたところ、拘束されて、強制的に新泰に連れ戻され、「新泰精神衛生センター」に入院させられて、強制的に「治療」を受けさせられた、というものです。この記事では、こういったことが2004年から繰り返し行われてきたことを明らかにしています。

(参考3)「新京報」2008年12月8日付け記事「核心報道」
「上訪者が強制的に精神病院に送られている」
http://www.thebeijingnews.com/news/deep/2008/12-08/008@021055.htm

 このレポートは内容的には非常に衝撃的なものです。一方、そういった衝撃的なルポルタージュが中国の新聞に堂々と掲載され、現在もネットで見ることができる、ということも画期的なことです。(こういった記事は「新京報」が北京の新聞だからできるのであって、地元の山東省の新聞だと、地方政府の「指導」がありますから、こういった記事は載せられないと思います)。

 この「新京報」の記事が「人民日報」に政治システムに関する記事が載ったのと同じ日に掲載された、というのは何か関連があるのでしょうか。おそらくこれら一連の記事は12月10日の「世界人権デー」にちなんで記事にした、と考えるのが自然かもしれません。

(参考4)このブログの2008年12月8日付け記事
「『なぜ今も中国共産党なのか』に対する答」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/12/post-f9f3.html

(3)「例の文書」のネットへの掲載

 そして、これが最近起きた一連の事態の中で、最も衝撃的な出来事でした。日本でも報道されているので御存じの方も多いと思います。本件は、中国国内では極めてセンシティブな(敏感な)事項であるので、北京にいる私としては「例の文書」とだけ書いておきます。「例の文書」の正式名称は「零戦」「八方」「憲男」「章節」の前の文字を組み合わせたもの(四文字)です。前の二文字は、もちろん算用数字を使うこともありあます(何のことかわからない方は、この「四文字」を日本語の検索エンジンで検索してみてください)。

 この文書がネット上で発表されたのは12月9日とされていますが、日本の報道機関が報道したのは12月10日でした。私はたまたま12月11日まで東京におり、12月11日に東京から北京へ移動したので、本件に関するネット上での取り扱いについて、東京にいた時と北京に来てからとの違いを体験することができました。

 東京では当然のことながら自由にネットを見ることができましたが、北京に来ると以下の点がわかりました。

○本件記事を掲載しているBBCホームページ中国語版が、本件記事だけではなく、ページ全体がアクセス禁止になっています。

(参考5)BBCホームページ中国語版
http://news.bbc.co.uk/chinese/simp/hi/default.stm

 このBBCホームページ中国語版は、長らく中国大陸部からはアクセス禁止状態にありましたが、北京オリンピック開始直前の2008月7月末にアクセスできるようになりました。従って、オリンピック前の状態に戻っただけなのですが、このアクセス禁止措置が今回の「例の文書」が出されたための措置であることは明らかです。

○中国語の検索エンジンで「例の文書」を検索すると、いくつかのページがヒットするもののほとんどが既にその内容は削除されています。しかし、ブログに転載されるなど削除されないで残っているものも一定の数あるので、探せば北京でも「例の文書」の本文を見ることは可能です。しかし、今日、「例の文書」の本文が見られたサイトでも、次の日になると削除されているケースが多いようです。しかし、どんどん削除されてはいるものの、どんどん転載もされているので、ネット上から完全に駆逐することは無理だろうと思います。

○人民日報のホームページにある掲示板「強国論壇」では、本件に関する直接の発言は載っていない(たぶん削除されている)のですが、明らかに本件文書を読んだと思われる人の発言が賛成・反対の立場ともに少数ながら載っています。反対の意見が載っている、ということは、反対の立場の人も文書の本文は見ている、ということなのでしょう。

--------------------

 これらの状況を見て私が感じるのは、「南方周末」の「笑蜀」氏が述べているのと同じです。即ち、ついに「最後の30年が始まった」ということです。これは1989年のように一時的な「政治風波」で終わるようなものではないと私は思っています。当局は、新聞の編集者の更迭やネット上の記事の削除やアクセス禁止措置でこれを抑え込もうとしているようですが、上記の「南方周末」の記事や、(3)の「例の文書」が次々に多数のブログに転載されている現状を見れば、もはや時代の流れを止めることは誰にもできないと私は思います。

 ただ、私が注意しなければならないと思うのは、今、世界的経済危機で、世界中の多くの人々が困難に直面しているということです。ことを急ぎ過ぎて社会的混乱を起こすことは、誰も望んでいない、ということです。私には、これから何が起こるのか、全く予想ができません。世界的経済危機が、これまで誰も経験したことのないものであるからです。また、中国で(3)の「例の文書」のようなものが広く知れ渡ったことも初めてのことだからです。さらに、中国は、新聞が(2)の記事のように使命感を持って記事を書くようになった時代を今初めて経験しているからです。私は、個々の人が、できるだけアンテナを広げて情報を収集し、自分でできる範囲のことを自分の判断でやっていく、という当たり前のことをする意外にこの予測不能な時代に対処する方法はないのだと思っています。

| | コメント (0)

2008年12月 8日 (月)

「なぜ今も中国共産党なのか」に対する答

 経済の自由化が進み、市場経済の下で大きな発展を遂げ、江沢民氏の「三つの代表」の理論により、中国共産党が労働者・農民(プレレタリアート)だけではなく、中小商工業者(プチブル)や企業経営者・資本提供者(ブルジョア)も含めて幅広い中国の人々を代表する、と宣言された今では、多くの中国の人々は「なぜ今のように経済発展が進んだ中国において中国共産党が唯一の執政党として全てをコントロールしなければならないのか。」という疑問を持っていると思います(中国共産党を批判することは中国国内では法律違反になるので、公の場では誰も口にしませんが)。

 ところが、この疑問に真正面から答えようとしているように見える論文が今日(12月8日)付けの人民日報に掲載されました。

(参考)「人民日報」2008年12月8日付け記事
「改革開放以来の我が国の多数党協力理論と政策における革新と発展」(改革開放30周年を記念して)(杜青林)
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-12/08/content_153525.htm

 この論文を書いた杜青林という人は全国政治協商会議副主席、中国共産党中央統一戦線部部長です。つまり、中国共産党と中国共産党の指導の下で活動をするという前提の下で活動を認められている中国の民主政党各派との協力関係を担当する責任者です。

 この論文の前に人民日報による「編集者の弁」が載っています。そこには「以下の疑問に答えるために、杜青林氏が論文を書いた。」という趣旨の導入文章が書いてあります。「編集者の弁」が掲げる疑問とは以下のものです。

・なぜ必ずマルクス主義を指導的地位に置かなければならないのか。なぜ指導思想の多元化を図ることができないのか。

・なぜ社会主義だけが中国を救い、中国の特色のある社会主義だけが中国を発展させることできるのか。なぜ民主社会主義や資本主義ではダメなのか。

・なぜ人民代表大会制度を堅持するのか。なぜ「三権分立」を目指すことはできないのか。

・なぜ中国共産党の指導の下での多数党の協力に基づく政治協商会議制度でなければならないのか。なぜ西側諸国のよう多党制を採ることができないのか。

・なぜ「公有制を主体として多種多様な所有形態が共存すること」を基本的な経済体制としてなければならないのか。なぜ「完全な私有化」あるいは「完全な公有化」を図る政策ではダメなのか。

 これらはまさに中国の政治が持つ最も根本的な「なぜ」なので、これに真正面に答える文章が「人民日報」に載ったのだとするとすばらしい、と期待して、本文を読みました。

 しかし、杜青林氏が書いた本文は、何が言いたいのかよくわからない、かなり難解な文章でした。私が判読する限り、杜青林氏が書いた文章の内容は、だいたい以下のようなものです。

○毛沢東の指導により今のやり方をやり始めて、それが中国の基本方針になった。トウ小平氏ら第二世代の指導者も、それに基づき、現実に合致する一連の政策を展開してきた。

○江沢民氏は、「三つの代表」の理論を提出し、中国の政治制度と政党制度を考える上での判断基準を提唱した。その判断基準とは以下の観点に基づくものである。それらの判断基準を用いて、科学的に分析すれば、現在の中国が採用している「中国共産党の指導の下での多党制」が優れており、西側諸国のような多党制と議会制度を用いるべきではないことがわかる。

(1) 社会の生産力の持続的発展と社会の全面的進歩を促進するかどうか、という観点。

(2) 中国共産党と国家の活力、社会主義制度の特長及び有利な点を保持できるかどうか、という観点

(3) 国家の政治的安定性と社会的安定と団結を保持できるかどうか、という観点

(4) 幅広い人民の根本的な利益を守ることができるか、という観点

○胡錦濤氏も、現在の制度を堅持すべき、と主張している。

 ということで、「人民日報」編集部が「編集者の弁」で述べている明確な「なぜ」の質問に対して、杜青林氏が書いた本文は、少なくとも私が読解できる範囲では、明確な答になっていません。江沢民氏が提唱した、判断基準は、この「なぜ」を考える上で重要な観点ですが、ここでは「観点」だけが書かれており、それぞれの観点からどのようにして判断結果が導き出されたのか、という肝心の「答」が書かれていません。しかも、観点(2)は「中国共産党ありき」「社会主義ありき」の観点になっていて、「判断基準としての観点」にはなっていません。極めて論理的な思考をする中国の人々に対しては、杜青林氏の論文は「答」として満足を与えることはできないと思います。

 観点の(1)(3)(4)を結び合わせて、社会の発展のためには、政治的混乱を防ぎ、社会の分裂を避けることが不可欠であり、そのためには中国共産党の求心力によって政治をリードしていくことによってのみ社会の発展は可能であり、そうすることにより、結局は広範な中国人民の利益を守ることにつながるのだ、だから今の制度が正しいのだ、と主張するのならば、それはそれで説得力はあると思います。もしそうならそうハッキリ書いた方がわかりやすかったと思います。(ただし、この主張は、強力な執政党が政治をリードすべきだ、という論理の答にはなりえても、その強力な執政党がなぜ中国共産党なのか、他の党ではなぜダメなのか、という質問に対する答えにはなっていません)。

 答はハッキリせず、私としてはこの論文を読んでも、全くスッキリしなかったのですが、「人民日報」が「編集者の弁」で述べた重要な5つの「なぜ」という質問を提示したことは、私は評価すべきだと思います。まず明確な疑問点を提示することが議論の出発点だからです。

 最近の「人民日報」が、改革開放30周年を記念して、答をハッキリ書かないながら、こういった問題点を正面から取り上げている態度には好感が持てます。改革開放30周年というタイミングもあるのだと思いますが、厳しい金融危機・経済的不振の中で、多くの人民の不満を吸い上げる努力をしないと大変なことになる、という危機感が背景にあるのだと思います。こういった「人民日報」が提示する「なぜ」に基づいて、幅広い、忌憚のない議論が行われ、その中から少しでもよい解決策が見いだせればよいなぁ、と私は思います。長い歴史の蓄積を持ち、教育程度も高い中国の人々ならば、きっとよい解決策が見つけることができる、と私は信じています。

| | コメント (0)

2008年12月 5日 (金)

「人民日報」上での政治の民主化を巡る議論

 テレビでアメリカの大統領選挙を巡る喧噪(けんそう)を見たり、モンゴルで選挙の後に暴動が起こったとか、ジンバブエで選挙の結果が確定せずに政治的不安定な状況になった、とかいうニュースを見て痛感するのは、世界人口の5分の1を占め、国連の常任理事国である中国で選挙が行われていない、という事実です。前にも書きましたが、現在の全国人民代表大会の議員(人民代表)を選ぶ選挙は、何層にも繰り返し間接選挙を繰り返すこと、立候補にいろいろな制限があること等から、外国の人はもちろん、中国の人々自身も「選挙」だとは思っていません。1990年前後から最も下の地方組織である村民委員会では、一部で村民による直接選挙が行われていますが、村民委員会は権限が非常に小さく、いわば「町内会」のようなもので、これをもって「中国で選挙が行われている」という主張は、中国政府自体、あまり胸を張って言うことはしていません。

 ただ、中国の政治の民主化について多くの外国の人が誤解しているのは、中国共産党中央が住民による直接選挙の導入を阻止しようと考えている、という認識です。中国共産党は、広大な国土と膨大な人口を持つ多民族国家である中国をまとめるために「中国共産党による指導」ははずすことはできない、と考えていますが、住民による直接選挙は導入すべきではない、と考えているわけではない、と私は見ています。むしろ、党中央は、地方政府の乱脈振りをコントロールするため、地方政府レベルでの選挙を何らかの形で導入すべきではないか、と模索しているように見えます。住民による直接選挙に抵抗しているのは、党中央ではなく、住民による直接選挙で権限を奪われる恐れがある地方の党や政府の幹部とそれと結託した地方の企業・有力者だと思います。

 党中央が「民主化」をひとつのキーワードにしていることは、昨年(2007年)10月の第17回党大会での胡錦濤総書記の報告の中で「民主」という言葉が67回も登場したことでもわかります。

(参考1)このブログの2007年10月19日付け記事
「党大会後の民主化の具体化はどうなる?」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/10/post_7250.html

 今までこのブログでも時々書いてきましたが、「新京報」や「経済観察報」といった市井の新聞はもちろん、時々、「民主化」の問題は中国共産党の機関誌「人民日報」でも取り上げます。一昨日(12月3日)の「人民日報」にも、民主化についての特集記事が載っていました。

(参考2)「人民日報」2008年12月3日付け記事
「中国の民主化は増量方式で(注:「少しずつ」の意味)発展している」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-12/03/content_150525.htm

 この特集記事は、中国共産党中央編成局副局長で北京大学中国政府イノベーション研究センター主任の兪可平氏に対するインタビュー記事です。この記事のポイントを掲げると以下のとおりです。

記者:最近、杭州での地下鉄工事現場崩落事故や甘粛省リュウ南市(リュウは「こざとへん」に「龍」)での群衆争乱事件などが、発生後すぐにメディアで報じられた。このようなことで普通の人々は中国における民主化が発展している感じているのではないか。

(参考3)甘粛省リュウ南市の群衆争乱事件については、下記のこのブログの2008年11月25日付け記事「世論のリーダーになりつつある中国の新聞」を参照のこと
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/11/post-6a7a.html

兪可平氏:2007年に国務院が政府情報公開条例を制定するなど、行政情報の公開と政治の透明度の推進を進めてきた。情報の公開は民主政治の重要な一面だ。

記者:30年来、中国経済は巨大な発展を遂げたが、中国の民主化の程度は経済発展とアンバランスであり、「片方の脚が短く、片方の脚が長い」状態であると言っている人もいる。

兪可平氏:それは一種の誤解と偏見だ。一部の人には西側の多党制・全国民による普通選挙制度・三権分立を基準に考える傾向があるが、まだ改革時期にある中国の政治を見て、中国の改革は経済体制の改革だけで、政治体制の基本は変化していないと認識しているのだ。政治体制は、市場経済の発展に応じたものでなければならない。中国においても、もし民主政治の発展がなかったら経済の長期的発展はあり得ない。しかし、中国においては、政治体制の経済発展に対する役割が、西側の国々より大きいことを考えなければならない。

兪可平氏:西側の基準から簡単に中国を見てはならない。中国の民主化の進展は、中国の長い歴史の中で見なければならない。例えば、中国数千年の封建社会の中において、人民が統治者に物申すことがあっただろうか。現在はそれができ、法律制度による保護もある。現在の中国の法治制度はまだ不完全なものであるが、その目標を定めてその方向に進んで行きさえすれば、大きな前進が得られるだろう。

記者:中国の民主化の観点から見て、何が重要だと思うか。

兪可平氏:民主政治の成果を得ることと経験を積むことだ。制度と実践の進展は簡単に言えば7つの方向性がある。即ち「党と国家の適度な分離」「公民社会の実現」「法に基づく政治と完備された法律体系の整備」「直接選挙の拡大と地方における自治範囲の拡大」「行政情報の公開と政治の透明性の推進」「行政サービス型政府の確立と行政サービスの質の改善」「公聴会制度、協議制度、政策決定の民主化」である。

記者:重慶でのタクシー・ストライキにおいて重慶市党委員会の薄熙来書記が前面に出てタクシー運転手たちや市民代表と話し合った。これは公衆の参与を拡大させたのではないか。

(参考4)重慶市のタクシー・ストライキについては、下記のこのブログの2008年11月6日付け記事「重慶市のタクシー・ストライキ」を参照のこと
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/11/post-9f93.html

兪可平氏:その通りだ。政府は政策を決める際に公衆の意見を聞き、公衆を参与させる方法を講じなければならない。公衆の参与は民主政治の核心問題のひとつである。公衆の参与は公衆の権利の実現の方法であり、公的権力の乱用を防止し、社会の和諧(協和)と安定を促進する。

記者:中国にはネット・ユーザーが2.53億人いる。ネット上でのネット・ユーザーの発言を見る幹部が多くなっている。これも公衆の参与の新しい道筋ではないのか。

兪可平氏:公衆の参与の仕方には異なる多くの種類の方法があってよい。

記者:さらに公衆の参与を拡大するにはどうしたらよいのか。

兪可平氏:公衆参与の問題についてはよく注意して対処する必要がある。ひとつは公衆の側に参与したいという意欲がない場合、ひとつは公衆の意欲は強いがそれを実現する合法的な方法がない場合である。公衆の権利を守り、かつ政治的安定性を維持し、社会の和諧(協和)を促進するためには、参与の方法を広げると同時に、参与行為に関する規範を作る必要がある。

記者:中国の民主化は上から下へ推進すべきだ、と言う人がいる。まず政治のトップレベルから民主化を進めることによってこそ、健全な民主化が進むのではないか。

兪可平氏:「維新変法」(注:清朝末期の1898年の政治改革)や「辛亥革命」(注:1912年に清朝を終焉させ中華民国を樹立させた革命)など、中国では何回も「上意下達の民主政治」が試みられた。その経験からすれば、中央集権の伝統の長い大国において民主化を進めるためには、上下結合こそが正しいやり方だ、ということだ。上下がお互いに動くことが必要であり、「下から上へ」と「上から下へ」とが同時に進行しなければならない。

兪可平氏:基層民主(末端の地方レベルでの民主)と党内民主が現段階における中国民主政治の二つの大きな重点であり突破口である。基層民主が全ての民主政治の基礎である。党内民主は権力の核心部分の民主である。

記者:基層民主については、中国は大きな成果を上げてきたのではないか。

兪可平氏:その通りである。1998年に村民委員会組織法が制定され、国家の権力機関が扱わない農民事務を行う村の幹部は村民の自由選挙で選ばれている。2007年末までに61.3万の村民委員会が設立されている。

記者:党内民主については、一般庶民は幹部選抜任用の過程に関心を持っている。

兪可平氏:差額選挙(定員より多い立候補者による選挙)が党内民主の重要な指標のひとつである(注:一般の国では選挙と言えば複数立候補が当然だが、中国では従来は定員と同数の立候補者による信任投票だった)。1987年の第13回党大会で初めて「差額選挙」が行われた。2007年の第17回党大会では、中央委員会委員、中央委員会委員候補、中央規律委員会委員は全て「差額選挙」の結果選ばれた。地方幹部についても「差額選挙」で決まるケースが段々多くなっている(注:この場合の幹部選挙は住民による選挙ではなく、地方の党員による選挙のこと)。

記者:人々の民主化に対する期待は高い。政治の民主化が一気に進むことを期待している人もいる。

兪可平氏:「ローマは一日にして成らず」である。中国の民主化の発展は「増量方式」(少しずつ量を増していく方式)となるだろう。中国の民主政治の速度と程度は、社会経済体制と経済発展レベルと一致させるようにしなければならない。

記者:「増量方式の民主化」ということには多くの人が関心を持つと思うが、具体的にはどうしようと考えているのか。

兪可平氏:中国の民主政治は次の三つの線路に沿って前進するだろう。
第一は、党内民主である。唯一の執政党である中国共産党が党内民主を拡大することにより、全社会の民主化を進めることになるだろう。
第二は、基層民主から高いレベルへの民主への段階的な進展である。重大な改革は基層レベルで試験をし、段階的に高いレベルへ進めていくことになろう。
第三は、少数による競争から段々と多数による競争に持っていくことである。

記者:その過程で、西側諸国の民主政治の発展モデルを中国が活用することの意義についてどう考えるか。

兪可平氏:民主制度には、普遍性と特殊性との両方の性質がある。アメリカは国土面積は中国とほぼ同じだが、人口は何分の一にしか過ぎない。文化伝統も国情も違うので、民主化のモデルも異なる。中国の民主化では、中国共産党による指導を堅持し、人民を主体とし、法による国の有機的統一を図ることが原則である。ただし、我々は、西側諸国における優秀な政治文明の成果も含め人類が共同で築き上げてきた文明の成果を排斥してはならない。「民主」という言葉は外来の言葉だが、最近、中国の行政で使われる「公聴会」などの言葉もみな西側から学んだものである。

--------------------------

 最近の中国の新聞の論調からすると、上記のような記事が「新京報」「南方周末」「経済観察報」等に載っていてもさほど驚きませんが、中国共産党の機関誌であり最も公式な新聞である「人民日報」の記事としては、結構、突っ込んだことを言っていると思います。この記事では、重慶市のタクシー・ストライキや甘粛省リュウ南市の群衆争乱事件にも言及しており、民主化を進めて一般大衆の不満をうまく吸収するシステムを作らないと、むしろ社会の不安定化に繋がる、という党中央の危機感が感じられます。西側のシステムをどのように参考にするのか、という点については、先日、政治局常務委員(序列4位)・政治協商会議主席の賈慶林氏が司法改革について語った下記の言葉のトーンとはかなり異なる印象を受けます。

「改革は、絶対に中国の特色のある社会主義政治の発展の路線を踏み外すものであってはならず、党の指導を堅持し、人民の問題を処理することを主とすることと法により国を治めることを統一したものにしなければならない。人類の法治文明の優秀な成果を用いることが必要だが、絶対に西側の政治制度や司法制度のモデルをそのまま持ち込んだりしてはならない。」

(参考5)上記の賈慶林氏の発言については、このブログの2008年11月30日付け記事「どうする中国の司法制度改革」を参照のこと
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/11/post-1e8d.html

 上記の「人民日報」の記事でもあまり歯切れよくズバリとは言っていませんが、地方政府の乱脈振りを監督・監視するため、党中央では、末端地方レベル(市・県とその下の鎮レベル)の党や政府の幹部に対して、住民による選挙を導入したいのではないか、と私は思っています。ただ、上から強圧的に選挙制度を導入しようとすると、地方の党・政府幹部による強い抵抗が予想されるので、まずは一般大衆も読んでいて、日頃から「模範とすべし」とされている「人民日報」にこうした記事を載せて、いわば「ジャブ」として、党内で議論を起こさせ、党内世論を収れんさせよとしているのではないか、と思っています(半分、私の「期待」が入っていますが)。

 ただ、村民委員会での直接選挙制度が導入されて以来、既に20年が経過しているのに、現実的な政治の民主化の程度は全く進展していません。「人民日報」がこうした「政治の民主化」というテーマを真正面から取り上げた意義は大きく評価しなければならないと思いますが、2008年になっても、まだ「ジャブ」を出す程度のことしかできないのだったら、現実的な民主化はあと30年以上経たないと実現しないのじゃないかなぁ、と思えてしまいます。

 中国は巨大な象のようなものであり変化するには長い時間が掛かる、と昔から言われてきました。急激な変化が起きて、社会が混乱することは、中国内外の誰もが避けたいと思っていることですから、時間が掛かろうとも、少しづつでも前進していくことに期待するしかないのだと思います。少なくとも、上記の「人民日報」の記事は、ごく小さな一歩ではあるものの、前進であることは間違いないと思います。

| | コメント (0)

2008年12月 3日 (水)

景気刺激策の中で農地の収用は抑制可能か

 中国が示した総額4兆元(ここ数日の円高元安傾向のレートだと約54兆円)の大規模な景気刺激策については、その7割近くを地方が負担するのではないかと見られていますが、その財源として地方政府が安い補償金を支払うことによって農民から土地を収用してそれを開発業者に高く売って得る収入でまかなうのではないか、と私は懸念している、と、先日このブログで書きました。

(参考1)このブログの2008年11月28日付け記事
「『史上最大のバブル』の予感」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/11/post-793d.html

 この私の心配は単なる空想ではなく、中国政府当局自体が実際に心配していることがはっきりしました。今日(12月3日)、国土資源部副部長の鹿心社氏が記者会見し、土地の収用については国が許可を行うという制度を通じて地方政府がいわゆる「土地財政」に頼ることがないようにする、と説明しているからです(中国の「部」は日本で言えば中央政府の「省」に相当する役所です。従って、国土資源部副部長は、日本式に言えば国土資源省の副大臣です)。

(参考2)「新華社」ホームページ2008年12月3日18:52配信記事
「国は土地を収用することによって収益をするという『土地財政』を抑制する方針」
http://news.xinhuanet.com/newscenter/2008-12/03/content_10451315.htm

 この新華社にアップされている記事には、「某地方政府」が「大衆の利益」と書かれた木になっている果実をもぎ取って「開発業者」に渡す場面がマンガで描かれています。この記事によると、ある市または県において、ある年に耕地を新規で建設用地に造成した土地のうち15%以上が違法状態だった場合、あるいは15%に満たなくても状況が重大で、影響がひどい場合には、当該地方政府の責任者は責任を問われる、とのことです。この国土資源部副部長の発言は、「地方政府が農民から土地を収用することによって財政収入を得ることは許さないぞ」という中央政府の決意を発表しているわけなのですが、この発表を聞いた地方政府の責任者は逆に「新しく開発した土地のうち違法なものが15%未満だったら責任を問わないと国の責任者が認めたわけだ。」と思うに違いありません。

 この「15%を超えたら責任を問う」という話は別の記事にも載っていました。

(参考3)「京華時報」2008年12月3日付け記事
「小産権房の処理を巡っては『責任を大衆に負わせる』ことをしてはならない」
~北京市国土局長、再度、農村の宅地用土地を都市住民のために流用することは厳禁するとの態度を表明~
http://epaper.jinghua.cn/html/2008-12/03/content_371521.htm

※中国のこの種の新聞のホームページではかなりうるさい「ポップアップ広告」が表示されることがありますので御注意ください。

 「小産権」(または「小産権房」)とは、村などの集団に所有権がある農村の土地を農民から収用してその上にマンションや別荘を建てて、都市住民(その村の住民以外の者)に販売している不動産物件のことです。都市の中心部から距離は離れているが、都心部よりかなり価格が安く、購入希望者が多いことから、相当の数販売されています(北京市の場合、流通しているマンション等の約2割程度は「小産権」であるとのこと)。しかし、農村の土地は、農地にしろ農民住居用土地にしろ、集団所有(村などの集団が所有している)のだからその集団のメンバーではない都市住民にはその土地に対する使用権は一切認められていないので「小産権」という不動産物件は違法である、というのが、政府(中央政府の国務院や北京市政府)の見解であり、実際、その考え方に沿った裁判の確定判例が出ています。

(参考4)このブログの2007年12月18日付け記事
「都市住民の『小産権』購入は違法と確定判決」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/12/post_bf8b.html

(参考5)このブログの2008年1月9日付け記事
「国務院が『小産権』に関し明確な通知を発出」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/01/post_4000.html

 上記「参考3」の「京華時報」の記事によると、北京市国土局の魏成林局長が昨日(12月2日)明らかにしたところによると、2008年の上半期に北京市の14の郊外地域にある区や県で行われた新規に造成された土地のうち件数にして67%、面積にして57%が違法または規定に違反していたものだった、とのことです。魏成林局長は、今後、各レベルの地方政府において、法律や規定に違反している土地の割合が15%を超えた場合には、その地方政府の責任者は責任を追及される、と述べています。この発言は、上記「参考2」にある「新華社」の記事に載っている国土資源部の鹿心社副部長の今日(12月3日)の発言と一致していますので、これが中央政府の統一方針なのでしょう。

 それにしても北京市の魏成林局長の発言は、上記(参考4)(参考5)の私のブログに書いてある通り、2008年初頭には裁判所の判決や国務院の明確な意思表示が出ていたにもかかわらず、依然として2008年前半に北京市の郊外地区で新規に造成された土地の、件数にして7割近く、面積にして6割近くが違法状態である、ということを示しています。つまり裁判所や中央政府が見解を違法だと明確に示しているにも係わらず、実際はほとんどの人は「そんなことは関係ない」と平気で違法な開発を行い、北京市政府当局もそういった実態を取り締まることはできなかった、ということを北京市当局の責任者が認めた、ということです。中央政府や北京市政府は、実態的に取り締まれないので、15%を超えたら責任を問う、という形で「取り締まろうという姿勢を示すこと」しかできないのだと思います。中国政府は「中国は法治国家になった」と盛んに自分で言っていますが、実際は、誰も法律を守っていないし、守らせることもできていない(きつい言い方をすれば、中国では政府が行政府としての機能を果たしていない)という現状を示すひとつの事例だと思います。

(注)「麻薬」や「銃」や「中国共産党を批判する言論」に対してはきちんとした取り締まりができているのですから、法律執行能力の面において「中国政府に取り締まり能力がない」と思うのは間違いです。「土地を開発することによって収入を得たい農村」と「安い別荘やマンションが欲しいと思う都市住民」の希望を押しつぶしてまで取り締まると政府に対する反発が強まる、と考えて、強硬な取り締まりができないのだと思います。

 上に述べたように、今回の「15%を超えたら責任を問う」という国土資源局副局長の発言は、地方政府に「15%以下ならばやってもいいんだ」という「免罪符」を与え、農民からの土地収用を促進することになるので、発言としては逆効果だったのではないかと私は思います。私は、上記の報道を見て、ますます(参考1)「『史上最大のバブル』の予感」で書いたような、農民からの土地の収用が進むことにより今後数年間のうちに「大量の不良債権不動産が蓄積される」「土地を失った大量の農民が失業者となる」「中国の農地面積が食糧確保のために最低限必要な面積を下回る」といった危機的状態が起こるのではないか、との懸念を強めました。

| | コメント (0)

« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »