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2008年12月23日 (火)

「南方周末」の改革開放30年記念特集

 「南方周末」(日本語表記は「南方週末」)を含むいくつかのメディアを統括する「南方メディア集団」の江芸平副編集長が更迭された話は先日このブログで書きました。

(参考1)このブログの2008年12月14日付け記事
「2008年12月前半のできごと」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/12/200812-6baa.html

 江芸平副編集長が更迭された後に発行された「南方周末」の改革開放30年記念特集号(上)(2008年12月11日号)の状況については、上記の記事に書きました。改革開放30周年記念日である12月18日号の改革開放30年記念特集号(下)も、基本的にはこれまでの「南方週末」が持っていた方向性と基本的には変わっていないように私は思いました。

 この号の最初の特集は「改革の八賢」として改革開放に功績のあった8人の業績を紹介しています。その特集の最初に「常識に出会って春の花が開いた」と題する「南方周末」紙論評論員の郭光東氏の評論が載っています。

(参考2)「南方周末」2008年12月18日号評論
「常識に出会って春の花が開いた」(郭光東)
http://www.infzm.com/content/21342

 この評論では30年前の第11期三中全会の決定がそれまでの「文化大革命」の誤りを正し、「常識」を引き戻した、と書いています。改革開放30年を振り返る評論としては、普通の論調ですが、その表現は結構辛辣です。例えば、いくつかのポイントを挙げれば以下のとおりです。

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○あの当時(注:文化大革命の時期)の人々は、穀物や野菜には関心がなく、社会主義の草は要るけれども、資本主義の苗は要らないと言っていた。天と闘うこと、地と闘うこと、人と闘うことに陶酔し、毎年毎年、毎月毎月演説し、毎日毎日階級闘争をやっていた。あの当時の人々は偉大な指導者を頂いており、英明な指導者はどんな親しい人よりも大事だと思っていた。

○あの当時も人々は盲従していたわけではなかったけれど、「文革は左の誤りだ」「個人崇拝はおかしい」といった本当のことを言った張志新は、無惨に喉を切られて虐殺された(注:張志新は、文革当時遼寧省党委員会宣伝部にいた女性幹部。林彪・江青らの文革グループを批判して逮捕され1975年に死刑となった。改革開放後の1979年に名誉回復された)。当時の指導的立場にいた良識を持った人たちも、打倒されるのを避けられず、家族もひどい目に遭った。あの時は最高指導者の言葉の一言一句は真理だったので、最高指導者の決めたことや指示に対しては人々は従わなければならなかった。

○これがずっと続いていたら今の中国はある隣国の現状のようになっていただろう(注:「ある隣国」とは北朝鮮のことを指すことは明らか)。それを思うと、30年前に中国の命運を変えた元勲の方々には敬意を表して、し過ぎることはない。

○とは言え、当時の元勲の方々の理念が崇高だったわけではない。彼らは、単に「貧しいことが社会主義ではない」「『一切は階級闘争のためにある』というようなことをこれ以上続けたら地球上に居場所がなくなってしまう」と思っただけなのである。彼らの経験から、国があのような状態を続けたら、政府幹部から一般人民に至るまで、全ての人の人権がなくなってしまう、と思っただけなのである。これは、ごく普通の一般の人が考えていた明白な常識であった。彼らは常識を捨て去ってはならないと決めたのである。

○人類の社会生活において最も貴重なのは、偉大な人物の著作でもなく、指導者の演説でもなく、ごく普通の人の常識なのである。トウ小平氏は、政策は「人民が賛成するかしないか」「人民が喜ぶかどうか」で決めよ、と述べた。これこそが「常識に従え」ということなのである。

○常識を敵とするような政策決定には大きな代価が付いてくる。我々は今年が「大躍進政策」50周年であることを忘れてはならない。指導者の一声で、人々は、イギリスを超えよう、アメリカを超えようと頑張り、資源を消耗させ、数千万人の餓死者を出すという悲劇的な人類史上最大の飢饉をもたらしたのである(注:毛沢東の提唱で1958年に始まった「大躍進政策」は、その後の3年間、農業生産の停滞を招き、自然災害とも相まって、極端な食糧不足を招いて数千万人の餓死者を出したと言われている)。

○改革開放は常識への回帰をもたらした。しかし、改革開放の過程でも、まだ「もうちょっと計画経済を強めよう」「もうちょっと市場経済を強めよう」という議論にさらに10年余の時を要した(注:1980年代及び1989年の事件の後1992年にトウ小平氏が「南巡講話」で市場経済化を進めようと方向性を定めるまで、保守派と改革派の間で市場経済化の程度に関して議論が続いたことを指す)。

○この30年の「中国の奇跡」はまさに「常識の勝利」なのである。しかし、まだ改革は終わってはいない。我々は再び常識に戻り、改めて常識から出発しなければならない。経済、政治、民生、文化等多くの領域で改革を進めるには、その根本にある多くの迷信を捨て去り、一般大衆の常識を集めてそれを広めなければならないのである。多くの常識を集める方法は、即ち、一人一人の個々人が自分の意見を言うことによって物事を議決するシステムを作ることである。これが社会生活における最大の常識なのである。

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 現在の改革開放政策は「文化大革命は大きな誤りだった」「1958年の大躍進政策や文化大革命の発動など毛沢東主席も晩年にはいくつかの誤りを犯した(しかし、革命を勝利に導き新中国を成立させたという点で、総合的に見れば毛沢東主席の功績は極めて大きい)」という認識からスタートしています。従って、上記の評論は、現在の党指導部の考え方からずれていません(だから出版されることを許されたわけです)。ただ、最後の一文は、議会制民主主義を確立せよ、それが世界の常識なのだ、という主張にも見えるので、現在の中国の「枠」から一歩踏み出していると思います。

 いずれにしても、上の評論の表現は、一般市民向けの新聞に載る文章としてはかなりハッキリしたことを書いていると思います。文化大革命に関する記述しかり、大躍進に関する記述しかりです。名指しこそしていませんが、大躍進期や文化大革命の時期の毛沢東主席の位置付けをハッキリ批判的に書いてあるのも印象的です。改革開放初期(1980年代)には、学者の書いた専門的な本などにはこういう表現はあったろうと思います(当時の新聞は今ほど自由には文章を書いていなかった)が、1989年の事件以降、党の求心力を維持するために毛沢東主席のカリスマ性に頼る傾向がある現在の中国共産党のやり方からすると、結構、突っ込んだ表現だと思います。しかも学者の専門書ではなく、一般市民が気軽に買って読める新聞にこういった表現が出てくることに時代の流れを感じます(副編集長が更迭されても「南方周末」は何も悔い改めてはいない、ということなんでしょう)。

 なお、この号の「南方周末」で取り上げている「改革の8賢人」の中には胡耀邦元総書記が含まれています。先日このブログのひとつ前の発言の「改革開放30周年記念日が終了」で書いたように、商務部や中国共産党対外宣伝弁公室等が主催している「中国対外開放30周年回顧展」では、胡耀邦氏は全く無視されていました。客観的に言えば、改革開放を進めた功労者の中に胡耀邦氏が入るのは当然です。ただ、さすがに「南方周末」とは言えども、趙紫陽氏(元総理、元党総書記)を「改革開放の貢献者」としてピックアップすることはできなかったようです。趙紫陽氏は1989年の事件の処理を巡って失脚した本人ですからね。その意味では、まだ「南方周末」と言えども1989年の事件を客観的に論じることはできない、ということなんでしょう。

 (参考1)で書いた12月11号の「南方周末」では一時的に消えていた「時局・天下」「評論(自由談など)」の特集ページは、12月18日号では元に戻っています。副編集長の更迭は内容の変更には影響がなかったようです。(読者に見えないところで、ではいろいろな葛藤があるのかもしれませんが)。いずれにしても「南方周末」の切れ味が落ちていなくて安心しました。たぶんこれからも毎週買って読むと思います。

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