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2008年12月16日 (火)

「人民日報」の改革開放30周年評論(前半)

 今日(12月16日)付け「人民日報」の1面の下の方に出た「任仲平」という署名入りの「30年の変わらぬ時代の呼び声~改革開放30周年に際して(上)~」と題する評論が掲載されました。

 「任仲平」とは特定の人物ではなく、「人民日報」が重要な論評を書くときのペンネームだと言われています(「『人』民日報『重』要『評』論」の『 』内の3文字は中国語で「任仲平」と発音が同じ)。(なお、「人民日報」には、似たような署名として「仲祖文」(「中国共産党『中』央『組』織部『文』章」)というペンネームの文章が載ることがあります)。

(参考1)「人民日報」2008年12月16日付け1面評論
「30年の変わらぬ時代の呼び声~改革開放30周年に際して(上)~」(任仲平)
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-12/16/content_158571.htm

 この論文は「世界的金融危機により、従来の自由資本主義の見直しが議論される中、「中国モデル」に注目が集まり、「中国の特色のある社会主義」に対する評価が行われている、というところから書き始めています。

 評論のポイントは以下のとおりです。

○この30年間に最も大きく変わったのは「人」であり、最も恩恵を受けたのも「人」であり、最も大きな原動力を発揮したのも「人」であった。農村経済は活性化し、数年で「何とか食っていける」状態に達し、労働者には週休二日制が普及し、権利が社会の基本的話題となり、村民委員会で直接選挙が実施され、戸籍制度の殻が破れて全国的な人口の大流動が起こり、この「人民共和国」において、個々人に対する変化がだんだん具体化されてきているのである。

○30年経ち、多くの問題も生じている:貧富の格差、都市と農村の格差、雇用問題、社会保障問題・・・。今は当初の頃の「一部の人が先に豊かになってよい」という時代から「パイをいかにして分配するか」という公平主義と社会の和諧促進の問題が重要な時代になってきた。

○商鞅(秦の官僚)の改革、王安石(宋の時代の官僚)の改革、戊戌の改革(1898年:清末の改革)は短い時間で終わりを告げ、改革者は流血と生命の代価を支払った。それに対して、20世紀、1970年代末から始まった現在の中国の未曾有の新革命では、終始、執政党の強力な指導により、その堅牢な政治的保証を利用して、30年を「一気呵成」にことを動かしてきた。

○30年の改革開放は、中国共産党の執政方法にも巨大かつ深刻な変化をもたらしてきた。30年の政治文化の一歩一歩の歩みは、全て執政党としての自己完全化の歩みでもあった。

○30年を顧みれば、「価格制度の難関突破」「経済の『軟着陸』」「『ソ連・東欧の激変』」「『八九風波』」「アジア金融危機」「世界的金融危機という津波」...といった一連の重要な歴史的難関に対して、中国共産党は、歴史に対して責任を負い、人民に対して責任を負う、という勇気をもって、全力をもって改革開放の船を進めてきている。著名な中国問題の専門家で元在中国ドイツ大使のコンラッド・セイツ氏(音訳)は、「中国が、次々と現れる悲観主義者たちに反駁し、様々な問題に立ち向かってこられた原因は、中国には強力な指導者層がいたからだ。」と指摘している。

○改革開放は、いまだかつて誰も経験したことがない、まだ完成していない道である。様々な歴史的要素が変化する中で我々が選択し終始変化させずに堅持しなければならない道とは「党と人民とが心をひとつにして、時代の流れに順応して改革開放を進め、行く先を完全に正しい方向に向け、結果に対する不寛容な態度を避け、停滞と後退には出口がないことを理解すること。」である。改革は未だ終わっていない。中国はまだその途上にあるのである。

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 上記評論の中にある「この『人民共和国』において・・・」という部分は、最近ネットに掲載され、人々による転載と当局やネット管理者による削除との「いたちごっこ」状態となっている文書の中にこういった表現があることから、この「人民日報」の評論もそのネット上の文書を意識して書かれたのかもしれません。

※「ネット上の文書」については、このブログの12月14日付け記事「2008年12月前半のできごと」の(3)を御覧ください。

(参考2)このブログの2008年12月14日付け記事
「2008年12月前半のできごと」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/12/200812-6baa.html

 また上記評論の過去のいろいろな問題点を振り返る部分では「八九風波」について言及しています。私は昨年4月北京に再び駐在するようになってから、基本的に毎日「人民日報」には目を通しているつもりですが、私が知る限り「人民日報」の紙上でどういう表現の仕方をするにせよ「八九風波」について言及したのを見たのは初めてです。(新華社ホームページの「資料」のページには以前から「1989年の政治風波」として載っていました。また、「新京報」や「経済観察報」では「政治風波」という呼び方で時々登場します。先日(2008年12月1日号)の「経済観察報」では「1989年春夏之交」と表現されていました。)

 1989年の事件については、従来は日本語のウィキペディアでは1976年に起きた「四五」(第一次)の方は見られたのですが、1989年の方のはアクセスしようとするとウィキペディアへの接続が遮断されるというアクセス規制が掛かっていました。しかし、先日(12月1日に)試しにアクセスしてみたら、北京からも見ることができるようになっていました。来年は20周年になりますので、少し扱いが変わってきているのかもしれません。

 この「任仲平」評論は、あたかも12月8日に「人民日報」の編集部が提示した「なぜ」に対する「人民日報」なりの答になっているのではないかと思います。

(参考3)このブログの2008年12月8日付け記事
「『なぜ今も中国共産党なのか』に対する答」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/12/post-f9f3.html

 この「任仲平」評論が述べている「答」で、納得するかどうかは人によって違うと思いますが、「人民日報」が自ら「なぜ」という問い掛けを提示し、それに対する答となる評論を掲げていることは、ひとつはもちろん改革開放30周年のタイミング、ということもあるのでしょうけれども、やはり上に書いた「ネット上の文書」の存在が気になっているのではないかと思います。

 「ネット上の文書」については、人々による転載と当局やネット管理者による削除が繰り返されていますが、「文書」は単にひとつの「文書」であって、多くの人が思っていることを単に率直に文章にしただけのものにしか過ぎません。「人民日報」上で、自ら「なぜ」という問を発し、自ら答える論評を書いているのは、「人民日報」としても、「ネット上の文書」を削除したところで、「多くの人が思っていること」自体を消すことはできないことをよくわかっているからだと思います。もしそれがわかっているのだったら、きっと解決策は見付かる、と私は信じています。

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