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2008年12月14日 (日)

2008年12月前半のできごと

 ここのところいろいろな案件が起きているので、ここでまとめて書いてみたいと思います。

(1)南方メディア集団副編集長の更迭

 この件は中国の新聞では伝える記事を見ていませんが、12月5日香港発時事通信によると、私がよくこのブログで引用している「南方周末」(日本語表記は「南方週末」)や「南方都市報」などの新聞を統括している南方メディア集団の副編集長の江芸平氏が更迭された、とのことです。今までこのブログでも何回も御紹介してきましたが、「南方周末」は、かなり突っ込んだ記事を書くことで有名であり、輸送費を掛けて北京に持ってきても売れる内容の新聞です。

 江芸平副編集長が更迭された後に制作された「南方周末」2008年12月11日号は、いつもと雰囲気ががらりと変わっていました。まず、それまでは新聞の標題が白地に赤く「南方周末」と書いてあったのが、12月11日号では赤地に白抜きで「南方周末」と書いてありました。

 内容も従来は以下のようなものでした。

【パートA】法治、特別報道
【パートB】時局・天下
【パートC】経済
【パートD】文化
【パートE】自由談

 最後の【パートE】は「方舟評論」という欄で「南方周末」紙の論説委員が結構辛辣な評論記事を書いていましたし、読者からの投書も載っていました。

 2008年12月11日号は「中国改革開放30周年記念特別編集(上)」ということで「三十而立」と題して、以下のような特別構成になっています。

【パートA】30年の各年を代表する人物にスポットを当てた特集記事
【パートB】経済:10名のビジネス啓蒙者にスポットを当てた特集記事
【パートC】文化(芸術、映画、演劇、音楽)、科学技術の30年を振り返る特集記事

ということで「時局・天下」を報じる部分と評論記事からなる「自由談」がなくなっています。たぶん「南方周末」社に聞けば「改革開放30周年の特集号だからいつもと違う編成なんだ」という答が帰ってくると思います(改革開放政策を打ち出した第11期中国共産党中央委員会第3回全体会議(第11期三中全会)が開かれたのが30年前の1978年12月で、今、改革開放30周年の時期に当たるのは事実です)。

 ということで、構成上は、かなり「圧力が掛かったな」という感じを受ける編成になっています。しかし、実は個々の記事を読んでみると、記事を書いている各記者は全然へこたれておらず、各記者の強い気持ちがにじみ出ている記事がたくさん掲載されています。

 例えば1面トップには、論説委員の「笑蜀」氏が書いた文章が載っています(この論説委員の名前は、もちろんペンネームでしょうが、三国志に出てくる劉備玄徳が抱いていた大望、即ち蜀(四川省)を得て漢を復興させようという「望蜀」を考えると、かなり皮肉なペンネームです)。この「笑蜀」氏の文章は、相当に意味深長なことを述べています。ポイントを示すと以下のとおりです。「笑蜀」氏に聞けば、「そんな意味は含んでいない」と否定すると思いますが、私には、あたかも下記の(3)で述べる案件と相通ずるような主張を感じました。

(参考1)「南方周末」2008年12月11日号
「再び人に戻り、再び人から出発する」(笑蜀)
http://www.infzm.com/content/21045

-「南方周末」2008年12月11日号1面の「笑蜀」氏の文章のポイント(始まり)-

・改革開放が進展したのは、当時、多数の「普通の人」を解放したからだ。一端、抑圧と屈辱の中から人々が解放されると、その創造力と進歩に対する激情は最大限にほとばしり出て、人々が奇跡を起こすことすら不可能ではなくなったのだった。

・改革開始によって、国民が歴史の主体としての位置に戻ったのである。古い革命幹部が受益しただけではなく、知識階級が受益し、社会の最先端を行く人々が受益し、ごく普通の以前だったら「貧しい人々」と呼ばれていた人たちも受益したのである。これが30年の改革の原点である。

・この改革の原点は、また新しい改革、即ち「最後の30年」の起点でなければならない。

・現代史を振り返ると、おおよそ200年がひとつの単位となっている。フランス革命によって蒔かれた自由・平等・博愛の精神の種は、ちょうど200年を経て普遍的価値となった。歴史家の唐徳剛は、中国も現代史のモデルに習うことになる、と述べている。つまり、アヘン戦争から200年後、即ち2040年までに歴史のボトルネック(原文は「歴史的三峡」)を抜ける、と述べている。200年間の苦闘の結果は、これからの「最後の30年」によって得られるのである。

・改革30年の成果には大きなものがある。しかし、権力が改革をねじ曲げ、改革を曖昧なものにし、改革を論争の種にし、看過できない事実をももたらしている。改革の精神は改革を必要としている。改革の様々な異質化を真正面から見つめなければならず、改革の中における何千万、何億の「普通の人々」の悲しみと喜び、血の涙を正視しなければならない。

・改革とは誤りを修正することである。新しい改革は、その意味するところの原点に戻らなければならない。権利システムの調整を通して、国民の心の中に国家を再建することに対する同意を与え、それによって我々の国家を真に道徳感を招き寄せうる国家にしなければならない。四川地震の救援に対して全国の人々の心がひとつになったように、全民族の力量をもって、現在直面している困難に共同して立ち向かわなければならない。そうすることにより、我々は最終的に歴史のボトルネック(「歴史的三峡」)を通り抜け、広大で穏やかな太平洋に流れ入ることができるのである。

-「南方周末」2008年12月11日号1面の「笑蜀」氏の文章のポイント(終わり)-

 さて、この号の「南方周末」では、改革開放30年の各年を代表する人物について述べていると上に書きました。一番気になる1989年の部分ですが、当然のことながら「1989年の政治風波」については何も書かれていません。

 「1989年を特徴付ける人物」で取り上げているのは、1989年3月26日に自殺した海子という詩人です。この年の特集記事のタイトルは「海子:ひとつの自由で苦痛に満ちた声が静寂に帰した」となっています。そして「理想主義の1980年代が終わった」と書かれています。

 そしてこの1989年に関する記事の最後には次の一文が載っています。

「海子は、1980年代の最後の年に自殺した。欧陽江河氏は『彼はやがて来る消費時代の到来を予感していたのかもしれない。来るべき時代は、散文的で、自嘲的で、逆説的な風刺による、身体で表現する言語の時代だったのだ。』と語った。そして、この海子の死と引き替えに、海子のような作風と海子の時代の夢が終わった。」

 この特集記事では「1989年の政治風波」については何も語っていませんが、貧しくとも未来への発展の夢があった1980年代後半を北京で過ごした私は、この特集記事の筆者(南方周末の楊継斌記者)に大いなる共感を覚えます。

(参考2)「南方周末」2008年12月11日号「改革開放30年の各年を代表する人物」
「【1989】海子:ひとつの自由で苦痛に満ちた声が静寂に帰した」
http://www.infzm.com/content/21075

(2)「新京報」による「上訪者が精神病院に入れられた事件」の報道

 この件は、日本の報道機関でも伝えられたので、御存じの方も多いと思います。

 「上訪」とは中国独特のシステムで、地方政府の横暴に苦しむ住民がその地方政府の上部機関へ(例えば、市や県の政府に苦しめられている人は省の政府へ、さらに最終的には北京の中央政府へ)訴える制度です。いわば日本の江戸時代にあった「直訴」のようなもものです。省の政府や北京の中央政府には、この「上訪」を専門に受け付ける部署があります(中央政府の場合、この受付窓口は「国家信訪局」といいます)。

 12月8日号の「新京報」は、「核心報道」として2面にわたり、強烈なレポート記事を掲載しました。内容は、今年10月、山東省新泰市の住民が北京に来て「上訪」しようとしたところ、拘束されて、強制的に新泰に連れ戻され、「新泰精神衛生センター」に入院させられて、強制的に「治療」を受けさせられた、というものです。この記事では、こういったことが2004年から繰り返し行われてきたことを明らかにしています。

(参考3)「新京報」2008年12月8日付け記事「核心報道」
「上訪者が強制的に精神病院に送られている」
http://www.thebeijingnews.com/news/deep/2008/12-08/008@021055.htm

 このレポートは内容的には非常に衝撃的なものです。一方、そういった衝撃的なルポルタージュが中国の新聞に堂々と掲載され、現在もネットで見ることができる、ということも画期的なことです。(こういった記事は「新京報」が北京の新聞だからできるのであって、地元の山東省の新聞だと、地方政府の「指導」がありますから、こういった記事は載せられないと思います)。

 この「新京報」の記事が「人民日報」に政治システムに関する記事が載ったのと同じ日に掲載された、というのは何か関連があるのでしょうか。おそらくこれら一連の記事は12月10日の「世界人権デー」にちなんで記事にした、と考えるのが自然かもしれません。

(参考4)このブログの2008年12月8日付け記事
「『なぜ今も中国共産党なのか』に対する答」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/12/post-f9f3.html

(3)「例の文書」のネットへの掲載

 そして、これが最近起きた一連の事態の中で、最も衝撃的な出来事でした。日本でも報道されているので御存じの方も多いと思います。本件は、中国国内では極めてセンシティブな(敏感な)事項であるので、北京にいる私としては「例の文書」とだけ書いておきます。「例の文書」の正式名称は「零戦」「八方」「憲男」「章節」の前の文字を組み合わせたもの(四文字)です。前の二文字は、もちろん算用数字を使うこともありあます(何のことかわからない方は、この「四文字」を日本語の検索エンジンで検索してみてください)。

 この文書がネット上で発表されたのは12月9日とされていますが、日本の報道機関が報道したのは12月10日でした。私はたまたま12月11日まで東京におり、12月11日に東京から北京へ移動したので、本件に関するネット上での取り扱いについて、東京にいた時と北京に来てからとの違いを体験することができました。

 東京では当然のことながら自由にネットを見ることができましたが、北京に来ると以下の点がわかりました。

○本件記事を掲載しているBBCホームページ中国語版が、本件記事だけではなく、ページ全体がアクセス禁止になっています。

(参考5)BBCホームページ中国語版
http://news.bbc.co.uk/chinese/simp/hi/default.stm

 このBBCホームページ中国語版は、長らく中国大陸部からはアクセス禁止状態にありましたが、北京オリンピック開始直前の2008月7月末にアクセスできるようになりました。従って、オリンピック前の状態に戻っただけなのですが、このアクセス禁止措置が今回の「例の文書」が出されたための措置であることは明らかです。

○中国語の検索エンジンで「例の文書」を検索すると、いくつかのページがヒットするもののほとんどが既にその内容は削除されています。しかし、ブログに転載されるなど削除されないで残っているものも一定の数あるので、探せば北京でも「例の文書」の本文を見ることは可能です。しかし、今日、「例の文書」の本文が見られたサイトでも、次の日になると削除されているケースが多いようです。しかし、どんどん削除されてはいるものの、どんどん転載もされているので、ネット上から完全に駆逐することは無理だろうと思います。

○人民日報のホームページにある掲示板「強国論壇」では、本件に関する直接の発言は載っていない(たぶん削除されている)のですが、明らかに本件文書を読んだと思われる人の発言が賛成・反対の立場ともに少数ながら載っています。反対の意見が載っている、ということは、反対の立場の人も文書の本文は見ている、ということなのでしょう。

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 これらの状況を見て私が感じるのは、「南方周末」の「笑蜀」氏が述べているのと同じです。即ち、ついに「最後の30年が始まった」ということです。これは1989年のように一時的な「政治風波」で終わるようなものではないと私は思っています。当局は、新聞の編集者の更迭やネット上の記事の削除やアクセス禁止措置でこれを抑え込もうとしているようですが、上記の「南方周末」の記事や、(3)の「例の文書」が次々に多数のブログに転載されている現状を見れば、もはや時代の流れを止めることは誰にもできないと私は思います。

 ただ、私が注意しなければならないと思うのは、今、世界的経済危機で、世界中の多くの人々が困難に直面しているということです。ことを急ぎ過ぎて社会的混乱を起こすことは、誰も望んでいない、ということです。私には、これから何が起こるのか、全く予想ができません。世界的経済危機が、これまで誰も経験したことのないものであるからです。また、中国で(3)の「例の文書」のようなものが広く知れ渡ったことも初めてのことだからです。さらに、中国は、新聞が(2)の記事のように使命感を持って記事を書くようになった時代を今初めて経験しているからです。私は、個々の人が、できるだけアンテナを広げて情報を収集し、自分でできる範囲のことを自分の判断でやっていく、という当たり前のことをする意外にこの予測不能な時代に対処する方法はないのだと思っています。

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