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2008年9月 4日 (木)

経済学者・呉敬璉氏へのインタビュー記事

 2008年9月1日号(8月30日発売)の経済専門週刊紙「経済観察報」の「観察家」(オブザーバー)の欄では、経済学者の呉敬璉氏に対するインタビュー記事(前編)を掲載しています。

(参考1)「経済観察報」2008年9月2日アップ記事
「『呉市場』から『呉法治』へ(1)」
http://www.eeo.com.cn/observer/dajia/2008/09/02/112308.html

 呉敬璉氏は、現在の改革開放政策に基づく中国の経済政策の理論的指導者的存在です。1989年の事件の後、計画経済を主体とすべきとする主張と市場経済を導入すべきとする主張との間の論争があり、トウ小平氏が1992年に「南巡講話」を行って、市場経済を導入させて、経済活動を活発にすることによって、一部の者が先に豊かになって、経済全体を引っ張っていくべき、という現在の中国の経済政策路線を打ち出した時の理論的バックアップをしたのが呉敬璉氏でした。当時、呉敬璉氏が唱える社会主義の原則の下で市場経済を導入させようとする経済論は「呉市場」と呼ばれ一世を風靡(ふうび)しました。今回の「経済観察報」の記事は、呉敬璉氏本人に対するインタビューを通じて、「呉市場」が登場する経緯と今後の中国経済のあり方について意見を聞いたものです。

 呉敬璉氏が経済政策論争の経緯について語っていることについては、過去にも「経済観察報」は記事にしており、そのことについて私もこのブログに書いたことがありました。

(参考2)このブログの2007年12月8日付け記事
「『経済観察報』の論調」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/12/post_1622.html

 呉敬璉氏は経済学者ですから、話の内容は経済政策に特化しており、政治的な内容の発言はありません。しかし、「呉市場」が登場した背景には、1980年代からあった保守派(計画経済を主とすべしとの主張するグループ)と改革派(市場経済も積極的に導入すべきと主張するグループ)の論争から始まって、1989年の事件の後の論争がありますから、歴史的経緯を説明する際には、どうしても1989年の事件を避けて通るわけには行きません。このインタビュー記事では、私が中国で販売されている中国の新聞の中で見た記事の中では最も淡々とした表現で、1989年の事件について語っています。呉敬璉氏は、この事件を「1989年6月の政治風波」という言葉で表現し、その後に起こった経済路線に係わる論争について淡々と語っています。あくまで経済政策に特化した説明ですが、このインタビュー記事は、改革開放30年の歴史を客観的に冷静に分析する上で、客観的な情報を提供していると思います。

 呉敬璉氏は、1980年代、保守派と改革派の論争においても、過去の「反右派闘争」や「走資派(資本主義に走る派)批判」などの記憶があったため、当初は「市場経済」という言葉を使うこと自体はばかられた、と述懐しています。そのため、当初は「市場経済」という言葉ではなく「商品経済」という表現で語られていた、とのことです。

 呉敬璉氏は、経済学者の立場から、社会主義経済と市場経済とを融合させるためには、社会主義の部分、即ち、中央政府や地方政府が経済において規律ある役割を果たすことが重要であると主張しており、従って政治体制改革の問題が1990年代に「呉市場」がブームになった頃も現代も同じように重要であると主張しています。

 私は、この呉敬璉氏が主張する点は、改革開放経済の原点であり、まさにこれから改革開放政策が順調に進んでいくかどうかのカギを握っている点だと思います。改革開放政策30周年に関するイベントが行われるであろう、今年2008年末へ向けて、「経済観察報」が改革開放政策における経済政策の原点とも言える呉敬璉氏に対する長文のインタビュー記事を掲載したのは意義あることだと思います。

 なお、呉敬璉氏は、氏が経済理論を打ち立てる上で参考とした経済モデルには、次の4つがあると語っています。即ち、(1)スターリン期の計画経済モデル(改良型ソ連モデル=国家が強力なリーダーシップで経済を主導するタイプの社会主義経済モデル)、(2)市場社会主義モデル(東欧モデル=ハンガリーなどの東欧諸国が採用した計画経済を主体としつつミクロ部分(各企業の部分)には市場的要素を導入したモデル)、(3)日本に見られるような政府が主導した市場経済体制モデル(東アジア・モデル)、(4)自由市場経済体制(欧米モデル)の4つです。このうち「東アジア・モデル」は、通産省が主導した日本や企画計画院が主導した韓国が参考になっているとのことです。

 呉敬璉氏は、日本が「神武景気」(1955~1957年(昭和30~32年)の好景気:昭和31年度の経済白書が「もはや戦後ではない」と表現したことで有名)に沸いていた頃、中国でも日本の「神武景気」が戦後の民主主義改革を基礎として出現した高度経済成長であるとの認識がなされていた、と述べています。また、呉敬璉氏は、1956年の時点で社会主義においても市場原理に基づく価格調整を導入することを主張してた顧准氏が「『中国の神武景気』はいつかは必ず来る。しかしいつ来るのかはわからない。」と述べ、辛抱強くこの問題を検討するために「待機守時」(時を守って機会を待つ)という四文字を提唱していたことを指摘しています。

 市場経済は、自由な経済活動を通して、消費者が製品を選択し、それが次の時代の経済活動を進める原動力となる、という意味で、経済活動における民主主義である、と言えます。呉敬璉氏はあくまで経済学者であり、政治的な立場は表明していません。ただ、このインタビュー記事を通じて感じられることは、政治と経済が調和しながら社会を発展させていくためには、経済において市場原理を導入するのであれば、政治においても民主化を進めていくことが必要だという点です。

 現在の中国では語ること自体がほとんどタブー視されている1989年の事件について「1989年6月の政治風波」という表現で明確に触れ、あくまで経済政策的な観点からですが、冷静かつ客観的にその前後の動きを振り返り分析しているこのインタビュー記事は、改革開放30年の歴史を振り返る意味で非常に重要な意味を持つと私は思います。なぜなら、今後、中国が安定的に発展していくためには「1989年6月の政治風波」のような事態を再び起こしてはならないのであって、そのためには「1989年6月の政治風波」とは何であって、その原因が何であったのかを冷静かつ客観的に分析し、再び起きないようにするための方策を考える必要があるからです。

 少なくとも、こういった議論が中国の新聞紙上でなされ、そういった記事がインターネット上で見られるようになっている、ということは「大きな進歩」だとして、評価すべきだと私は思います。

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