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2008年8月22日 (金)

華国鋒氏がオリンピックに沸く北京で死去

 元国務院総理、元中国共産党主席の華国鋒氏が一昨日(2008年8月20日)、オリンピックに沸く北京でひっそりと亡くなりました。87歳でした。

 華国鋒氏は、1976年9月に毛沢東主席が亡くなった直後の同年10月、当時実権を握っていた江青、張春橋、姚文元、王洪文ら「四人組」を失脚させて、毛主席の後継者として翌年には中国共産党主席となり、トウ小平時代(=現在の改革開放時代)への「つなぎ」の役割を果たした人物です。

 文化大革命を推進してきた「四人組」を失脚させたものの、自らの地位の根拠が毛主席から「後を頼む」と言われた、という「遺言」だけだったことから、毛沢東主席の路線を継続し、文化大革命を継続する、と主張し続けました。そのため華国鋒氏の政策は、どちらを向いているのかよくわからないものでした。やがてトウ小平氏が正式に復活すると、トウ小平氏は「毛沢東主席の行ったことや毛沢東主席の指示は全て正しい」(「二つの全て」)と主張する一派を「すべて派」だとして批判しました。「すべて派」が華国鋒氏を指すことは明らかでした。

 トウ小平氏は、1978年12月に改革開放路線をスタートさせました。その後、1981年6月、文化大革命を「誤りだった」と断定し、毛沢東主席も晩年には誤りを犯した、との認識を示した「建国以来の党の若干の歴史的問題に関する決議」が採択されるに到り、華国鋒氏は、党内でその存在意義を失い、副主席に降格となりました。その後も、一応、「幹部」では居続けたため、「失脚した」と表現するのは正しくありませんが、その後、華国鋒氏は政治的影響力を全く失いました。「失脚」しなかったのは「四人組追放」という功績は認められていたからでしょう。

 亡くなった一昨日当日(8月20日)の夜7時からの中国中央電視台のニュース「新聞聯播」では、後ろの方の「その他のニュース」の中で「華国鋒同志」の死去を伝えていました。「四人組」を追放し、改革開放路線への道を開いた人にしては、ちょっと寂しい扱いでした。というより、政治的影響力を失った中ででも、その死去が「新聞聯播」で取り上げられたこと自体よかったと考えるべきなのかもしれません。

 一方、昨日(8月21日)付けの「人民日報」では1面の右下の方にこの華国鋒氏の死去のニュースが遺影とともに掲載されていました。端の方とは言え「人民日報」の1面で遺影とともに伝えられた、ということについては、一定の敬意を持って報じられた、と考えてよいでしょう。

(参考1)「人民日報」2008年8月21日付け1面
「華国鋒同志が逝去」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-08/21/content_86213.htm

 ただ、この「人民日報」の記事は新華社電をそのまま伝えただけのもので、その内容は「中国共産党の優秀な党員で、共産主義に忠誠を尽くした経験ある戦士、プロレタリアート階級革命家であり、かつて党と国家の重要な指導的職務に就いていた華国鋒同志」が死去した、という事実のみを伝えるものでした。華国鋒氏の経歴については「かつて党と国家の重要な指導的職務に就いていた」と述べているだけでした。1976年1月に周恩来総理が亡くなった後、国務院総理に就任し、同年9月に毛沢東主席が亡くなった後、翌年8月に中国共産党主席に就任したことは、触れていません。また、華国鋒氏が毛沢東主席が亡くなった直後の1976年10月に「四人組」を失脚させる動きの中で中心的な役割を果たしたことについても何も触れていません。

 「人民日報」の記事のような簡単な伝えられ方だと、32年前を知らない若い人たちは、華国鋒氏がどういう人物であったのかを知らないままにこのニュースを聞き流してしまったろうと思います。「プロレタリアート階級革命家」という修飾語が付いているので、「改革開放期より以前に活躍した過去の人物なんだろうなぁ。」といった想像はできると思いますが、歴史上どういう役割を果たした人物なのかは、このニュースでは若い人たちには伝わらないと思います。

 ただし、華国鋒氏の業績は決して「消された」わけではありません。公式な歴史の中ではきちんと記述されています。

(参考2)「人民日報」ホームページ「中国共産党簡史」
「第7章:十年間の『文化大革命』の内乱」
「四、江青集団を粉砕した勝利」
http://cpc.people.com.cn/GB/64184/64190/65724/4444931.html
「第八章:第11期三中全会において社会主義事業の新しい発展段階が切り開かれた」
「一、模索の中で前進しながら正しい目標をどこに置くべきかの問題について討論した」
http://cpc.people.com.cn/GB/64184/64190/65724/4444932.html

 8月21日付けの「新京報」「京華時報」といった北京の大衆紙でも華国鋒氏の死去は報じられていますが、その内容は「人民日報」と全く同じで、新華社電をそのまま伝えただけのものでした。大衆紙は(人民日報もそうですが)紙面の多くをオリンピック関係記事に割いているため、華国鋒氏の業績について書くスペースがなかったのかもしれません。しかし、もしそうであれば、あまりに寂しいと思いました。たぶん、華国鋒氏は、結果として「四人組」を追放し文化大革命を終わらせるきっかけを作ったけれども、自分自身は「文化大革命を継承する」という立場に立っており、文化大革命を否定してトウ小平氏が始めた現在の改革開放路線からすれば「異なる立場の過去の人」であるから、その経歴を詳しく報じる必要はない、と判断されたのだろうと思います。しかし、私は、華国鋒氏が果たした役割に鑑みれば、それが例え今の政権の路線と「異なる立場の人」だとしても、その業績については積極的に若い人に伝えるべきだと思いました。

 日本の新聞の華国鋒氏の死去を伝えるニュースでは、華国鋒氏が過去に何をした人物であるのかを簡単ではありますが伝えていました。それに対して中国での報道が「かつて党と国家の重要な指導的職務に就いていた華国鋒同志」と伝えるに留まり、それ以上の情報を読者・視聴者に伝えなかったことに非常に違和感を感じました。普通の感覚だったら、周恩来総理の後を継いだ国務院総理、毛沢東主席の後を継いだ中国共産党主席だった華国鋒氏の過去の経歴は、少なくともそういう経歴の持ち主だ、という事実だけでも伝えられて当然だと思えるからです。

 全ての国において、過去の歴史に学ぶことは重要なことです。中国は日本に対して常にその姿勢を求めています。私もそれは重要なことだと考えており、過去の歴史において日本が中国に対して何をしたかを踏まえることは、日中関係を進めるための出発点だと考えています。しかし常にそう言っている中国共産党自身が、自らの過去の歴史について、そのよいところ、よくなかったところの両方を若い人にきちんと伝える努力をしているのだろうか、という点について、最近、私は疑問に思っています。改革開放路線は、文化大革命という「過去の過ち」を反省することから始まっているため、改革開放路線当初(1980年代)は、中国共産党には、党自身の歴史についても、過去の誤りは誤りとして正しく自己批判すべきだ、という姿勢が見えていました。その姿勢が、1989年以降は弱くなってしまったのではないか、というのが私の懸念しているところです。

 過去の歴史が未来を導く鑑(かがみ)である、ということは、長い歴史を持つ中国が一番良く知っていることです。今年は改革開放30周年に当たるので、オリンピックが終わると、今度は年末に掛けて改革開放30周年にちなんだ行事がいろいろ行われることになると思います。その過程で、この改革開放30年の歴史を、きちんと客観的に振り返り、正しくなかった部分は正しくなかったことだと評価した上で、若い世代に事実を伝えるようにして欲しいと私は願っています。もしそうしないならば、中国は正しい未来への道を歩むことができなくなってしまうと私は思います。

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