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2008年5月10日 (土)

日本をプラスに評価する評論

 昨日のこのブログの記事で5月8日付けの「新京報」の社説を紹介した際、「日本について中国の新聞がここまで前向きな表現を使ったことを少なくとも私は見たことはなかったように思います」と書きました。ところが、今日(5月10日(土))、改めて今週の「新京報」を読み返してみたら、昨日紹介した社説の出る前日の5月7日付けの「時事評論:国際観察」の欄に、北京の学者・劉檸氏という方の個人の見解としてではありますが、もっと日本をプラスに評価する評論が載っていました。

(参考)「新京報」2008年5月7日付け「時事評論:国際観察」欄の評論
「『日本を師として』中国の改革を推進する助けとすべき」
http://www.thebeijingnews.com/comment/zonghe/1044/2008/05-07/018@080158.htm

 この評論のタイトルは中国語で書くと「『以日為師』助推中国改革」です。この評論のポイントは以下のとおりです。

----(評論のポイント:始まり)----

○中国の改革開放の30年の歴史を振り返ると、日本は日中平和友好条約が発効した翌年の1979年以来、少なくない額の政府開発援助(ODA)を中国の経済建設の推進剤として提供した。このことを中国人は忘れてはならない。

○1980年代末までの中国の現代化にあっては、日本は中国人の心の中の「現代化」のモデルの一つであり、日本を師とすることを少しもおかしいとは思っていなかった。

○日本の中国の現代化に対する支援は、資金や技術に限ったものではない。その経済の飛躍的発展の成功の経験それ自体が、中国にとって不可欠な重要な手本だからである。

○1964年の東京オリンピックの後4年で日本は西ドイツを抜いて世界第二の経済大国となった。それから既に40年が経つ。その間、日本は産業構造改革に成功し、国際競争力を高い水準で維持し続けている。日本は、この間、経済の持続的発展の過程で、「公害列島」と言われた環境問題の悪夢を克服し、世界に誇る環境保護天国を作り上げた。

○中国は改革開放の30年で人目を驚かすほどの経済大国になったが、同時に「遅れた改革者」としての課題に直面する時代に入ってきている。今後の中国の発展のロードマップを考えるに当たっては、東の隣国を他山の石とすべきことは論を待たない。

○やがてくる「オリンピック後」の時代にあっては、中日間の「戦略的互恵関係」に基づく絆は、両国関係を発展させることを通じて中国の建設と改革の推進を後押しすることになるだろう。今はまさに日本を師とすることを再び論ずる時なのである。

----(評論のポイント:終わり)----

 この評論は、昨日付のこのブログで解説した5月8日付けの「新京報」の社説のバックグラウンドとなっている考え方だと思います。誇り高き中国の人に「日本を師とする」とまで言われると、「過奨了」(褒めすぎですよ)と言いたくなって、ちょっと「くすぐったい」気分になります。しかし、この評論は、日本人向けの単なる外交辞令ではなく、一般の中国人向けの新聞に掲載された評論ですから、ここまで突っ込んだ表現を使ったことについて、我々日本人はこの筆者の気持ちをしっかりと受け止める必要があると思います。

 これほどまでに日本を「持ち上げた」評論をしたのは、前日(5月6日)から始まった胡錦濤主席の日本訪問に当たって日中友好ムードを盛り上げたい、という当局の意向が背景にあると思いますが、「新京報」は当局の意向を素直に受け入れる系統の新聞ではありませんので、この評論はそれなりに素直に受け取ってよいと思います。日本は、こういうふうに「持ち上げ」られると、すぐに頭に乗って「天狗」になる傾向があるので気を付けないといけないと思うので、その点には注意した上で、こういった中国国内の考え方を重要視する必要があると思います。

 上記の評論の中でもう一つ着目すべき点は「1980年代末までの中国の現代化にあたっては、日本は中国人の心の中の『現代化』のモデルの一つであり、日本を師とすることを少しもおかしいとは思っていなかった。」と述べている点です。ここの部分は、1990年代に入って、中国は「歴史問題」などを強調し、中国国内で反日感情が高まったことを暗に批判しているのです。

 現在の党・中央の公式見解は、「1978年の改革開放の開始以来、党・中央の政策は一貫している」というものですが、私はこの改革開放の30年の歴史の中で1989年の前と後とでは断絶があると考えています。上記の評論は、そういった私の考え方と軌道を同じくするものです。

 1989年以降、中国共産党は国内での思想的引き締めを強化する一方、経済的には、国有企業も含めた株式市場の開設、「土地は公有」という原則は維持しつつも「土地使用権は売買できる」という考え方に基づいた土地の売買の事実上の解禁、といった改革を進め、「社会主義市場経済」の名のもとに「共産主義」からはどんどん離れていく政策を採っていきます。そうなると中国の人々の間に「我々はなぜ今も中国共産党の指導の下に政策を進めなければならないのか」との疑問が生じかねません。そこで、抗日戦争を勝ち抜いてきた中国共産党の歴史を振り返り、その歴史があるからこそ中国共産党が中国の中核とならなければならないのだ、というメッセージを中国の人々に訴える必要があったのです。つまり1989年以降の日本に対する「歴史問題」とは、実は「中国共産党だけが中国の中核になりうるのだ」ということを訴える中国国内向けのメッセージでもあったのです。

 上記の評論は、1989年以降の「歴史問題」に基づく「反日」の考え方から決別すべきだ、と表明したものであり、その意味で非常に画期的だと思います。上記の評論は劉檸という方の個人的見解として掲載されているものですが、翌日、同じ論調の論文が「新京報」の社説として掲載されたことは意義が大きいと思います。

 今回の胡錦濤主席の日本訪問は、日本側では、ギョーザ問題や東シナ海ガス田問題などの課題を先送りしただけで、具体的な成果はなかった、としてあまり高く評価しない傾向があるようですが、私は中国側から見た場合、今回の胡錦濤主席の訪日は、中国自身の政策運営に関して、画期的な歴史的転換点だと思っています。胡錦濤主席は、「反日」を乗り越えて前へ進む、というメッセージを表すことによって、1980年代への回帰、別の言い方をすると1989年以降の政策への決別を表明したからです。

 中国の1980年代は、1981年6月の「建国以来の党の若干の歴史的問題に関する決議」(いわゆる「歴史決議」)において、文化大革命を批判し、偉大な毛沢東主席もその生涯の一部においては誤りを犯した、と指摘したところから出発しています。「中国共産党も誤りを犯すことがあるのだ」「大事なのは誤りを誤りと認めた上で、前へ進むためにそれを改革することである」という点から出発した1980年代に回帰する、ということは、極めて重要な意味を持つと私は思っています。

 北京オリンピックの聖火リレーは、欧米各国で抗議行動を引き起こし、それが中国国内におけるナショナリズムの高まりを引き起こしましたが、中国の指導部や知識人(「新京報」の論説陣も含む)の間に「中華ナショナリズムの過度の高揚は、国際社会における中国の孤立化を招く」という危機感を引き起こしたのではないかと思います。今までの流れからは考えられない日本への急接近は、こういった危機感が背景にある、と私は思っています。

 私は昨年4月に20年振りに北京に駐在するようになり、この20年間、中国は経済的に飛躍的に発展したものの、様々な面でほとんど前進していない(一部については後退している)と感じて若干落胆していたのですが、今回の胡錦濤主席の訪日によって、歴史は大きく前に前進した、と感じています。今回の胡錦濤主席の訪日は、中国が国際社会の中で高い地位を占めていくには、国際的に共有できる認識に立ち、国際的理解を勝ち得なければならないことを中国の指導部や知識人たちが再認識するきっかけになったと思うからです。

 行きつ戻りつしつつも、やはり歴史は確実に前に進んでいくものなのだ、今、私はそう感じています。

(以下は、2008年5月10日夕方に追記)

 上記に紹介した「新京報」5月7日付けに掲載されていた評論『日本を師として』中国の改革を推進する助けとすべき」については、上記に「新京報」のホームページの中に掲載されているURLを載せてありますが、5月10日の午後になってから、この評論文は削除された模様です。5月10日の午前中に確認したときは、確かに「新京報」のホームページ上でも見ることができましたが、午後に確認してみると掲載されていません。「日本を師として」という表現が、自尊心あふれる中国の若者たちの心の琴線に触れ、「新京報」に抗議が殺到したからかもしれません。

 「新京報」のホームページからは削除されてしまいましたが、この評論文は、既に多くのブログや掲示板に転載されています。中国では、ネット上では著作権はないのに等しい状況ですので、一度発表された評論文などは、筆者に無断でブログや掲示板にどんどん転載されます。従って「以日為師」「助推中国改革」といったキーワードを使って検索エンジンで検索すると、この評論の原文の載ったサイトが山のように出てきます。

 それらの掲示板に載っている議論を読むと、この評論の筆者に賛同する人もいますが、やはり「一体、日本に何を学ぶというのか?」といった反発する記載が圧倒的に多いようです。

 「新京報」は、今日(5月10日)付けの紙面から、1週間に一度「評論週刊」(サブタイトル:公民読本を作る(中国語で「建設公民読本」))という時事問題に対する評論の特集を始めました。この中に、新聞各紙に掲載された評論文に対してコメントする欄があるのですが、今月の担当者・余世存氏は、この5月7日付け「新京報」の「『日本を師として』中国の改革を推進する助けとすべき」という評論を取り上げ、「現在のこのような『中国の決起』が起きている雰囲気のなかで、このような見識は発表することだけで大胆と言うべきである。」とコメントしています。

 この今日付の「評論週刊」の創刊号のタイトルは「愛国と民族主義」です。5月7日に「日本を師として」と題する評論を掲げたのは、「新京報」が若い人たちから反発が出ることを承知の上で、問題提起をしたかったからだと思います。この論文に対してはネット上のあちこちの掲示板で熱い論戦が起きていますが、むしろこれはいいことだと私は思います。敢えてこの問題を提起した「新京報」に私は敬意を表したいと思います(ただ、それならば「日本を師として」の評論をホームページ上から削除して欲しくなかったと思います)。

 これからは、中国の中で、「愛国」「民族主義」「言論・表現の自由」といった問題について、多くの人がいろいろな議論をするようになるのではないかと私は思います。

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