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2008年5月

2008年5月31日 (土)

がれきの上に立てるNGOの旗

 今日(5月31日)付けの「新京報」の「評論週刊」(週刊の評論特集)のトップに艾君という方が書いた「災害救援に見るNGOの成長」と題する文章が載っていました。

(参考)「新京報」2008年5月31日付け
「災害救援に見るNGOの成長」
~地震が変えたのは「世界が中国を見る見方」だけではない~(艾君)
http://comment.thebeijingnews.com/1108/2008/05-31/011@093126.htm

 この記事では「今回の四川大地震において、政府や軍による救援活動も行われているが、それに加えてボランティアや民間団体など、NGO(非政府組織)による活動もめざましい。このようなことは今までの中国にはなかったことだ。」といったことが指摘されています。これも四川大地震によって中国社会に起きた「偉大な変化」のひとつだと思います。

 上のURLをクリックしていただければわかりますが、この記事には、がれきの上に人々がまさに「NGO」の旗を打ち立てようとしている図が描かれています。日本人やアメリカ人ならばすぐわかりますが、この構図は、第二次世界大戦末期、硫黄島での激しい戦闘の後、アメリカ軍が硫黄島に星条旗を立てようとしている写真と同じものです。この写真を基にして、後にアメリカのワシントンD.C.を見下ろすバージニア州アーリントンの丘の上に "Iwo Jima Memorial" という記念碑の彫刻が作られました。

 中国の人々がこの硫黄島の写真についてどのくらい知っているのかはよくわからないのですが、この画はなかなか寓意を含んでいると私は思いました。硫黄島の写真は、アメリカが日本軍を苦難の末に打ち破って星条旗を打ち立てた時のものだからです。

 現在の中国では、表立って議論されることはありませんが、中国政府が、ほとんど資本主義と同じではないか、と言えるような経済政策を次々に打ち出している中にあって、「なぜ、今、中国は中国共産党の指導下にあらねばならないのか」という疑問を多くの人が抱いています。この疑問に対する答は二つあります。ひとつは「中国共産党という求心力がなければ、中国はバラバラになり、社会と経済に混乱が生じる。だから中国共産党が必要なのだ。」という答です。ただこれだと「中国全体をまとめる強力な党」が必要なのはわかるが、それがなぜ中国共産党でなければならないのか、の答にはなっていません。この問に答えるのが第二の答えで、それは「中国共産党は、中国人民の支持の上に立って抗日戦争を戦い抜き、外国勢力を排除して、中国を半植民地状態から救うに際して中心的な役割を果たした。そのような歴史を踏まえれば、中国共産党以外に中国全体をまとめる求心力を持ちうる党は存在しないから。」です。

 今回の四川大地震は、国家的大災害でしたが、これにより中国の人々の間には自発的な団結心が芽生えたように私は思います。それは中国共産党の存在をも超えた「我々は同じ中国人なのだ」といった連帯感です。このことは台湾の人々や世界中に住む多くの華僑の人々の心の中にもこの連帯感が芽生えたことからもわかると思います。それは、「もしかすると、我々は、中国共産党という求心力がなくても、中国人である、ということだけで、団結することができるのではないだろうか。」という一種の自信のようなものかもしれません。そういった党でも政府でもない団結心の象徴がNGOの活動なのだと思います。

 従って、硫黄島の写真になぞらえた「新京報」の画は、苦難の末に我々が打ち立てたのは、党でも政府でもない、素朴な人々の団結心だったのだ、そういう団結心を実は我々は心の中に持っていたのだ、ということを表しているように思えました。

 今回の四川大地震に対する中国政府や中国共産党の各組織、人民解放軍の働きには素晴らしいものがあると私は思います。しかし、それとは別に、党や政府が存在する以前の段階における人々の団結心が実は社会の根幹をなす上で重要であり、そういった団結心を我々はもともと持っていたのだ、ということに中国の人々が気が付いた、という点が非常に大きいように思います。

 上記の「新京報」の評論は「今回の地震により、世界の中国を見る目が変わったし、中国が世界を見る目も変わった。」と評しています。また、この評論では、先の海外でのオリンピック聖火に対する反応にも触れ、「世界は氷のように冷たいものでも、火のように熱いものでもなく、複雑なものなのである。このような複雑な過程に伴って我々は成長し、成熟していくのだ。」と述べています。この感覚は、私個人が受けている印象と全く同じもので、私はこの評論に大いに共感を覚えました。

 今回の大地震では多くの犠牲者が出、今も多くの被災者が厳しい避難生活を強いられています。亡くなった多くの方々を哀悼し、多くの被災者の方々を精神的に支援していくためにも、私は、今、中国で暮らす外国人に一人として、というより、地球上に住む人間の一人として、この「共感」を大事にしていきたいと思っています。

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2008年5月25日 (日)

四川大震災対応:「偉大な変化」

 5月24日発売の経済専門週刊紙「経済観察報」(2008年5月26日号)の「観察家(オブザーバー)」のページに「偉大な変化」と題する中国社会科学院近代史研究所研究員の雷●(Lei Yi)氏(●は「臣」へんに「頁」)の文章が掲載されていました。この文章では、既に中国の内外のメディアが指摘されていることですが、今回の四川大地震に対するメディアによる報道のされ方と国際援助の受け入れに対する対応は、1976年7月の唐山地震の時とは全く異なっている、と指摘しています。

 雷●氏は、死傷者の数や悲惨な被災地の状況などの現実をありのままに直視することは、以前は人心を動揺させ社会を不安定にすると考えられていたが、今回はむしろ逆で、未曾有の災害の真実が迅速に伝えられたことが、多くの人々による執政者に対する強い支持と被災者に対する同情、救援者に対する尊敬と感動を呼び起こし、人々を積極的にいろいろな方法による救援・支援活動に参加させるように後押ししている、と指摘しています。

 雷●氏は、1976年の唐山地震の後の人民日報の報道振りを細かく分析して、当時は、全ての報道は、毛沢東主席と党中央の指導の下で復旧作業が行われていることのみが強調され、死傷者数などは「国家機密」扱いにされ、「生命」とか「財産」とかいう言葉すら語られていなかった、と指摘しています。当時は、「自力更正」の考え方に基づき、国際社会からの援助も断っていました。雷●氏は、当時は人々の生命すら「政治」「政権」「闘争」に従属していた、と指摘して、当時の執政観念を批判しています。雷●氏は「今回は違う」と強調しているわけですが、それは彼が「1976年に逆戻りしてはならない」と強く主張していることを意味します。

 この種の論調は、中国のいろいろな新聞に書かれています。中国の人々自身は、この歴史的な大災害により「自分たちの社会は変わったのだ」ということを強く自覚したのではないかと思います。

 今日(5月25日)夕方、また大きな余震が発生しました。この余震による死傷者も出たようです。ダムの崩壊や「堰き止め湖」を作った土砂の決壊などによる二次災害も懸念されています。まだ500万人以上の人々が住む家がなく避難生活を強いられています。復興への道程はまだまだ遠いと思いますが、中国が、この未曾有の災害を乗り越えて、次のステップに脱皮して行くことを信じたいと思います。

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2008年5月23日 (金)

北京で感じる四川大地震

 5月12日(月)14:28(北京時間)に四川省で起きたマグニチュード8の巨大地震によって未曾有の被害が出ました。今日(5月23日)16時の民生部の発表によれば、死者55,740人、行方不明者24,960人、けが人292,481人、避難した人1,136万7,929人とのことです。死者・行方不明者・負傷者の多さもさることながら、避難した人が1,000万人を越えるというのは、とんでもない被害だと思います。亡くなった方々の御冥福をお祈りするとともに、被災された方々に心からお見舞いを申し上げます。

 5月12日の14:35分頃、私は北京のオフィスビルの11階にいました。めまいがするような感じがしましたが、「まさか。こんな揺れ方をするような地震はないよなぁ。」と思って壁を見たら、壁に掛かっているカレンダーが大きく揺れており、めまいではなく本当の地震なのだ、ということを知りました。2秒くらいの周期で1メートル近く揺れるようなゆっくりした揺れでした。私がいたのが高層オフィスビルのちょうど真ん中くらいの高さのところだったので、揺れが地面よりは増幅したようでした。日本の震度で言えば、震度2~3に相当するくらいの揺れでした。日本の高層ビルならば、「この程度の揺れは当然耐震設計の範囲内」だとわかっているので心配はしないのですが、北京のビルの耐震設計がどの程度しっかりできているのかわからなかったので、本気で机の下に潜ろうかと思いました。

 すぐにテレビを付けましたが、中央電視台第1チャンネル(総合チャンネル)は通常放送を続けていました。停電もしなかったので、それほどの地震ではないと思いましたが、あれだけ周期の長い地震があの程度の大きさで揺れた、ということは、相当遠いところで、相当大きな地震があったのかもしれない、と思いました。

 最近、日本でも大きな地震が何回も起きているので、私も経験上、近い地震ならガタガタガタという周期の短い揺れが来る、遠い地震だとユッサユッサという感じの周期の大きな揺れを感じる、ということは知っていました。ただ、巨大地震が遠くで起きた場合、普通は小さな初期微動(P波によるもの)が来て、その後でユッサユッサという大きな揺れ(S波によるもの)を感じるのですが、今回はP波による揺れに相当するものを感じなかったので、おかしいなぁ、と思いました。また、揺れ方や揺れの大きさは、自分がいる建物の構造と場所(地上近くか高層ビルの上の方か、など)でかなり違いますので、この大きなゆっくりとした揺れは建物の構造のせいかもしれない、とその時は思いました。  

 携帯電話で外出中の知人に電話を掛け、東京にも国際電話を掛けましたが、いずれも通常通りに通じました。停電もしないし、電話が通じたので、それほど大きな地震ではないのかなぁ、と思いました。しかし、窓の外を見ると大勢の人たちがビルの外に避難していました。ちょうど隣では、多くの北京市内の地区と同じように、新築の高層ビルが建設途中だったのですが、建設工事現場にいる黄色いヘルメットを被った工事労働者の人たちが、建築現場から出てきて、歩道に座って様子を見ていました。安全点検のため、一時的に建築作業が中断されていたようでした。

 地震から約50分経過した15:30頃、インターネットで、四川省でマグニチュード7.6~8.0の地震が発生した、という情報が流れました。私はまさか、と思いました。四川省と北京とは直線距離で約1,500kmも離れており、いくら巨大な地震であっても、四川省の地震を北京で感じるはずがない、もし北京で感じるような地震だったら、とてつもなく巨大な地震のはずだ、と思ったからです。

 それから15分くらいたった15:45頃、温家宝総理が四川省へ向けて出発した、というニュースがネットで流れました。何がどうなっているのかわからない時点で総理が現地へ向かう、とはびっくりしましたが、北京から四川省の成都までジェット機で約2時間掛かりますから、とにかく現地へ向かい、四川省に到着するまでの2時間の間に現地の状況を見極めよう、という胡錦濤主席の判断だったのだと思います。

 その後、インターネットで四川省アバ・チベット族チャン族自治州のブン川県(「ブン」は「さんずい」に「文」)で14:28にマグニチュード7.8(後に8.0に修正)が起き、14:35に北京市通州区でマグニチュード3.9の地震が発生した、というニュースが流れました。私は通算して3年北京にいますが、有感地震を感じたのは今回が初めてです。マグニチュード3.9程度の地震ですら、北京市内を震源とした地震が発生した、という話は聞いたことがありませんでした。ですから、この北京市通州区で地震が発生した、というニュースには耳を疑いました。また、普段地震が起きないところで地震が起きたということは、四川省の地震によって誘発された地震なのだろうか、と思いました。でも、巨大地震によって遠隔地で別の地震が誘発される、という事例は私は聞いたことがなかったので、北京の地震は四川省の地震に誘発されたわけではないだろう、そうだとすると滅多にない北京の地震がたまたま偶然に四川省の地震の直後に起きたのか、それも確率的には考えにくい、いったいどうなっているのだろう、と頭の中が混乱しました。

 翌日、この「北京市通州区でマグニチュード3.9の地震が発生した」というニュースは「誤報だった」ことがわかりました。やはり北京での揺れは四川省の巨大地震の揺れが伝わった結果だったのです。なぜ、「北京市通州区で地震」という誤報が流れたのかについての原因は、現在はまだ明らかにされていませんが、地震計によるデータを見た地震局の担当者が、四川省を震源とする地震によって北京で揺れを感じることはありえない、と判断して、北京市内を震源とする別の地震が発生した、と判断したからかもしれません(この辺は、事態が落ち着いてから検証されることになると思います)。もしそうなのだとしたら、地震局の担当者も判断を誤るくらい、四川省の地震が巨大であり、かつ、揺れがとんでもなく遠くまで伝わった、ということなのだと思います。この揺れは、北京のほか、上海、台北、香港、タイのバンコクでも感じられた、とのことです。

 地震発生時刻の14:28と北京で揺れを感じた14:35の間に7分間の時差がありますが、これは秒速約4kmと言われる地震波が1,500km離れた四川省と北京との間を伝播するためにそれだけの時間が掛かったことを示しています。

 インターネットの新華社ホームページは、地震発生直後から、上記の「北京市通州区でマグニチュード3.9の地震が発生した」という後に「誤報」であることがわかる情報も含めて、大量の情報をリアルタイムで流し始めました。

 オフィスで見られる香港発の衛星放送テレビのチャンネルは、四川省での巨大地震発生のニュースが伝わってから、通常番組を変更して地震に関する情報を流し始めましたが、中国中央電視台第1チャンネル(総合チャンネル)は通常番組を続けていました。中国中央電視台が地震の特別番組に切り替わったのは22:00~の夜のニュースが終了した22:30からでした。それから、中国中央電視台第1チャンネルでは24時間体制で生放送で地震の情報を流し始めることになります。この22:30から始まった特別番組の当初の頃は、なかなか情報が入ってこなかったことと、アナウンサーがこういった災害時の生放送の特別放送に慣れていなかったせいか、何を伝えていいのかとまどっているような様子でした。

 こういった中国の大陸のメディアが、大規模な自然災害に関する情報をリアルタイムで流すことは極めて異例のことです。おそらく情報をコントロールすることによって発生するデマによる混乱を恐れたためと思います。その後、外国メディアも含めて、現地からの情報は、生で中国国内及び世界各国に伝えられましたので、これまでの中国の自然災害(例えば今年1~2月の寒波・大氷雪被害)とは異なり、被災地の情報が瞬時に世界各地へ伝わりました。これが、その後の世界各国からの支援に結びついたと思います。(中国側は、1週間前にミャンマーで発生したサイクロン被害に対し、ミャンマーの軍事政権が外国メディアや外国人救援者の受け入れを拒否していて、国際社会から非難されていることを、かなり意識していたと思います。中国政府の対応はミャンマー政府の対応とは明らかに異なるものでした。)

 中国政府は、地震から一週間後の5月19日~21日の3日間を「全国哀悼の日」と定め、旗を半旗に掲げるとともに、公共の場所での娯楽活動を取りやめる、という「国務院公告」を出しました。このため、外国のNHKワールド・プレミアムをはじめとする歌・スポーツ・娯楽番組を含むチャンネルは全て放送が停止されました(テレビのチャンネルをNHKワールド・プレミアムなどに合わせると真っ黒い画面に「国務院の公告に基づき5月19日~21日の3日間、歌・スポーツ・娯楽番組を含む外国チャンネルの放送は停止しています」との告示が表示されるだけでした)。ニュース専門チャンネルであるBBCワールドやCNNは通常通り見ることができました。ある意味では、このことは衛星からの電波を受信して番組を配信している外国衛星テレビも当局のコントロール下にあることをはからずも示す結果となりました。各アパートメントで独自にパラボラ・アンテナを立てて直接受信しているNHK-BS1、BS2、BSハイビジョン、KBS(韓国の放送局)などは通常通り見ることができました。これらのチャンネルは当局がコントロールしていない、ということなのでしょう。

 国務院による「全国哀悼の日」の公告では、地震発生からちょうど一週間目の5月19日14:28に3分間の黙祷を捧げることが告げられていました。ラジオでは、座っている人は起立し、車に乗っている人は車を停止して車を降りて黙祷するように呼びかけが行われました。各職場でも黙祷のための集会が行われたようでした。私がこの日の午後訪問を予定していた機関でも、14:28から全職員による黙祷集会がある、と聞いたので、訪問を早々に切り上げて、私たちは近くにある清華大学のキャンパスへ行きました。14:28近くになると、キャンパス内の各建物から学生や教職員らが続々と出てきて、建物の前に半旗で掲げられている国旗の周りに集まりました。

 14:28になると一斉に防空警報のサイレンが鳴り響きました。併せて、多くの車がクラクションを鳴らして弔意を表しているのが聞こえました。大学の学生や教職員らは静かに黙祷を始めました。ちょっと蒸し暑い初夏の午後でしたが、一斉に鳴り響くサイレンと車のクラクションの中、大勢の人が身じろぎもせずに黙祷をしている中で、私も一緒に黙祷しました。中国には、今、いろいろな問題があるけれども、とにもかくにも、今は、全ての人が力を合わせて、この被災した人々を助けなければならない、という気持ちにさせる3分間でした。

 そもそも北京に防空警報システムがある、ということは、この時、初めて知りました。本来はあまり公にしていないものについても、中国政府は「今はそんなことを言っている場合ではない」として、かなりの部分で「秘密解除」をしたところがあったように思います。北京の新聞各紙によると、北京の防空警報システムのサイレンが実際に鳴ったのは、これが初めてなのだそうです。

 5月19日14:28からの「黙祷の3分間」の後も、北京では、多くの市民が天安門前広場に集まって哀悼の意を捧げた、とのことです。夕方暗くなると人々は手に手に火の灯ったロウソクを持って亡くなった数多くの犠牲者の冥福を祈りました。この日、20:30頃、私は天安門前広場前の長安街を車で通りました。夜になると天安門前広場は立ち入り禁止になるのですが、天安門前広場の周辺は、いつもより数多くの警官が出て警戒に当たっていました。天安門前広場近くの歩道には、まだロウソクを手に持ったまま家路に付こうとしている大勢の人たちが歩いていました。

 多くの市民が哀悼の意を捧げるために自然発生的に天安門前広場に集まる、という現象は、過去にも1976年4月と1989年4月に起きました。1976年の時は1月に亡くなった周恩来総理を悼んで、1989年の時は4月に亡くなった胡耀邦前総書記を悼んでのものでした。いずれのケースも、この「哀悼の意を表するために自然発生的に天安門前広場に集まった市民等の動き」は、その後、「事件」と呼ばれる事態に発展していったのですが、2008年5月19日の状況はそれとは全く異なるものでした。人々は、心から地震で亡くなった人々を悼んで、集まったのでした。そういった人々に対しても、数多くの警官が出て警戒に当たらなければならない、というのが、現在の中国の悲しい点だと私は思いました。

 5月22日の午前0時を過ぎると、停められていた外国の衛星テレビ放送は通常に戻りました。香港発の音楽専門衛星テレビ「チャンネルV」は、5月22日は電波は復活していましたが、内容はいつもの音楽番組ではなく、中国中央電視台が伝える震災報道特番組を流していました。5月23日になり「チャンネルV」も通常の音楽番組を流すようになりました。ただ、「チャンネルV」の中で流れていた中国語版の「We are the World」(1980年代、アメリカの音楽家たちが集まってアフリカ支援のために歌った歌)は心に滲みるものがありました。5月23日になると、中国中央電視台も通常のドラマ番組を流すようになり、徐々に通常状態に戻りつつあります。5月23日の夕方にはロシアのメドべージェフ大統領が北京を訪れ、胡錦濤主席と首脳会談を行いました。これも「業務は通常に戻った」というひとつのサインだと思います。

 今回の地震は、中国のメディアを明らかに変えました。悲惨な災害現地からのテレビの生中継など今まではなかったのですが、それをやりはじめたのです(ただ、生中継の画面には、救援隊の活動などは映るものの、一般の被災者は出ません。一般の被災者が出るのは録画された場面だけ、という点は、まだ他の国のメディアと違うところです)。

 災害現場は、非常に広範囲であり、土砂崩れによって堰止められてできた湖など二次災害の危険もあります。いろいろな情報が錯綜しているところもあるようです。多くの人々が懸命に努力していますが、復興までには、まだかなりの時間が掛かるものと思われます。

 学校で手抜き工事が行われていたのではないか、などいろいろな議論が行われていますが、断層面が何百キロにもわたって地表に出るようなマグニチュード8の地震が人間が住んでいる直下で起きた今回の地震災害は、おそらく人類が経験した地震災害の中でも最大のものではないかと思います。マグニチュード8の直下型地震に襲われたら、どんな耐震工事も役に立たないでしょう。そうした中、何が問題であり、何を改善すべきなのか、はこれから議論されていくことでしょう。それよりもまず、今は、ケガをした人々の治療を行い、被災して避難している人たちの健康を維持して、生活できる場を再建することが先決です。

 北京オリンピックまで、どの程度復興ができるのか、今の時点ではまだわかりませんが、なんとか多くの人々が力を合わせて、派手な演出は控えつつ、オリンピック競技が行える状況になるよう祈りたいと思います。

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2008年5月10日 (土)

日本をプラスに評価する評論

 昨日のこのブログの記事で5月8日付けの「新京報」の社説を紹介した際、「日本について中国の新聞がここまで前向きな表現を使ったことを少なくとも私は見たことはなかったように思います」と書きました。ところが、今日(5月10日(土))、改めて今週の「新京報」を読み返してみたら、昨日紹介した社説の出る前日の5月7日付けの「時事評論:国際観察」の欄に、北京の学者・劉檸氏という方の個人の見解としてではありますが、もっと日本をプラスに評価する評論が載っていました。

(参考)「新京報」2008年5月7日付け「時事評論:国際観察」欄の評論
「『日本を師として』中国の改革を推進する助けとすべき」
http://www.thebeijingnews.com/comment/zonghe/1044/2008/05-07/018@080158.htm

 この評論のタイトルは中国語で書くと「『以日為師』助推中国改革」です。この評論のポイントは以下のとおりです。

----(評論のポイント:始まり)----

○中国の改革開放の30年の歴史を振り返ると、日本は日中平和友好条約が発効した翌年の1979年以来、少なくない額の政府開発援助(ODA)を中国の経済建設の推進剤として提供した。このことを中国人は忘れてはならない。

○1980年代末までの中国の現代化にあっては、日本は中国人の心の中の「現代化」のモデルの一つであり、日本を師とすることを少しもおかしいとは思っていなかった。

○日本の中国の現代化に対する支援は、資金や技術に限ったものではない。その経済の飛躍的発展の成功の経験それ自体が、中国にとって不可欠な重要な手本だからである。

○1964年の東京オリンピックの後4年で日本は西ドイツを抜いて世界第二の経済大国となった。それから既に40年が経つ。その間、日本は産業構造改革に成功し、国際競争力を高い水準で維持し続けている。日本は、この間、経済の持続的発展の過程で、「公害列島」と言われた環境問題の悪夢を克服し、世界に誇る環境保護天国を作り上げた。

○中国は改革開放の30年で人目を驚かすほどの経済大国になったが、同時に「遅れた改革者」としての課題に直面する時代に入ってきている。今後の中国の発展のロードマップを考えるに当たっては、東の隣国を他山の石とすべきことは論を待たない。

○やがてくる「オリンピック後」の時代にあっては、中日間の「戦略的互恵関係」に基づく絆は、両国関係を発展させることを通じて中国の建設と改革の推進を後押しすることになるだろう。今はまさに日本を師とすることを再び論ずる時なのである。

----(評論のポイント:終わり)----

 この評論は、昨日付のこのブログで解説した5月8日付けの「新京報」の社説のバックグラウンドとなっている考え方だと思います。誇り高き中国の人に「日本を師とする」とまで言われると、「過奨了」(褒めすぎですよ)と言いたくなって、ちょっと「くすぐったい」気分になります。しかし、この評論は、日本人向けの単なる外交辞令ではなく、一般の中国人向けの新聞に掲載された評論ですから、ここまで突っ込んだ表現を使ったことについて、我々日本人はこの筆者の気持ちをしっかりと受け止める必要があると思います。

 これほどまでに日本を「持ち上げた」評論をしたのは、前日(5月6日)から始まった胡錦濤主席の日本訪問に当たって日中友好ムードを盛り上げたい、という当局の意向が背景にあると思いますが、「新京報」は当局の意向を素直に受け入れる系統の新聞ではありませんので、この評論はそれなりに素直に受け取ってよいと思います。日本は、こういうふうに「持ち上げ」られると、すぐに頭に乗って「天狗」になる傾向があるので気を付けないといけないと思うので、その点には注意した上で、こういった中国国内の考え方を重要視する必要があると思います。

 上記の評論の中でもう一つ着目すべき点は「1980年代末までの中国の現代化にあたっては、日本は中国人の心の中の『現代化』のモデルの一つであり、日本を師とすることを少しもおかしいとは思っていなかった。」と述べている点です。ここの部分は、1990年代に入って、中国は「歴史問題」などを強調し、中国国内で反日感情が高まったことを暗に批判しているのです。

 現在の党・中央の公式見解は、「1978年の改革開放の開始以来、党・中央の政策は一貫している」というものですが、私はこの改革開放の30年の歴史の中で1989年の前と後とでは断絶があると考えています。上記の評論は、そういった私の考え方と軌道を同じくするものです。

 1989年以降、中国共産党は国内での思想的引き締めを強化する一方、経済的には、国有企業も含めた株式市場の開設、「土地は公有」という原則は維持しつつも「土地使用権は売買できる」という考え方に基づいた土地の売買の事実上の解禁、といった改革を進め、「社会主義市場経済」の名のもとに「共産主義」からはどんどん離れていく政策を採っていきます。そうなると中国の人々の間に「我々はなぜ今も中国共産党の指導の下に政策を進めなければならないのか」との疑問が生じかねません。そこで、抗日戦争を勝ち抜いてきた中国共産党の歴史を振り返り、その歴史があるからこそ中国共産党が中国の中核とならなければならないのだ、というメッセージを中国の人々に訴える必要があったのです。つまり1989年以降の日本に対する「歴史問題」とは、実は「中国共産党だけが中国の中核になりうるのだ」ということを訴える中国国内向けのメッセージでもあったのです。

 上記の評論は、1989年以降の「歴史問題」に基づく「反日」の考え方から決別すべきだ、と表明したものであり、その意味で非常に画期的だと思います。上記の評論は劉檸という方の個人的見解として掲載されているものですが、翌日、同じ論調の論文が「新京報」の社説として掲載されたことは意義が大きいと思います。

 今回の胡錦濤主席の日本訪問は、日本側では、ギョーザ問題や東シナ海ガス田問題などの課題を先送りしただけで、具体的な成果はなかった、としてあまり高く評価しない傾向があるようですが、私は中国側から見た場合、今回の胡錦濤主席の訪日は、中国自身の政策運営に関して、画期的な歴史的転換点だと思っています。胡錦濤主席は、「反日」を乗り越えて前へ進む、というメッセージを表すことによって、1980年代への回帰、別の言い方をすると1989年以降の政策への決別を表明したからです。

 中国の1980年代は、1981年6月の「建国以来の党の若干の歴史的問題に関する決議」(いわゆる「歴史決議」)において、文化大革命を批判し、偉大な毛沢東主席もその生涯の一部においては誤りを犯した、と指摘したところから出発しています。「中国共産党も誤りを犯すことがあるのだ」「大事なのは誤りを誤りと認めた上で、前へ進むためにそれを改革することである」という点から出発した1980年代に回帰する、ということは、極めて重要な意味を持つと私は思っています。

 北京オリンピックの聖火リレーは、欧米各国で抗議行動を引き起こし、それが中国国内におけるナショナリズムの高まりを引き起こしましたが、中国の指導部や知識人(「新京報」の論説陣も含む)の間に「中華ナショナリズムの過度の高揚は、国際社会における中国の孤立化を招く」という危機感を引き起こしたのではないかと思います。今までの流れからは考えられない日本への急接近は、こういった危機感が背景にある、と私は思っています。

 私は昨年4月に20年振りに北京に駐在するようになり、この20年間、中国は経済的に飛躍的に発展したものの、様々な面でほとんど前進していない(一部については後退している)と感じて若干落胆していたのですが、今回の胡錦濤主席の訪日によって、歴史は大きく前に前進した、と感じています。今回の胡錦濤主席の訪日は、中国が国際社会の中で高い地位を占めていくには、国際的に共有できる認識に立ち、国際的理解を勝ち得なければならないことを中国の指導部や知識人たちが再認識するきっかけになったと思うからです。

 行きつ戻りつしつつも、やはり歴史は確実に前に進んでいくものなのだ、今、私はそう感じています。

(以下は、2008年5月10日夕方に追記)

 上記に紹介した「新京報」5月7日付けに掲載されていた評論『日本を師として』中国の改革を推進する助けとすべき」については、上記に「新京報」のホームページの中に掲載されているURLを載せてありますが、5月10日の午後になってから、この評論文は削除された模様です。5月10日の午前中に確認したときは、確かに「新京報」のホームページ上でも見ることができましたが、午後に確認してみると掲載されていません。「日本を師として」という表現が、自尊心あふれる中国の若者たちの心の琴線に触れ、「新京報」に抗議が殺到したからかもしれません。

 「新京報」のホームページからは削除されてしまいましたが、この評論文は、既に多くのブログや掲示板に転載されています。中国では、ネット上では著作権はないのに等しい状況ですので、一度発表された評論文などは、筆者に無断でブログや掲示板にどんどん転載されます。従って「以日為師」「助推中国改革」といったキーワードを使って検索エンジンで検索すると、この評論の原文の載ったサイトが山のように出てきます。

 それらの掲示板に載っている議論を読むと、この評論の筆者に賛同する人もいますが、やはり「一体、日本に何を学ぶというのか?」といった反発する記載が圧倒的に多いようです。

 「新京報」は、今日(5月10日)付けの紙面から、1週間に一度「評論週刊」(サブタイトル:公民読本を作る(中国語で「建設公民読本」))という時事問題に対する評論の特集を始めました。この中に、新聞各紙に掲載された評論文に対してコメントする欄があるのですが、今月の担当者・余世存氏は、この5月7日付け「新京報」の「『日本を師として』中国の改革を推進する助けとすべき」という評論を取り上げ、「現在のこのような『中国の決起』が起きている雰囲気のなかで、このような見識は発表することだけで大胆と言うべきである。」とコメントしています。

 この今日付の「評論週刊」の創刊号のタイトルは「愛国と民族主義」です。5月7日に「日本を師として」と題する評論を掲げたのは、「新京報」が若い人たちから反発が出ることを承知の上で、問題提起をしたかったからだと思います。この論文に対してはネット上のあちこちの掲示板で熱い論戦が起きていますが、むしろこれはいいことだと私は思います。敢えてこの問題を提起した「新京報」に私は敬意を表したいと思います(ただ、それならば「日本を師として」の評論をホームページ上から削除して欲しくなかったと思います)。

 これからは、中国の中で、「愛国」「民族主義」「言論・表現の自由」といった問題について、多くの人がいろいろな議論をするようになるのではないかと私は思います。

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2008年5月 9日 (金)

日中関係で一歩踏み込んだ社説

 訪日中の胡錦濤主席と福田総理との間で首脳会談が行われ、日中共同声明が発表された翌日の5月8日、北京の大衆紙「新京報」は、「中日の戦略的互恵関係:改革の中に発展を探る」と題する社説を掲載しました。日中首脳会談の翌日の新聞が日中関係に関する社説を掲載するのは当然と言えば当然ですが、私は、この「新京報」の社説の内容は、少なくとも私が見た中国の新聞に掲載された日中関係に関する論評の中では飛び抜けて踏み込んだ内容になっていると感じました。

(参考)「新京報」2008年5月8日付け社説
「中日の戦略的互恵関係:改革の中に発展を探る」
http://www.thebeijingnews.com/comment/shelun/2008/05-08/018@075847.htm

 この社説の中で私が新しい視点だと感じたポイントは以下の点です。

----(社説のポイント:始まり)----

○我々は今回の共同声明の中で、歴史問題について日本の戦略戦争に対する「反省」や「謝罪」が盛り込まれず、その代わりに「歴史を正視し、未来へ向かう」という中立的な表現になっていることに特に注目したい。中日両国がアジアにおける二大大国として、共に「戦略互恵関係」に則って21世紀を切り開いていくことを中国側が決心したことを明確に表しているからである。またこのことは同時に、日本が戦後60年以上にわたり平和的発展の道を歩んできたことを正面から評価し、肯定していることを意味しているからである。

○具体的な係争問題を棚上げにしてでも、地球規模の課題に取り組むことが歴史と世界が中日両大国に与えた使命である。中日両国は、国際社会における「責任を負った大国」として共に手を取り大きな目標を目指さなければならないのである。

○今回の共同声明では、原則として隔年ごとに首脳が相互訪問することを確認している。これまで両国は、共通に持つ東洋的性格から、両国首脳の個人的考え方が両国関係に色濃く反映されてきた。両国首脳の相互訪問を決めたことは、こういった問題を回避する「安全ネット」の役割を果たすだろう。

○もちろん、我々には「毒ギョーザ事件」によって起きた相互の信頼関係の問題や食品貿易への影響を回復させる必要があるし、東シナ海ガス田問題に関してはまだ話し合う必要がある、といった問題が残されている。しかし、双方は戦略的観点から前向きに問題解決へ向けて努力することができるし、協力と戦略的信頼関係を強化することもできるのである。

○日本は、中国の改革開放政策を進めるに当たって有効な支援をしてくれた隣国として、また、中国の人々の心の中にとっての現代化の「手本」として、中国が「遅れた改革者」としての変革の道を歩み終わることに対し、寛容と理解を持った視線を投げ掛ける必要がある。

○21世紀の中日関係が新しい未来を切り開けるかどうかは、両国が真の協和した大国同士として「君子の交わり」を結び、中国の改革(中国語では「転型」)の成功が大きく、深く行われることに対して妨害がなされることがないようにできるかどうか、に掛かっている。この意味で言えば、中国の改革は、日本にとっても「他人事」ではないのである。

----(社説のポイント:終わり)----

 「新京報」は、中央政府の基本的な方針に大きく反対することはしないものの、「人民日報」や「新華社」とはひと味違った、党・政府の公式な方針から一歩離れた独自の立ち位置から論説を展開するのが普通です。上記の社説は、基本的には5月7日に出された日中共同声明を肯定的に受け止めるとともに、歴史問題などに関しては5月8日に胡錦濤が早稲田大学で行った講演と同じ路線の論調ですが、私は以下の点で特筆すべき点があると思います。

・共同声明の中で日本による侵略戦争について「反省」や「謝罪」について触れられていないことをプラスに評価していること。

・「日本が戦後60年以上にわたり平和的発展の道を歩んできたことを正面から評価し、肯定している」として、中国の新聞としては今までになく日本の戦後の歩みを真正面からプラスに評価していること。

・日中両国を「アジアにおける二つの大国」と位置付け、「中国がアジアの中心になるべき」という発想に立っていないこと。

・「毒ギョーザ事件」「東シナ海ガス田問題」等、胡錦濤主席の訪日で「友好ムード」を盛り上げる努力をしている党・中央の方針の中にあって、日中間の問題となるべき点はきちんと指摘していること。

・日本を「改革開放を支援してくれた隣国」「現代化の『手本』」と表現したこと(日本について中国の新聞がここまで前向きな表現を使ったことを少なくとも私は見たことはなかったように思います)。

・この社説の筆者が「改革を進めていく過程で、中国はこれからいろいろ困難な局面に立ち向かうことになると思うが、そういう中国を『寛容と理解をもって』見ていて欲しい」と考えているとともに、中国の改革が失敗することは日本にも大きな影響を与えることを指摘して、中国の「正しい改革」に対する日本の支持と支援を期待していることが窺えること。

 最後に挙げた「正しい改革」とは、「新京報」はあからさまには表現しませんが、これまでの論調を踏まえれば、「政治の民主化」であり「政府の情報の公開」であり「表現や報道の自由」であり「社会的安定の中での格差の是正」であり「社会の底辺を支える人々に対する民生の向上」であると思われます。

 「新京報」の論説を書く人々は、政治の民主化の問題、人権の問題、政治に関する情報の公開性の問題、表現や報道の自由の問題、農村と都市との格差の問題など中国が抱える様々な問題があることはよく理解しています。一方で、社会の安定を維持し、経済的な混乱が起こるようなことのないようにしながらそれらの問題を解決することは非常に難しいこともよくわかっています。

 世界各地を回った聖火リレーへの対応において、欧米各国では、人権の問題などに対して批判が相次ぎましたが、批判した人たちが言うとおりに変えれば問題が解決するほど中国が抱える問題は単純ではありません。社会や経済を安定させた状態を維持しつつ、これらの問題を解決していくためには、まさに「寛容と理解をもって」中国の改革を辛抱強く支持することが必要なのです。この社説の筆者は、その役割を、中国との間で不可分の利害関係を持つ日本に果たして欲しい、と思っているのだと思います。

 胡錦濤主席と福田総理は、大陸においても台湾においても、現在でも「中国革命の父」と慕われる孫文ゆかりのレストランで会食をしました。胡錦濤主席は早稲田大学の講演の中で中国共産党の創始者である陳独秀、李大釗の名前を挙げ、彼らが早稲田大学に留学していたことを指摘していました。日本は、20世紀初頭、中国革命の指導者たちが育つ場を提供していたのです。胡錦濤主席は、そのことを改めて思い起こさせようとしたのだと思います。従って、日本が「寛容と理解をもって」中国の改革を支持する、というこの「新京報」の社説は、胡錦濤主席が言わんとしたことと相通じるものだと思います。

 今回の「新京報」の社説は、21世紀の日中関係を考える上で、非常に重要なポイントを突いており、私も大いに共感するところがありましたので、このブログで取り上げさせていただきました。

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2008年5月 4日 (日)

「新京報」北京大学創立110周年記念特集

 今日(2008年5月4日)付けの北京の大衆紙「新京報」では、昨日、胡錦濤主席が北京大学を訪問したことを報じるとともに、北京大学創立110周年記念特集として、北京大学の歴史や北京大学卒業生の有名人に対するインタビューなどを掲載していました。

 胡錦濤主席の北京大学訪問の記事では、北京大学人文学部の袁行霈教授が胡錦濤主席との座談会で次のようなことを話したことが載っています。

○大学は非常に自由な学術環境が必要であり、自由な研究ができる前提の下でこそ多くの成果が得られるのである。

○(政府による)これまでの物質的な支援のほか、さらに重要なのはもっと多くの自主権を大学に与えることである。

○民族の文化を伝承し、人の理念と精神的な面を向上させるため、人文社会学科をさらに重要視ことを希望する。

(参考1)「新京報」2008年5月4日付け記事
「胡錦濤主席、北京大学を視察」
http://www.thebeijingnews.com/news/beijing/2008/05-04/018@074558.htm

 この袁行霈教授の話は、胡錦濤主席がライバル校である清華大学の理工系(水利技術学科)卒であることを意識しているものと思われます。また、この日の「新京報」の北京大学創立110周年特集号では、昨年11月に撤去された「三角地」について、歴史的には「北京大学の民主の壁」と呼ばれてきたことを紹介するなど、「新京報」の記事自身が「自由な学術環境」「大学の自主権」を重要視した内容になっていることが注目されます(ただし、さすがに「北京大学の歴史」「三角地の歴史」の中でも1989年のことについては触れていません)。

(参考2)このブログの2007年11月3日付け記事
「北京大学の『三角地』掲示板の行方」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/11/post_b865.html

 なお、昨日の胡錦濤主席の北京大学訪問については、「人民日報」で1面のほとんど全てをこれに関連する記事にあてるなど、大きく取り上げています。

(参考3)「人民日報」2008年5月4日付け1面
「心から深い気持ちを北京大学キャンパスに寄せる~胡錦濤総書記、北京大学視察の概要~」「北京大学の教授・学生代表との座談会における講話」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-05/04/node_17.htm

 5月4日は「五四青年節」で、北京大学は1919年の「五四運動」の発生の地ですから、5月4日付けの新聞で「北京大学特集」を組むのは別におかしくはないのですが、扱い方がやけに大きいなぁ、ということと「新京報」が「自由な学術環境」「大学の自主権」に重きを置いた記事にしていることが私の印象に残りました。

 今、北京大学と清華大学は、北京市の中関村地区で隣接して立地していて、中国のトップを行く大学としてライバル関係にあります。最近は、輩出する国家指導者の数やいろいろな学術研究の成果では清華大学の方が上だ、と考える人も多いのですが、「中国を引っ張ってきた」という歴史の重みとそれに裏打ちされた自負とプライドにおいては、まだまだ北京大学の方が上だ、と思っている人が多いのかもしれません。今日の「人民日報」や「新京報」の記事を見て、そんなことを思いました。

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2008年5月 3日 (土)

胡錦濤国家主席が5月3日に北京大学を訪問

 中国では、5月4日は、1919年の5月4日に始まった「五四運動」にちなんで「青年節」と呼ばれ、青年(14歳~28歳)には半日の休日が与えられる、という法定休日になっています。

---【「五四運動」に関する説明】(始まり)---

 1919年1月から第一次世界大戦の戦後処理について話し合うヴェルサイユ会議が開かれましたが、この会議において、中国は当時日本が占領していた山東半島を中国に返還するように要求していました。山東半島は、もともとドイツが租借地として支配していましたが、英仏に味方して第一次世界大戦に参戦した日本は、山東半島に出兵し、ここを占領しました。そして、日本は、1915年、「対華21か条」において、日本による山東半島占領を認めるよう中国に要求しました。英仏米もこの日本の要求を黙認したため、当時の中国の袁世凱政権はこの要求を飲まざるを得ませんでした。戦争が終わってドイツが負けたことから、中国政府は、アメリカ大統領ウィルソンが提唱していた「民族自決主義」の原則に基づき、山東半島を中国に返還するよう要求していたのです。

 しかし、第一次世界大戦の戦勝国側(英仏米日)がリードするヴェルサイユ会議は、この中国の要求を拒否しました。中国の要求が拒否されたことが伝えられると、中国の人々の列強各国、特に日本に対する怒りが爆発し、1919年5月4日、北京大学の学生らが天安門前へ向けてデモを行ったことをきっかけに、中国における反帝国主義の大衆運動が広がっていったのでした。これが「五四運動」です。5月4日は、中国革命において、学生ら青年たちの民族主義的な情熱から出発して、幅広い人々による大衆運動が広まった「真の革命」の出発点の日として、今でも歴史上の重要な日として位置付けられています。

---【「五四運動」に関する説明】(終わり)---

 世界を巡った北京オリンピックの聖火リレーに対して様々な妨害活動があったことから、今、これに反発して、中国のナショナリズムがいつになく高まっています。特にフランスでの聖火リレーに対する抗議活動が激しく、フランスのサルコジ大統領が「場合によってはオリンピックの開会式に出ないこともあり得る」といった発言をしていることから、中国の若い人たちの間にフランスに対する反発が高まり、フランスの会社が経営するスーパーマーケット「カルフール」での不買運動が起こるまでになっています(この不買運動は、「『カルフール』の大手株主がチベット独立運動グループを支援している、とのウワサがネット上で広まったことがきっかけになっています。「カルフール」側はこのウワサを否定しています)。

 中国国内のメディアも、「チベットでの動きに対する西側メディアの報道は偏向している」など、中国の人々の愛国主義的感情を煽るような報道をしてきたのですが、学生らの動きが「カルフール」の不買運動にまで発展したことを受けて、「愛国主義は重要だが、それは理性的に国家建設へ向ける必要がある」といった趣旨の論説を掲載するなど、ナショナリズムの過激化を警戒するようになってきています。特に、オリンピック成功へ向けて国際世論に対する配慮を示すため、チベット問題に関してダライ・ラマ側と非公式な接触を図ろうとしている中国政府にとって、あまりに過激なナショナリズムは好ましくありません。非公式とは言え、ダライ・ラマ側と接触しようとする政府に対して、学生らが「妥協しすぎだ」と反発すると困るからです。5月4日は、ナショナリズムの国民運動の出発点である「五四運動」の記念日なので、この日をきっかけに学生らの動きが、中国政府の思惑を超えるほどに盛り上げることは、中国政府としても困るのです。

 そんな中、5月1日に日本の時事通信は「胡錦濤国家主席が5月4日に北京大学を視察することを予定している」というニュースを配信しました。私は「まさか」と思いました。北京大学は「五四運動」の発生の地です。また、北京大学の学生は今でも「自分たちが中国をリードしている」というプライドを持っています。そんな中、「五四運動」の記念日に国家主席が北京大学へ行ったら、国家主席に「直訴」しようとする学生らに格好のきっかけを与えてしまうことになるからです。国家主席自らが「愛国主義の熱情は素晴らしいもので理解できる。しかし、その情熱は理性的に社会の建設のために向けて欲しい。」と訴えることは非常に重要なことだと思うのですが、それを5月4日に胡錦濤主席自らが北京大学に出向いて行うのはあまりにも刺激的だ、と私には思えました。また、警備上の都合から言っても、国家主席の視察日程が事前に報道されることはあり得ないはずだ、と私は思いました。

 ところが、今日(5月3日)夜7時から放送された中国中央電視台の「新聞聯播」によると、胡錦濤国家主席は、5月4日ではなく、今日(5月3日)に北京大学を視察した、とのことです。このテレビのニュースでは、胡錦濤主席が大学生らと和やかに交流したり、白人の外国人留学生と交流して国際的な相互理解の重要性を強調したりしている姿が放映されました。胡錦濤主席が5月4日に北京大学へ行く、という時事通信の報道は、一種の「おとり情報」だったようです。5月4日の前日に電撃的に行くことで、胡錦濤主席は、過激な学生らに「直訴」されるようなことなく、「愛国主義の熱情は理性的な方向へ向けよう」「国家の団結も重要だが、それを基にした国際的相互理解もまた重要だ」という強いメッセージを学生たちに発することに成功したと思います。

 一方、5月2日時点での日本での報道やBBC、CNNでは、ダライ・ラマ側の特使は、5月3日に中国に入って中国側と接触する予定、と報道していました(一部の報道では、ダライ・ラマ側の特使が行く場所は北京だ、と報道していました)。「五四」の前日にダライ・ラマ側と接触したりしたら、ナショナリズムで高揚している学生たちを刺激するだけで、タイミングとしては悪すぎる、と私は思いました。

 ところが、北京時間5月3日夜の報道によると、ダライ・ラマ側の特使は5月3日に中国に入ったが、中国政府の関係者と会談するのは5月4日だ、とのことです。また、NHKのニュースなどの報道によると、会談の場所は北京ではなく広東省深セン(香港の北隣)だ、とのことです。中国政府とダライ・ラマ側との非公式な接触については、中国国内のメディアでは伝えられていません。日本や欧米のメディアは、中国側やダライ・ラマ側から非公式に流される情報に「踊らされて」いるようです。こういった「水面下の交渉」が行われる時間や場所は、交渉がそれこそ「水面下」で行われるので、正確な情報はオモテには出ないのが普通なので、流される情報に振り回されないようにする必要があると思います。

 また、昨日(5月2日)、今日(5月3日)の時点で「カルフール」を意味する中国語の「家楽福」を中国の検索エンジン(百度(バイドゥ)、Yahoo!、Google)で検索すると「法律の規定に基づき検索結果が表示されません」と表示され、検索することができません。インターネットによる不買運動の動きが広がることを防ぐため、当局によるインターネットアクセス制限が掛かっているからのようです。

 こういったインターネット・アクセス制限については、当局側が公表しないのはもちろんのこと、中国の新聞でも報道されないのが普通なのですが、今日(5月3日)発売の経済専門週刊紙「経済観察報」(2008年5月5日号)では、1面に載せた「カルフールの5月1日」(中国語で「家楽福5月1日」)と題する記事の中で、「カルフール」の語が百度で検索できないことを伝えています。

 一方、中国「カルフール」のホームページに非常に似た(スペリングで1字違いの)アドレスを持つ愛国主義を訴える過激なイメージのサイトには、アクセス制限が掛かっておらず、閲覧できる状態になっています(このサイトでは「オリンピックを妨害するいかなる言論や行動に対しても断固として反対しよう」というスローガンが掲げられていますが、「不買運動をしよう」などとはひとことも言っていないので、削除やアクセス制限の対象になっていないものと思われます。しかし、そのアドレスを見れば「カルフール」を対象にしていることは明らかです)。

 また、新華社のホームページには、伝えられる記事に対する意見を書き込める掲示板が付いているのですが、「カルフール」の不買運動に対して「理性的に対応しよう」という専門家の論評に対する掲示板には、「専門家は何もわかっていない」など、不買運動を支持する書き込みが削除されずにそのまま掲載されています。

 胡錦濤主席の北京大学訪問を伝える5月3日の「新聞聯播」では、チベットのラサ地区がこのメーデー連休から国内の観光客に開放されたこと、北京で「チベットの今昔展」が開かれておりこれを見た多くの人が最近のチベットの発展に満足の意を示していることが伝えられていました。新華社等の公式メディアでは、今の時点でも「チベット独立派」「ダライ集団」の不当性を訴える記事を「これでもか」という程に連日報道しています。

 このようにナショナリズムの高まりや「カルフール」の不買運動、中国政府とダライ・ラマ側との非公式な接触に関する情報は、「何が本当で、なにが『おとり情報』なのか」「当局は、どの情報を制限し、どの情報の流布を許可し、世論をどの方向に持っていこうとしているのか」が現在よくわからない状況になっています(それゆえに、外国メディアの中には、中国当局の内部で対応の仕方に対する路線対立があり、軸足が定まっていないのではないか、と論評するところもあります)。

 ただ、インターネットの掲示板などでは、激しくナショナリズムを高揚させるような書き込みがありますが、「不買運動をやろう」と呼びかけられていた一昨日(5月1日)、北京市内にいくつかある「カルフール」の店舗のうち、店の前に人が集まって店に入る客に不買を呼びかける、といった目立った活動が行われたのは、北京大学などに近い中関村店だけで、そのほかの店では、大きな動きはなかったようです(ただ、「経済観察報」の記事によると、ほかの店でも、いつものメーデー連休に比べてお客はかなり少なかった模様です)。

 そういった状況も踏まえると、大多数の中国の人々は基本的に冷静なのだと思います。聖火リレーは、5月1日の香港を皮切りにして、中国国内に入りました。中国国内では、さすがに「抗議行動」などはないと思うので、これ以上「騒ぎ」が大きくなることはないと思います。ただ、オリンピック本番で、ナショナリズムの熱情に燃えた一部の若い人たちが、外国人との間でトラブルを起こすことだけは避けて欲しいと思っています。

 いずれにせよ「五四青年節」の前日に胡錦濤国家主席が自ら北京大学へ行った、ということは、党・政府も事態を重要視していることの表れだと思います(表向きは、開校110周年の記念式典に出席した、ということになっていますが、「五四」のタイミングを狙って行ったことは明らかです)。「不買運動」などをやっている若い人たちの気持ちが本当に「愛国主義」に基づくものなのであれば、彼らはこの胡錦濤国家主席の気持ちを汲み取って理性的に行動するはずである、と私は信じています。

(2008年5月5日深夜追記)

 上記の文章で「中国『カルフール』のホームページに非常に似た(スペリングで1字違いの)アドレスを持つ愛国主義を訴える過激なイメージのサイト」について書きましたが、5月5日夜現在、このサイトは、削除されたのか、あるいはアクセス制限が掛けられたからなのかわかりませんが、見ることができなくなっています。違法と指摘されないように注意して作られたサイトのように見えましたが、やはり見たイメージがちょっと過激な感じがしたので削除されてしまったのか、あるいは自主規制して自分で削除してしまったのかもしれません。

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