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2008年3月 1日 (土)

周恩来生誕110周年記念講話の意味

 今日(3月1日)付けの「人民日報」など中国の主要紙に昨日(2月29日)に行われた中国共産党の周恩来生誕110周年記念座談会で胡錦濤党総書記・国家主席が行った「講話」が掲載されています。

(参考1)「人民日報」2008年3月1日付け1面記事
「周恩来同志生誕110周年記念座談会における講話-胡錦濤」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-03/01/content_46084689.htm

 周恩来は、革命第一世代の政治家で、毛沢東の盟友でした。26年間国務院総理を務めて、1976年1月に亡くなりました。情熱的に理想主義に突っ走る毛沢東の傍らにあって、常に現実を見つめ、「行き過ぎ」に走りがちな毛沢東の手綱をうまくさばいていたと言われています。そういった周恩来に対して、毛沢東も全幅の信頼を置いて、常にそばに置いていました。たぶん周恩来という優秀な「副官」がいなければ、毛沢東の偉業はなかったでしょう(そのことは毛沢東自身も、よくわかっていたと思います)。超カリスマ的存在で、手の届かない人、というイメージのある毛沢東に対して、多くの人民は、周恩来には親しみを感じていた、と言われています。まだ周恩来総理の記憶が人々の脳裏にあった1980年代の頃には、中国の人々に、歴史上最も尊敬する人は誰か、というアンケートを取ると、毛沢東よりも周恩来の方を選ぶ人が多い、とも言われていました。

 そういった周恩来の功績を讃えて、この時期に中国共産党が生誕110周年座談会を開催し(周恩来は1898年3月5日生まれ)、胡錦濤党総書記・国家主席が「講話」を発表することには何の不思議もありません。ただ、私としては、ここに胡錦濤党総書記・国家主席のひとつの「意志」を感じたのです。

 というのは、上に書いたように、周恩来は、毛沢東の情熱的で極端に理想主義的な行動を現実的立場からコントロールをしていた人=文化大革命の行き過ぎにブレーキを掛けた人、というイメージが強いからです。

 文化大革命時代、毛沢東に威光を背景にして、極端な理想主義的路線を強力に推し進めた江青(毛沢東夫人)をはじめとする「四人組」(江青、張春橋、姚文元、王洪文)にとっては、現実的な立場から「行き過ぎ」を戒める周恩来は「目の上のタンコブ」的存在だったのです。文化大革命路線に反対していたトウ小平らを排斥する運動の中で、1973年頃、「四人組」は「批林批孔」運動を展開しました。

 「林」は、1971年、毛沢東からの奪権計画に失敗し、国外へ亡命しようとして乗っていた飛行機が墜落して死亡した国家副主席だった林彪のことです。「孔」は「孔子」のことです。「孔子」の思想は、復古主義、男尊女卑など近代化に反する部分については批判すべきだ、として、辛亥革命など中国の近代化革命において常に批判の対象とされてきました。その意味では、「孔子」を批判することは、1970年代の時点では「いまさら」の感があるのですが、実はこの時の「批林批孔」運動の「批孔」の部分は、「四人組」が孔子批判に当てつけて周恩来を批判しようとしたのだ、と言われています。孔子は、国が乱れ、春秋戦国時代に入る前の昔の周の政治を理想としていました。つまり孔子は「周」を賞賛したので、孔子を批判することは「周」を批判することを意味する、つまり周恩来批判に通じる、というわけです。

 文化大革命当時、中国の多くの人民は、「四人組」のあまりに理想主義的で極端な平等主義的なやり方に辟易(へきえき)していました。そのため、「四人組」の暴走を抑える役割を果たしていた、周恩来総理に大きな敬愛の情を抱いていました。

 1976年1月、周恩来総理はガンで亡くなりましたが、その年の4月の清明節(亡くなった人を祀る日とされています)をきっかけにして、周恩来総理を偲ぶ多くの人民が天安門広場の革命英雄記念碑の周りに花輪を捧げました。これら多くの人民の行動は「四人組」には、自分たちに対する反対の意思表示だと思えたのです。そこで「四人組」は、天安門前広場の花輪などを撤去し、この動きを扇動したとしてトウ小平を失脚させました。これが1976年の第一次天安門事件です。

 2008年2月29日の時点で、胡錦濤党総書記・国家主席が周恩来総理の功績を讃える長文の「講話」を発表した、ということは、自らも周恩来総理を敬愛している、1976年の第一次天安門事件の時に花輪を捧げた多くの人民と同じ気持ちである、ということを強く表明したことを意味します。第一次天安門事件が「四人組」の言っているようにトウ小平が扇動した、というのが事実かどうかはともかく、天安門広場に花輪を飾った人民とトウ小平が「四人組」=「文化大革命」に反対していた点で、同じ考えであったのは間違いありません。その意味では、胡錦濤党総書記・国家主席もトウ小平の改革開放路線を継承しているのですから、トウ小平と同じ立場であり、周恩来総理を讃える立場を取ることは当然のことであって、新しいことでもなんでもありません。

 ただ、3月5日に次期(=第11期(2008年からの5年間))の全国人民代表大会が始まるこの時期に改めて胡錦濤党総書記・国家主席が周恩来総理を讃える「講話」を発表したことは、胡錦濤氏は、自分は「四人組」=「文化大革命」の路線には絶対に戻らないぞ、という固い意思表示をしたかったのだ、と私には思えました。急激な経済成長に伴う様々な矛盾が噴出している現在の中国において、こういった諸矛盾は改革開放政策を進めたせいだ、だから文化大革命時代の理想的精神に戻るべきだ、と主張する「新左派」勢力が党内にはまだいて、胡錦濤党総書記は、そういった「新左派」の考え方には与(くみ)しないことを明確に示すために、改めて周恩来総理を讃える「講話」を発表したのだと思います。

(参考2)このブログの2007年8月11日付け記事
「『新左派』と『新自由主義派』」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/08/post_102b.html

 私は、昨年4月に北京に再び駐在するようになってから今まで、新聞などでは、1976年の第一次天安門事件を讃えるような論調を全然見かけませんでした。1986~1988年に北京にいた私にとって、これは非常に奇妙な感覚でした。第一次天安門事件は、「四人組」に反対する多くの人民の意志表示であり、「文化大革命」に終わりを告げ、トウ小平が進めた現在へと続く改革開放路線のスタートとなる事件であり、讃えられて当然だと思うからです。

 おそらく、第一次天安門事件を讃えることは、即座に、それでは1989年の第二次天安門事件をどう考えるのか、という議論を呼び込むので、現在の政権内では「第一次天安門事件は讃えたいのだけれども、あまり触れたくない」というのが実情なのでしょう。ところが、私は、今回の胡錦濤総書記・国家主席の周恩来を賞賛する「講話」からは、明示はしていないものの、第一次天安門事件を評価し、改革開放の出発点に戻ろう、という意志を感じました。その点で、私は、今回の胡錦濤氏の周恩来賞賛講話に強い「新鮮味」を感じたのです。

 正しいことは正しいと評価しつつ、誤ったことは誤りだったと率直に認め、改めるべきところはきちんと改める、というのが、1978年に始まった改革開放路線の原点のはずです。胡錦濤党総書記・国家主席は、その原点にようやく戻ろうとしているように思います。そのことは、2008年を、私が以前に北京にいた1988年(=1989年以前)に戻して、歴史の流れをようやく元の路線に戻す動きのスタートになればよいなぁ、と私は思っています。

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