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2007年12月 8日 (土)

「経済観察報」の論調

 経済専門週刊紙といいながら、読者層である富裕層の声を代弁して、政治的にも先進的な論壇を張っている(いわゆる「新自由主義派」の論調を主張している)「経済観察報」ですが、今日(2007年12月8日)発売の号(2007年12月10日号)では、社説と「観察家」という欄で、さらにまたかなり明快な論説を載せていました。

※「経済観察報」は紙面の売り上げを重視するためだと思いますが、主要な論説については無料でネット上で見られるようにはなっていないので、記事自体のURLを御紹介することはできません。

 12月10日号の社説は「『一般大衆の参与』をいいかげんなところで幕引きにしてはならない」というタイトルのものでした。アモイ市に建設が計画されている化学工場について、12月5日、アモイ市が基本的な計画と環境影響評価ができたので10日間の「一般公衆の参加」のプロセスに入る(10日間、パブリックコメントを受け付ける)と発表したというニュースをきっかけとした論説です。

 この社説では、筆者は、自分は極端な環境保護主義者ではない、と断りつつ、化学工場、原子力発電所、水力発電所等の大きな環境影響を与えるプロジェクトについては、一般公衆の意見を聞くことは科学的である、とアモイ市の動きを肯定的に評価しています。そして最終的には、「一般公衆の参与」のプロセスを立法機関を通すことで実現し、一般公衆を権限を委ねた代表を通じて政策決定に参与させることが、よりプロジェクトの計画を緻密にすることができる、と指摘しています。そして、こういったプロセスは、プロジェクト推進の効率を低下させ、コストを増加させるかもしれないが、我々は、きっとそれに見合うだけの見返りが得られるはずだと信じている、と結論づけています。

 化学工場建設などに対する環境影響評価のやり方についての議論の範囲内ではありますが、地方政府における議会制民主主義の確立をかなり直接的に訴えた点で、「経済観察報」の社説の中でも、かなりポイントを「ズバリ」と主張したものだと思います。

 一方、この号の「経済観察報」の「観察家」(observe)という欄では、経済学者の呉敬璉氏が著した「法律で統治された市場経済を呼びかける(中国語では「呼喚法治的市場経済」)」(三聯書店:2007年9月)という本を紹介し、呉敬璉氏の主張のポイントを紹介した呉敬璉氏の文章を掲載しています。タイトルは「中国が新しい発展段階を迎えるためには若干の重大な問題を検討する必要がある」(中国語では「為了迎接中国発展新階段,需要研究的若干重大問題」)です。

 この文章の中で、呉敬璉氏は、1989年から1991年に掛けての改革開放支持派と改革開放反対派の論争の中で、改革開放反対派が「国内を壟断し始めている資産階級と党内の修正主義分子を打倒し」「第二次文化大革命を起こすべきだ」と主張していたのは明らかな誤りである、と指摘しています。この時の論争は、1992年にトウ小平氏が、改革開放路線を堅持することこそ人民が豊かになるために必要だ、と指摘したいわゆる「南巡講話」により、「改革開放路線は継続する」という路線で決着したのですが、その後も改革開放路線に反対する勢力は残っていました。

 中国の経済発展が進み、都市と農村との格差、企業家や知識階級と一般労働者・農民との収入格差が広がると、改革開放路線に反対する勢力はまた勢力を盛り返しました。

(参考)このブログの2007年8月11日付け記事
「『新左派』と『新自由主義派』」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/08/post_102b.html

 この勢力の一部が「最近吹き出ている格差拡大などの社会問題は改革開放政策のせいだ」としていることに対して、呉敬璉氏は、一般大衆が持っている「腐敗」「独占」に対する怒りを誤った方向に導き、その怒りの矛先を富裕層や知識階級に振り向けようとしているものだ、として厳しく批判しています。

 そして、呉敬璉氏は、そもそも改革開放を推進したトウ小平氏は「党と政府は一体であって、党を以て政府に代える」「党が国を統治する」という考え方は誤りであり「党と政府は分けるべきだ」と主張していたことをを引き合いに出して、地方の党委員会が地方政府を支配したり、工場の党委員会書記が工場長を支配したり、大学の党委員会書記が学長を支配したりすることは止めるべきだ、と主張しています。呉敬璉氏は、そもそもトウ小平氏自身が、1986年~1988年に掛けて、こういった「党と政府の分離」という政治体制改革を一定程度進めていた、と指摘して、今こそ、今後の政治体制改革において具体的な制度を定める際には、この当時の経験を踏まえて計画を立てるべきだ、と結論付けています。

 1986年~1988年に北京に駐在していた私にとって、この呉敬璉氏の主張は大いに賛同できるものです。実際、1986年当時、トウ小平氏が指導していた中国の指導部では、国家主席が李先念氏、中国共産党総書記が胡耀邦氏、国務院総理が趙紫陽氏、中央軍事委員会主席がトウ小平氏でした。当時でも国家主席は国家元首でしたが、当時は名誉職的な役割で、行政は実質的には国務院総理の趙紫陽氏が取り仕切っていました。しかし、1989年以降の論争を通じて、中央においては「党と政府の分離」は終わりを遂げ、現在では、国家主席・中国共産党総書記・中央軍事委員会主席は胡錦濤氏が一人で掌握しています。国務院総理は温家宝氏ですが、現在の国家主席は名誉職ではなく、実質的な政府の代表としての職責を果たしていますので、現実的には胡錦濤氏が党と政府の全てを把握した格好になっています(実際、温家宝総理は、党内の序列では、胡錦濤総書記、呉邦国全人代常務委員会委員長に次いでナンバー3です)。

 呉敬璉氏は、決して「中国共産党による指導」を否定しているわけではなく、党と政府との分離が明確ではない1989年以降の体制において、「中国共産党による指導」の名の下に地方政府の党書記が本来政府の長(市長など)に責任を任せるべき部分にまで口を出していることの問題点を指摘しているのです。

 呉敬璉氏の文章は、改革開放が始まってから1986年~1988年までの路線と、1989年以降の路線を対比して議論している点で、極めて注目すべきものだと私は思います。

 私自身は、トウ小平氏が1978年暮の第十一期中国共産党中央委員会第三回全体会議(第十一期三中全会)において始めた改革開放路線に期待を寄せ、1981年6月の「建国以来の党の若干の歴史的問題に関する決議(歴史決議)」で「文化大革命の誤り」を指摘して毛沢東主席も晩年には誤りを犯したと率直に自ら党の歴史の一部の誤りを自己批判した中国共産党の自己修正能力に期待し、1986年~1988年の北京駐在時には、当時ゴルバチョフ書記長が国内の取りまとめに苦労していたソ連を引き離して順調に経済発展を続ける中国に明るい未来を感じていました。しかし、1989年にその私の期待はもろくも崩されてしまったのでした。

 その後、現在でも、中国では1989年の「できごと」を語ることはタブーとされています。「経済観察報」は、今年の夏、1978年から始めて毎週1年づつ改革開放の歩みを振り返る特集記事を掲載してきました。しかし、1989年について振り返った回では、全世界が注目したこの年に起きた「できごと」には、全く触れませんでした。日頃かなりハッキリした記事を書く「経済観察報」ですら、そうだったのです。それを考えれば、今回の呉敬璉氏の文章は、1989年の「できごと」には全く触れていませんが、中身的には画期的なものだ、と私には思えるのです。

 中国は大きな国ですので、私が期待しているよりも進歩のスピードはゆっくりなのかもしれません。ですけれども、こういうふうに、少しづつ少しづつでもいいから中国が前向きに進んでいくことについては、私は今後とも期待を寄せていきたいと思っています。

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