« 「中国式計画病」政策決定の大修理はいつ? | トップページ | 「経済観察報」の論調 »

2007年12月 4日 (火)

反腐敗闘争:賄賂の八つの新しい変種

 中国では、党や政府の幹部の腐敗の撲滅が極めて重要な課題となっています。かなり市場経済化されたとは言え、中国では、まだ経済活動の中における許認可や様々な優遇措置の確保、銀行に対する融資の「口利き」などの点で、企業が党や政府の有力者に取り入って「うまく話を付ける」ことの効果が非常に大きいので、党や政府の幹部と企業との癒着が生じやすい体制構造になっているのです。いろいろな腐敗防止のための規則を作ったり、摘発を行って見つかった腐敗幹部を厳罰に処しても、腐敗は一向に減る気配がありません。度重なる腐敗案件の続出は、一般人民からの反発を呼び、政権の基盤を揺るがしかねない大問題として、中央は、今、反腐敗闘争に必死になって取り組んでいます。

 そういったキャンぺーンの一環だと思いますが、ここ数日のネット版人民日報「人民網」の「時政」(時事政治)のページの「反腐敗・清廉化」のページに、最近よく見られる賄賂(わいろ)の八つの「新しい変種」を取り上げていました。こういう記事を掲げたのは、あからさまな金品の授受を避けるような巧妙な賄賂の贈り方が増えてきたからだと思います。明白な金品の授受を伴わなくても贈収賄になりうるのだ、ということをこの記事は言いたいのだと思います。

(参考1)ネット版人民日報「人民網」2007年12月3日アップ
「『性賄賂』がワイロではない、と言われるのはなぜ?」
http://politics.people.com.cn/GB/30178/6605783.html

 この特集記事の中の「『性賄』、『遊賄』!腐敗官僚の八つの賄賂の新変種」と題する署名入りの記事には、以下に掲げる8つの「新変種」の賄賂について説明されています。

(参考2)ネット版人民日報「人民網」の「中国共産党ニュース」2007年12月5日アップ記事
「『性賄』『遊賄』! 腐敗官僚の八つの賄賂の新変種」(筆者:梁江濤)
http://cpc.people.com.cn/GB/64093/64103/5125422.html

※ネット版人民日報「人民網」の「時制」(時事政治)のページは、外国からのアクセスが制限されている可能性があるので、上記のページは日本からは見られないかもしれません。今日(12月4日)現在、中国からは上記のページは見ることができます。

【その1:性賄】

 上に書いてある「性賄」は中国語ですが、訳す必要もないと思います。もし上記のページの中国語の本文を御覧いただけるのであれば「貪官情婦」「『好色貪官』を『金弾』に加えて『肉弾』で攻撃する」といった文字が踊っていることが簡体字にあまり慣れていない方でも見て取れると思います。腐敗官僚の中には「成年男女が恋愛した場合、相手が結婚していれば、それは道徳上の問題ではあるけれども、法律上の問題ではないはずだ。」と居直る人もいるそうです。(参考1)で掲げた方の記事では、片方が一定の公権力を持っている者ならば、これは賄賂に当たる、とビシッと言い切っています。ただ、腐敗容疑で取り調べを受けている高官の95%には「愛人」がいるそうで、こういった傾向はかなり広範に広まっているようです。

 実は、「異性の紹介は賄賂には当たらないはずだ」といった主張は日本でもなされたことがあります。「政治家や高級官僚に女性を紹介する見返りに便宜を図ってもらう」ことが贈賄に当たることは、日本でも昔から(大正時代から)判例として確立しているのですが、戦後になってから、裁判で「女性を収賄側に『贈った』とする検察側の主張は、女性の人権を無視したものであり、基本的人権と男女平等をうたった新憲法に違反する。」と主張する人が現れました。この裁判は結局最高裁まで行きました。最高裁は「女性の人権が無視されたかどうかに関係なく、収賄側は利益を受けたことには変わりはないわけだから贈賄罪は成立する」と判断しました。

(参考3)日本の最高裁判決:昭和36年01月13日最高裁判所第二小法廷
「背任、単純収賄被告事件判決」(事件番号:昭和34(あ)470)(判決:棄却)
判決要旨:異性間の情交は賄賂の目的物となり得る。

※判決の原文をお読みになりたい方は、日本の裁判所のホームページ
http://www.courts.go.jp/
から「裁判例情報」-「最高裁判所判例集」に入って、上記の事件に関する情報を入力して検索してください。

 この最高裁の判断は、当たり前と言えば当たり前ですが、「女性を紹介することは賄賂には当たらない」と居直る人は、日本にもいた、ということです(ただ、同じような議論を21世紀になった今頃やっている中国はいったいどうなっているんだ、ということも言えるわけですが)。

【その2:遊賄】

 これも説明の必要はないと思います。腐敗官僚側にお金を渡すわけではないけれども、国内・国外でいろいろ遊ばせてやって、その見返りに便宜を図ってもらおうというものです。

【その3:雅賄】

 書画骨董の類を贈ることを「雅賄」と言っている人もいるようですが、それでは「金品を贈る」という古典的な賄賂と同じです。ここで言っているのは、酒場や「浴城」(読んで字のごとし)、娯楽センターなどの門に「題字」や何か言葉を書いた「題詞」を書いてもらって、その報酬として多額の金額を支払う、という類のものです。ある四川省の「書記汚職案件」では、収賄側が「私は××市の書道協会の会員の書家である。私が題字・題詞を書いて40万元(約600万円)をもらったのは妥当な額であり、非合法な収入ではない!」と裁判の被告席で弁明したそうです。

【その4:賭賄】

 ギャンブルをやってわざと負けてやる、というものです。古典的と言えば古典的な賄賂かもしれません。ある機関のヒラ職員は、最初、指導者に勝ってしまったのですが、「賢い人」から「指導者とやる時は負けてやらなきゃ」とアドバイスを受けたそうです。それを実行したら、1年ちょっとしたら、その人は課長補佐まで三階級出世したそうです。なお、中国語の文章では「牌友」という言葉が出てきますが、必ずしも麻雀だけを指すわけではありません。トランプや花札のような遊びをやる人もいるそうです。
 
【その5:医賄】

 自分が病気持ちだったり家族に病気持ちの人がいる腐敗官僚のところに高名な医者を呼んできて診てもらう、というもの。治療費やその医者の移動費、医者への謝礼は贈賄側が提供するのです。

【その6:文賄】

 贈賄側が腐敗官僚の悪評を吹き飛ばし、名声を上げるような文章をその地方のメディアに書きまくるもの。メディアが統制されている中国だからこそ効き目がある、と言えるのかもしれません。

【その7:香賄】

 これはちょっと変わった賄賂で、信仰の厚い腐敗官僚に代わって、お寺でお香を焚き、お祈りをしてあげる(お香代や祈祷代を肩代わりしてやる)というもの。今、中国のお寺では、ちょっとしたお線香を焚いたり、仏像の前でお祈りをさせてもらったりするために、相当の額のお賽銭を要求するところがあります。お参りしたいけどお賽銭が高くてできない、と思っている幹部がお参りできるようにしてあげ、その代わりに便宜を図ってもらおうというものです。宗教活動が禁止されていた文化大革命の時代には考えられなかった種類の賄賂ということができます。

【その8:槍賄】

 これも変わった賄賂です。「槍賄」の名は、大将の脇にいて槍を持って戦う兵士(槍手)から来ています。この賄賂には2種類あります。ひとつは、本を書くときに腐敗官僚の名前を前面に押し出して、昇任選考などの際に役に立つようにしたり、腐敗官僚を「専門家」とか「学者タイプの指導者」だと思わせるようにするものです。もうひとつは、腐敗官僚の怨みをはらすのを手伝う、というものです(将軍の脇にいる「槍手」が馬上にいる武将を槍で突き落とすというイメージ)。例えば、ある腐敗官僚の上司である県の共産党書記と県知事のが仲が悪い場合、贈賄側が最初は書記を助けるために県知事の悪事を通報して県知事を失脚させ、それによって腐敗官僚を昇進させておいて、その次に書記の方も追い落として、腐敗官僚の上にいた二つの対立する勢力をその対立を利用して両方とも排除してしまう、というようなやり方です。ここまで行くと、ほとんど「三国志」の世界です。

----------------

 経済活動が活発化し、企業家の力が増してくると、こうした企業家と党・政府の幹部との癒着が増えてきます。「反腐敗闘争」は、改革開放が始まって以来、というよりは、中国の歴史が始まって以来続いている闘争だと思います。中国では、歴代王朝が、その支配の末期に政治機構の末端が腐敗し、それによって民心が離れ、農民の反乱が起きて王朝が倒れる、というパターンが繰り返されてきました。中国共産党はそのことを一番よく知っています。清朝政府を打倒しながら、政治機構の腐敗を一掃しきれなかった国民党による支配に対して反抗し、農民の支持を得て政権を獲得したのが中国共産党自身だからです。「腐敗」が政権の維持のために最もマイナスであることを知っているからこそ、長くて厳しい「反腐敗闘争」に必死に挑んでいるのです。

 ただ、「選挙による住民からの政府のチェック」と「マスコミや市民団体による政府の監視」にフタをしたまま「反腐敗闘争」を続けることは、結局は「モグラ叩き」に終わってしまうと私は思います。今回の「賄賂の八つの新変種」という記事は、賄賂が巧妙化してきているけれども、そういった新しいタイプの賄賂も決して許さない、という決意の表れだとは思いますが、多くの人民は、こういう「決意」を人民日報の上でいくら表明されても納得しないと思います。やはり、早い時点で「経済活動の中における『癒着』の比重を低くすることと(「癒着するメリット」よりも「癒着が露呈することによるデメリットのリスク」の方を大きくすること)」を実現するとともに、「選挙によるチェック」「マスコミや市民団体による監視」の力を利用するシステムを導入しないと、今までの中国の歴代王朝が歩んできた道と同じ道を歩むことになってしまうと私は思います。

|

« 「中国式計画病」政策決定の大修理はいつ? | トップページ | 「経済観察報」の論調 »

中国の地方政府の乱れ」カテゴリの記事

中国の報道機関」カテゴリの記事

中国の民主化」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 「中国式計画病」政策決定の大修理はいつ? | トップページ | 「経済観察報」の論調 »