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2007年11月22日 (木)

「誹謗罪」の拡大解釈を警告する、との社説

 11月21日付けの北京の大衆紙「新京報」に、地方政府の指導者を誹謗(ひぼう)する携帯メールを回覧した、として免職になった地方政府の中堅幹部職員の話が出ていました。

(参考1)「新京報」2007年11月21日付け記事
「指導者を侮辱した携帯メールを転送していた四人の幹部が免職される」
http://www.thebeijingnews.com/news/guonei/2007/11-21/018@082813.htm

 この記事によると、セン西省(「セン」は「狭」の「へん」を「こざとへん」に変えた者)の志丹県というところで、「極めて下品な言葉で」県の上層部の指導者14人を侮辱・誹謗した携帯メールを回し読みしていた衛生監督所所長、信用組合副組合長、中学校元校長、農業技術所所長の4人が、中国の刑法に規定されている「誹謗罪」で警察に逮捕され、免職になった(このうち一人は刑事拘留された)とのことです。この携帯メールは、非常に低俗な内容で、強姦された女性が警察にその様子を説明したものの固有名詞の部分を14人の県の上層部の指導者の名前に置き換えた内容だったのだそうです。

 この記事では、今回の件に対する見方として、「県の指導者のような公共的地位にある人に対して、いろいろな人がいろいろな考えを持つことは自然であり、政府が誹謗・中傷メールを取り締まるのはわかるけれども、免職にまでするのは処分が重すぎる。」「他人の人格を侮辱するような法律意識のない人には、重い処罰を与えなければその重大さはわからない。」といった二つの見方があることを紹介しています。

 この件に関して、今日(11月22日)付けの「新京報」は「『誹謗罪』の恣意的な拡大解釈に対して警鐘を鳴らす」と題する社説を掲げています。

(参考2)「新京報」2007年11月22日付け社説
「『誹謗罪』の恣意的な拡大解釈に対して警鐘を鳴らす」
http://www.thebeijingnews.com/comment/shelun/2007/11-22/018@074805.htm

 この社説の論旨は明快です。ポイントとして次のように言っています。

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○志丹県の事件については、以下の疑問点を挙げることができる。

(1) 刑法に規定する「誹謗罪」は親告罪(被害を受けた人が訴え出て初めて立件される)であるのに、本件では被害を受けた人が訴え出てから警察が動き出したのかどうか不明確。

(2) 刑法では「社会秩序や国家の利益に重大な危害が及ぶ場合には」すぐに立件手続きに入るという例外規定があるが、今回の場合、そのような情勢になったとは思えない。

(3) 被害者が訴え出た場合であっても、犯罪と言うためには、客観的に見て侮辱や誹謗が非常に悪質な手段により行われて社会的に影響が大きかったことが条件となるが、「携帯メールで流した誹謗」が「手段として非常に悪質」と言えるだろうか。

○地方政府職員に対する「誹謗」については、慎重に対処すべきで、警察は軽々に介入すべきではない。

○「誹謗を受ける者の名誉権」と「言論の自由」との間には、オーバーラップする部分があり、従ってこの二つが衝突することもある。国外の例では、公共事務を行っている国家公務員に対する「名誉権」は、一般市民のそれとは区別して適切に制限されるべきだ、とされている。一般大衆の知る権利を守り、社会世論による監督を強化するためである。

○アメリカの判例では、誹謗される者が公共の立場にある場合には、誹謗した者が実際に悪意があると証明されない限り損害賠償の対象とはならないとされている。

○中国の現行刑法では「誹謗罪」の成立には厳格な条件が既定されているが、「その程度が非常に悪質な場合には」とか「社会秩序と国家利益に重大な危害を与えるときは」などの規定に対して、明確な権威ある解釈がなされていない。今後、法律または司法解釈でこれらの解釈を明確にして「誹謗罪」が拡大解釈されることを防止するべきである。

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 携帯メールは、「メール」の名の示す通り「私信」であり、何を書いても他人にとやかく言われる筋合いのものではないし、警察から摘発されるような性質のものではない、とお考えの方も多いかもしれません。ただ、1対1のメールならば明確に「私信」ということができますが、一斉発信メールや回し読みのメールなどは、インターネットの掲示板と実質的には同じであり、そこに悪質な誹謗・中傷の類が含まれるとしたら、名誉毀損が成立することは日本でもあり得る話です。

 上記の「志丹県の携帯メール事件」を見る限り、メールの内容はかなり低俗なものであり、日本でも「名誉毀損」が成立する可能性のあるような案件だと思いますが、「新京報」は、この案件に対して、地方政府と公安当局の癒着があるのではないか、との疑いの目を向け、法律を拡大解釈して言論の自由を圧殺しようとしているのでないか、という危機感を感じたのではないかと思います。

 「新京報」の社説は、よく読むと、極めて慎重な書きぶりになっています。「地方政府職員に対する『誹謗』については、慎重に対処すべきで、警察は軽々に介入すべきではない。」「国外の例では、公共事務を行っている国家公務員に対する『名誉権』は、一般市民のそれとは区別して適切に制限されるべきだ、とされている。」と書いています。「地方政府職員」と「国家公務員」との使い分けが微妙です。この社説では、「中国の国家公務員」に対してどう扱うべきなのか、ということについては、実は何も言っていないのです。「中国の国家公務員(特に国家の指導者)」を批判することは、現在でもできない、ということなのでしょうか。現在の中国の新聞が置かれている「限界」を見たような気がしました。

 そもそも現在進められている改革開放政策は、「毛沢東主席が行ったことは『全て正しい』と考えることは誤りである。毛沢東主席の業績は偉大だが、晩年には誤りを犯した。」というトウ小平氏の考え方から出発しています。つまり偉大な国家指導者であったとしても、全て誤りなく行うことなどできないのだから、批判すべきところはきちんと批判すべきである、というところが現在の中国の政策の出発点なのです。従って、今の中国で、地方政府の誤りは厳しく批判するけれども、国家指導者の政策を批判することはタブーである、というような雰囲気があるのは本来おかしいと思います。

 「地方政府は厳しく批判するけれども、国家や中央に対する批判はしない」というような姿勢では、批判される立場の地方政府の人々からの反発を受けると思います。「新京報」の社説を読むと、新聞の記事を書いている人たちは(そしてたぶん読者も)そういった「諸々のこと」はわかった上で、言論活動を行っているのだと思います。中国からの情報を「読む」場合には、そのあたりの背景も頭に置いて「読む」必要があると私は思っています。

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