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2007年9月

2007年9月30日 (日)

月探査ロケット打ち上げ見学費用が1000元?

 日本の月探査機「かぐや」は、今、月へ向かって飛行中ですが、中国の月探査機「嫦娥1号」も順調に行けば年内にも打ち上げられる予定なので、中国では、月探査計画についての関心が高まっています。

(参考1)このブログの9月15日付け記事
「『新京報』1面トップ写真は日本の月探査機」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/09/post_7cb6.html

 その関連で、9月28日、「西昌嫦娥奔月旅遊開発公司」という旅行会社が「嫦娥1号」の打ち上げが見られる場所の入場料を800元~1,100元(12,000円~16,500円)にすると発表しました(「西昌」はロケット発射場がある場所の地名)。この値段について「高すぎる」「高すぎない」とけんけんがくがく議論になっています。2006年の都市部の給与所得者の平均年収が21,000元(約315,000円)、北京のタクシーの初乗り料金が10元(約150円)ですから、800元~1,100元という額は相当に高い値段です。

(参考2)新華社のホームページに2007年9月30日にアップされた掲示板
「衛星発射場の入場料として1,000元は必要なのだろうか」
http://news.xinhuanet.com/forum/2007-09/30/content_6810886.htm

 上記の新華社のネットの掲示板では、「これだけの国家プロジェクトが現場で見られるのだから800元は高くない」という賛成論、「そもそもなんで『西昌嫦娥奔月旅遊開発公司』なんていう会社が設立されているわけ? これって『不当な独占』(中国語で「壟断」)じゃないの?」という反対論、「もし入場料収入が中国の宇宙開発に使われるのなら800元は寄付だと思えば払ってもいいと思うけど、入場料収入がどこへ行くのかわからない。」という疑問、などが交わされています。

 中国では明日(10月1日)から国慶節の連休です。最近は、中国の人々の中にもかなり経済的に豊かな人が多くなったので、この連休中、大勢の人々が国内旅行を楽しみます。そうした中で、最近、有名な観光地の入場料が高すぎる、という不満の声が上がるようになってきています。例えば、北京の故宮博物館の入場料は60元します。故宮は、明・清時代の皇帝の宮殿で、明や清の時代には一般の人々はとても入れるところではなかったので「紫禁城」とも呼ばれています。それが20世紀の革命を通じて、今は、一般の人民でも自由に見学できるようになりました。そういった歴史的意味を考えれば、「入場料が高くて、やっぱり一般人民は入れない」というのではまずいと思います。企業や財団などの寄付によって運営されていて入場料をタダにしているアメリカ・ワシントンD.C.のスミソニアン博物館やロンドンの大英博物館などのことを考えると、「人民の国」中国の故宮博物館の入場料が「人民」にとっては高すぎるというのも、おかしな話です。

 北京にいる農民工の人たちなどは、初乗り10元のタクシーなどには絶対乗りません。彼らは市内の移動には、自転車か、そうでなければ、ICカードを使うと割引料金の0.4元で乗れるバスを利用します。そういった感覚からすれば故宮博物館の入場料の60元はかなり高いし、ましてやロケット打ち上げ現場の800元~1,100元などという入場料は別世界の話のように見えると思います。

 故宮博物館などは、施設や展示品の保管管理や補修にお金が掛かるので、ある程度の入場料を徴収することは理解はできます。しかし、ロケット打ち上げ現場の見学コースは、維持管理にそんなにコストが掛かるとは思えません。ロケット打ち上げ現場の入場料を取ろうという「西昌嫦娥奔月旅遊開発公司」という会社がどういう会社なのか、どういう経緯で国が管理している打ち上げ現場にお客を入れる許可を得たのか、入場料収入のうちどのくらいの額がこの会社にいくのか、などはよくわかりません。今の中国では、なんでもかんでも「お金儲け」の道具にしよう、という空気が蔓延(まんえん)しています。また、「からくりはよくわからないけど、うまくやってお金を儲けている会社」もたくさんあります。この「ロケット打ち上げ見学場所」の入場料の話も、そういった現在の中国の雰囲気を表すひとつのエピソードだと思います。 

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2007年9月29日 (土)

北京の違法炭坑1000か所以上を爆破して封鎖

 今日(9月29日)付けの「新京報」によると、北京市当局は、オリンピック前までに北京市内に1,000か所以上あるとされる不許可炭坑を爆破して封鎖する方針を示した、とのことです。これらの違法炭坑では、許可なくダイナマイトを所有して採炭しているケースがあり、オリンピックの安全な運営のため、オリンピックの前にこういった違法炭坑は一掃しておきたい、ということのようです((注)行政区域としての「北京市」の面積は、岩手県より少し広く、四国より少し狭い程度の広さです)。

(参考1)「新京報」2007年9月29日付け記事
「オリンピック前に1,000か所以上の違法炭坑を爆破して封鎖」
~北京で違法炭坑取り締まりプロジェクトを展開、爆発物管理を強化~
http://www.thebeijingnews.com/news/beijing/2007/09-29/018@073403.htm

 上記の「新京報」のページには、最初に爆破・封鎖された違法炭坑の爆破された時の写真が載っています。上記のインターネット上の記事では省略されていますが、紙面上の記事では、写真に載っている爆破された違法炭坑は、坑道の深さが300メートル以上に達し、一日の採炭能力が50~60トンに上るもので、この炭坑を運営していた人は既に21日、警察に拘束されている、とのことです。

 中国は、石炭資源が豊富で、石炭層が地表近くにまで達しているところがたくさんあります。そのため、農家が仕事の合間に裏山で石炭を掘り出して小遣い稼ぎをやる、というようなところはたくさんあります。そういう零細規模のものも含めてだと思いますが、それにしても北京市内だけで1,000か所以上の違法炭坑があるとは驚きです。中国では(というかどこの国でも同じだと思いますが)、一定の手続きをしないで鉱物資源を採掘したら違法になります。「農家の小遣い稼ぎのようなものまで取り締まるのはいかがなものか」という考え方に基づいて今までは「大目に見てきた」のでしょう。しかし、坑道の深さが300メートル以上もある本格的な違法炭坑を放っておいた、というのは、「大目に見る」という線を越えて、取り締まり当局の怠慢、と言ってもいいのではないでしょうか。しかも、ダイナマイトを不法に所持している違法炭坑が多いのだがそれを「大目に見てきた」というのでは、政府の存在意義を疑いたくなるような話です。

 今年7月に遼寧省のカラオケ店で爆発が起こり25人が死亡する、という事故がありました。

(参考2)このブログの2007年7月6日付け記事
「遼寧省のカラオケ店の爆発で25人死亡」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/07/25_07f6.html

 この事故の原因は、カラオケ店の店主が炭坑も経営しており、ダイナマイトをカラオケ店の中に保管していたことだったようです。このカラオケ店の店主の場合、炭坑の経営自体は違法なものではなかったようですが、ダイナマイトをカラオケ店に保管していたのは、明らかに管理の仕方がまずかったと思います。

 違法な炭坑が多く、ダイナマイトの保管管理がずさんなところが多いのに、ダイナマイトがテロ行為などに使われることがない、というのは、中国が平和である証拠なのかもしれませんが、北京市内に違法な炭坑が1,000以上ある、それをオリンピックまでに封鎖する、という話は、「それじゃ政府は今まで何をやっていたのか」という気持ちを私に起こさせました。もし、オリンピックがなかったら、これらの違法な炭坑やダイナマイトのずさんな管理は、ずっと「お目こぼし」に預かり続けたのでしょうか。人民の安全な生活を守る、という基本的な点について、中国では政府がまだ十分にその機能を果たしていないのではないか、そんな疑問を私は最近持ち始めています。

 また、今まで「大目に見てきた」違法な炭坑を「オリンピックをやるから」という理由で急に方針を変えて、短期間に、しかも「爆破して封鎖」という強硬手段で取り締まろうというやり方は、妥当なやり方なのか、という疑問も湧いてきます。上記の「新京報」の記事によれば、違法な炭坑で働いていた農民工たちは、故郷へ帰るように勧奨されることになる、とのことです。オリンピックを理由に、こうした急激な取り締まり強化をすることは、これらの人々の間に「オリンピックさえなければ」という気持ちを起こさせることにならないか心配になります。

 これからオリンピックへ向けて、こういった「今までは大目に見てきた違法行為」の整理整頓が進められていくのでしょう。オリンピックを機会に、社会のいろいろな問題点が改善されていく、ということはよいことだと思います。しかし、それが急激かつ強権的なものになって、多くの人々の反感を買うようなことにならないように望みたいと思います。

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2007年9月27日 (木)

農民工の生活を守ることが焦点

 農民工(農村から都市部に出稼ぎに出てきている農民労働者)の子女が都市部で公的な義務教育が受けられない問題については、前にも書きました。

(参考1)このブログの2007年9月2日付け記事
「農民工学校の苦悩」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/09/post_4e0d_2.html

 先日、教育部が、全国の学齢期児童の教育状態に関する情報の管理を農村部と都市部とにかかわらず全国でひとつのものに統一する、という方針を打ち出しました。このことは、農村戸籍を持つこどもでも、都市部で公教育が受けられるようになるのではないか、との期待を一部に持たせましたが、一昨日(9月25日)、教育部のスポークスマンは、今回の情報統一の方針は、単に学齢期児童に関する情報を全国で一括して管理するようにする、という情報システム上の技術的な問題であり、農村戸籍のこどもは戸籍のある農村で義務教育を受ける、という現在の方針には何の変わりもない、と説明しました。

 このことに関して、今日(9月27日)付けの「新京報」の社説では、こどもの義務教育を受ける権利は皆平等であり、こどもの教育を受ける権利を平等に守ることは、中国公民の平等性を守ることの出発点である、として、都市部に出稼ぎに出てきている農民工の子女に対する教育の問題を早急に解決すべきだ、と主張しています。この問題の背景には、都市部に急激に人口が集中することを避けるために維持されている農村・非農村の分別戸籍制度があります。今日の「新京報」の社説では、戸籍制度の改革にはまだまだ相当の時間が掛かるだろうが、だからといって農民工の子女の教育の問題をこのままにしておいてよいはずはなく、戸籍制度の改革より先に教育改革を進めるべきだ、と強く主張しています。

(参考2)「新京報」2007年9月27日付け社説
「教育改革は戸籍改革より先に進めてよい」
http://www.thebeijingnews.com/comment/shelun/2007/09-27/018@073737.htm

 前に私はこのブログで1,700万人の北京住民のうち510万人は北京の戸籍を持たない人々だ、ということを書きました。

(参考3)このブログの2007年8月25日付け記事
「北京の流動人口は510万人」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/08/510_5d24_1.html

 大量の「北京の戸籍を持たない北京の住民」がいることは、こどもたちの教育の問題のほかにも、様々な社会的問題を引き起こしています。

 昨日(9月26日)付けの「新京報」では、9月の初め、北京市内で二人の全裸の女性の遺体が見つかった事件で、警察は、28歳の山東省から出稼ぎに出てきている男性を被疑者として拘束した、と報じています。この記事では、事実関係を伝えるとともに、農民工の人たちの生活状況とそれから来る心理状態を真剣に考えるべきだ、とする識者の見解も併せて掲載しています。

(参考4)「新京報」2007年9月26日記事
「草地で裸体の遺体が発見された事件で、一人の被疑者が拘束された」
http://www.thebeijingnews.com/news/beijing/2007/09-26/018@073707.htm

 この識者(北京大学社会学系教授)は「北京には建設工事のため大量の北京以外の土地からの労働者が流入しているが、彼らの絶対多数は男性であり、仕事はきつく、家族を伴ってくることもできないため、正常でない心理状態が出現することもやむを得ない面がある。一部の人の不満のはけ口としての行動が各種の犯罪の要因となっている。」と指摘しています。

 上記の今日(9月27日)付けの「新京報」の社説(2面)のすぐ下にある読者からの投書欄に北京のある編集者から来たひとつの投書が載っていました。

(参考5)「新京報」2007年9月27日付け投書欄
「北京に出稼ぎに来ている人たちは、どうしてデマを簡単に信じてしまうのか?」
http://www.thebeijingnews.com/comment/letters/2007/09-27/018@073913.htm

 この投書の趣旨は以下のとおりです。

「9月24日、北京市内の派出所に100人近い人が並んでいたので、何を並んでいるのか、と尋ねたところ、並んでいたのは農民工の人たちで、10月第1週の国慶節休み明け以降は、北京の暫定居住許可証の更新手続きをやらないことになった、暫定居住許可証が切れいている農民工は強制的に北京から故郷に追い返されることになったと聞いたので、あわてて手続きに来たのだ、と農民工たちは言った、というニュースが9月25日付けの『新京報』に載った。常識的に考えれば、強制的に故郷に追い返される、などということがこの首都北京で起こるはずはないのに、なぜ、こういったデマを農民工たちは信じてしまったのか。それは、日頃から、これは都市管理当局と農民工たちの間で情報のやりとりが十分でなく、相互の信頼関係ができていないからだ。これだけ多くの農民工が働きに来ているのだから、こういった状況を把握して政府がやるべきことは多いと思う。」

 この話も、現在の農民工の人たちの心理状態を表していると思います。北京のような都会に来ている人たちは、毎日、ものすごい経済発展を続けている街の様子や、高価でぜいたくとも思えるような消費財がウィンドウに並んでいるショッピング・センターを毎日見ているので、その心理的な葛藤は、外国人である私などからは想像できないものだと思います。

 20年前に私が北京に駐在していた頃は、中国の人たちは皆貧しく、高価な消費財を買っているのは外国人だけだったので、当時の中国の人たちは「中国はまだ貧しいのだからしかたがない」とあきらめていたと思います。しかし、今の中国の都市部のショッピング・センターで高価な買い物をしているのは、たいていは中国人です。大衆紙と言われ1部1元(約15円)で売られている「新京報」にも、日本円で500万円以上する外国車の広告が載ったりします。同じ中国人なのに、なぜ自分たちと、こういった品物を買える人たちの違いがあるのか、なぜそういった違いは自分が一生懸命働いてもなくならないのか、といった思いが農民工の人たちの中にはあるのではないかと思います。

 「新京報」は、自動車やマンションの広告も載りますが、農民工の人たちの立場にたった記事も多く書いています。多くの農民工の人たちも「新京報」を読んでいるからだと思います。この農民工の問題は、かなり以前からの問題で、中国の指導者の方々も十分に承知しているので、10月15日から開かれる中国共産党大会でも、「和諧社会の実現」というスローガンだけではなく、教育、住宅、社会保障、医療などの面で「農民工の人たちの生活を守る」ための具体的対策が、議論される事項の大きな焦点になるだろうと思います。

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2007年9月26日 (水)

中国北京の国家大劇院でこけら落とし

 中秋節の9月25日、北京の人民大会堂のすぐ西隣にある銀色の巨大なドーム型をした「国家大劇院」(大劇場)で、初めての上演(こけら落とし)が行われました。この「国家大劇院」は、オリンピック・メインスタジアム(俗称「鳥巣」)や中央電視台の新しいオフィス・ビルディングなど、現在ぞくぞく北京に誕生しつつある「奇抜な建築物」のひとつと言えると思います。この「国家大劇院」の建設は、江沢民前国家主席の肝入りで始められたプロジェクトだと言われています。大きなタマゴのような巨大なドームは、いかにも現代建築技術の粋を尽くしたような建造物なのですが、場所が、人民大会堂のすぐ西隣、中南海(中国共産党本部のあるところ)の長安街を挟んだ真向かい、という周囲に由緒ある建物群が集まっている北京のど真ん中であるだけに「周囲の雰囲気と不釣り合いだ」と、北京市民からはイマイチ評判がよくない建物です。

 故宮の北にある小高い山「景山公園」から南を見ると、故宮(明・清の時代の宮殿)が見え、その向こうに天安門、その向こうに天安門広場、中央に人民英雄記念碑、その向こうに毛沢東記念堂、左側には中国国家博物館、右側には人民大会堂が見えるのですが、これらはみな、歴史を感じる重厚な建物群なので、そのすぐ右隣にこの「国家大劇院」の銀色の巨大なドームが見えると、確かに「場違い」のような感じを受けます。

 昨日(9月25日)の「こけら落とし」には、建設工事に携わった労働者や農民工、この大劇場を建設するために立ち退いた元の住民などが招かれたのですが、今日(9月26日)付けの北京の大衆紙「新京報」では、「『巨蛋』で、工事に携わった人らを招いてこけら落とし」という見出しで記事を載せていました。

(参考)「新京報」2007年9月26日付け記事
「国家大劇院、中秋節にこけら落とし」
http://www.thebeijingnews.com/news/intime/2007/09-25/014@225553.htm

 「巨蛋」とは「巨大なタマゴ」という意味ですが、この見出しは「その筋」から評判が良くなかったからなのかどうか知りませんが、インターネット上の記事には「巨蛋」という語は使われていません。街で買った「新京報」の1面トップの見出しには「巨蛋」と書いてあるんですけどね。

 それにしても、上記のインターネット上の記事を見ると写真も載っているのでわかると思いますが、「こけら落とし」の演目が「バレー劇:紅色娘子軍」とは参りました。時代が30年以上遡ってしまった感じです。共産主義革命の英雄的出来事をバレー劇で表現する「革命的現代バレー」は、文化大革命を推進した四人組の一人で毛沢東主席夫人の江青女史が広めた舞台芸術ですが、改革開放政策の中、急速に発展を続ける中国の首都北京のど真ん中の超近代的建造物「国家大劇院」の最初の演目が「紅色娘子軍」とは、これまた建物の外観と同じように、現在の周囲の社会の雰囲気とは相当にミスマッチだ、と私は感じました。

 私が以前北京に駐在していた1980年代後半は、改革開放政策が離陸し始めようとしていた時期でした。改革開放政策は、文化大革命を否定するところから出発していますので、当時、「文革的なもの」は意識的に否定しようとしていたし、諸外国に対して「中国は決して文革の時代へは戻らない」ことを必死でアピールしていました。それに比べると、今の中国は非常に近代的な面がたくさんある一方で、「ちょっと時代を間違ってるんじゃないの」と思えるような共産主義革命の香りを強く漂わせる場面に出くわすことが結構あります。「バレー劇:紅色娘子軍」は、あくまで舞台芸術のひとつであって、それを「文革的なもの」と決めつけて捉えるのは誤りだと思いますが、私個人にとっては、やはり「昔」を思い起こさせるイメージがあります。

 この「国家大劇院」は、外観上のミスマッチに加えて、もし演目上の「ミスマッチ」が重なるのだとすると、社会主義路線と急速な経済成長との間で悩み続ける現代中国を象徴している存在だ、と言えるのかもしれません。

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2007年9月22日 (土)

中国は「中国」のひとことで括れるのか

 よく「中国は・・」「日本は・・」「アメリカは・・」などという議論をしますが、最近、中国に関してだけは国内の地域格差が大きく「中国は・・」とひとことで括って議論するのは正しくない、と私は思うようになってきています。日本や韓国は、面積的にもそれほど広くないので「日本はこうだ」「韓国はこうだ」と議論することは可能だと思います。アメリカは、国の面積は広いのですが、歴史的にも短い期間に成立した国ですし、情報や人の流通も活発なので、全国がほとんど均質化しており、どこの地域でも「アメリカ的なもの」は同じように感じることができます。もちろん、南部や西海岸など、アフリカン・アメリカンやヒスパニック系、アジア系の人口割合が多い地域は、そうでない地域とはちょっと違う、といった違いはありますが、外から見て「アメリカは・・」と議論する時、対象として考えている地域をあまり意識する必要はないように思います。

 それに対して中国は、ひとつの国として考えるよりも、他の例で言えば、例えばEUと同様に考えた方がいいと思います。現在の中国は、改革開放後の急速な発展により、上海や広州、北京、天津といった沿海部の都市と、内陸部の農村地帯では、ほとんど別の国であるかのように社会的・経済的な環境に違いがあります。それはまさにヨーロッパにおいて、EUとしての統一を図ろうとしていながら、イギリスやフランス、ドイツ、イタリア、スペイン、ポーランド、チェコといった各国によって事情が全然違うのと同じようなものだと思います。

 私は、以前から、中国のど真ん中にアルプスのような高い山脈があり、中国で使われている文字が表意文字である漢字ではなくアルファベットのような表音文字であったら、中国もヨーロッパと同じように多くの国々に分かれた状態で現在に至っていただろう、と思っています。中国も西部は高原地帯や砂漠地帯が広がっていますが、明確に地域と地域を分けるような山脈のようなハッキリした自然の障碍はあまりありません。国土が広く、それぞれの地域が持つ歴史も古いので、地域によってかなり異なる方言がありますが、文字が漢字という表意文字であるため、仮に読み方が違ったとしても漢字を使えば意味が通じ、中央政府の命令は話言葉が異なる地方にも伝えることができます。このことが中国を中国という一つの国家として統一する大きな力になってきたのだと思います。

 最近の経済発展により、中国の沿岸部は「中進国」以上のレベルに達していると言えますが、内陸部には改革開放前と同じような段階にいるところもあります。従って、北京、上海、広州などの沿岸地域だけを見て、それが中国だ、と思ったら誤りです。フランスやイタリアやポルトガルなど、どこか1か国だけを見て「それがEUだ」と考えるのが誤りであるのと同じです。

 また、上海や広州の発展ぶりを見て「今後も同じような成長が続くだろう」と単純に考えるのも正しくないと思います。中国では、立ち後れた内陸部の経済レベルをどのようにして引き上げていくか、という問題が常について回り、上海や広州などの発展も、内陸部から出稼ぎに来ている農民工らの労働力で支えられている以上、内陸部の発展と切り離して考えることはできないからです。中国が「中国共産党による指導」という大原則から離れられないのは、この原則を離れて各地方が勝手に動き出したら、経済的に遅れた内陸部は取り残され、国家としての統一を失ってしまうからです。もしそうなったら、19世紀から20世紀前半の中国のように国内がバラバラの状態になり、国際社会の中で持っている中国のパワーを失ってしまうでしょう。中国政府が台湾やチベットの問題に神経質なのは、20世紀前半までの記憶を背景として、統一を失ったら中国は中国でなくなってしまうと考えているからです。

 外交的には、アメリカ、ロシア、日本、韓国、イギリス、フランス、オーストラリア、ルクセンブルクなどと同じように中国はひとつの「国」として扱われますが、経済的・社会的に考える場合は、同じ目線で考えてはいけないのだと思います。つまり日本と中国とを同じひとつの「国」だと考えてはいけないのであって、むしろ、中国は、ヨーロッパの国々ような様々な背景を持った地域の集合体がEUよりもずっと強力な力によって統一を保たれている組織体であり、日本に対して使う場合の「国」とは異なる組織体なのだ、と考えた方がよいと思います。中国を理解するためには、この点をひとつの出発点で考える必要があると私は思っています。

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2007年9月20日 (木)

中国の会計検査報告

 中国では、会計検査院(中国語で「国家審計署」)が毎年9月に前年度の中央政府の各省庁の会計検査結果を公表します。今年も昨日(9月19日)2006年度(中国の年度は1月~12月)の会計検査報告が公表されました。全文が中国の会計検査院のホームページで見ることができます。

(参考1)中国会計検査院ホームページ
「49省庁等の2006年度予算執行及びその他の財政収支監査結果(上)」
http://www.audit.gov.cn/cysite/docpage/c516/200709/0919_516_20325.htm

(参考2)中国会計検査院ホームページ
「49省庁等の2006年度予算執行及びその他の財政収支監査結果(中)」
http://www.audit.gov.cn/cysite/docpage/c516/200709/0919_516_20326.htm

(参考3)中国会計検査院ホームページ
「49省庁等の2006年度予算執行及びその他の財政収支監査結果(下)」
http://www.audit.gov.cn/cysite/docpage/c516/200709/0919_516_20327.htm

 普段は、中国の新聞では、地方政府のいろいろな問題に関する記事はよく載りますが、中央政府の「好ましからざるところ」が載ることはまれです。しかし、この会計検査院の報告では、中央政府の各省庁の予算執行上の問題点がしっかりと指摘されています。例えば、改革開放政策の先頭に立っていろいろな政策を打ち出している国家発展改革委員会も、規定に違反して企業から賛助費用として1,340万元(約2億円)を受け取った、などと指摘されています。最近、汚染排出企業を摘発したりして「正義の味方」的存在になっている国家環境保護総局も、工場排水処理の科学研究等の名目の予算6,000万元(約9億円)を株取引や対外投資等の投資目的で使った、などと指摘されています。

 並んでいる項目を見ていると「無駄遣いした」というよりも、違法行為じゃないのか、と思える部分もあります。ただ、中国は、まだ法律が完全に整備されていない部分もあるのと、運用に当たっては行政府の裁量権がかなり広く読めるような規定になっている法律も多いので「法律違反」とまでは言えないのかもしれません。

 上記の会計検査報告の対象になっている49省庁の中に公安部や国防科学技術委員会は入っていますが、国防部は入っていません。会計検査の対象になっていないのか、対象にはなっているけれども会計検査結果が公表されないのか、はわかりません。

 また、毎年この時期に発表されるこの会計検査報告が、次の年度の予算の決定にどのような形でフィードバックされているのかは、私はまだ勉強不足でよく知りません。

 日頃、ほとんど中央政府に批判的なことが載ることが少ない新聞でも、この会計検査報告については、かなり大々的に報道されます。ただ、この会計検査報告を伝えている今日(9月20日)付けの「新京報」では、記事の末尾に「この記事は、会計検査院のホームページに基づいています。」と注意書きが書かれています。こういった内容の記事を新聞が独自取材で書くというのは、やはり難しいことなのかもしれません。

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2007年9月17日 (月)

信用の価値

 「遺憾なことながら、現在の中国は信用欠乏の危機に直面しているのではないだろうか」と今日(9月17日)付けの新聞「新京報」の社説は、自問しながら問題提起をしています。「中国でも孔子の時代から『信用』が大事であることは力説されてた。現在、多くの先進国では、政府、企業、個人の全てのレベルにおいて『信用』を極めて重視している。しかし、それに対し、現在の中国は『信用に重きが置かれていない国家群』の中に入れられてしまっているのではないか。」とこの社説は指摘しています。

(参考)「新京報」2007年9月17日付け「社説」
「信頼失墜の困難な状況を打破しようとするならば、信頼を守ることに対する価値を高める必要がある」
http://www.thebeijingnews.com/comment/shelun/2007/09-17/018@073523.htm

 この社説は、先進国の人々も生まれながらにして信用を大事にする素質を備えているわけではなく、信用を重視する政府、企業、個人は利益を得、信用を重視しない政府、企業、個人は社会的に様々なマイナスを受けるシステムができているので、みんな信用を大事にするのだ、と指摘し、中国でも「信用」に対する価値を高めなければならない、と強調しています。この社説では、例えば、信用を失った人に対する社会的制裁の具体的な例として、信用を失った企業や個人は、融資や保険などの面で信用を守っている人よりも冷遇されることになることなどを挙げています。

 もともと伝統的に中国はビジネス上の信義を非常に重要視するお国柄であり、だからこそ、世界各国で中国系の市民が経済上大きな地位を占めているのだと思います。しかしながら、現在の中国の社会では、一部の「信用を重視しない人々」が利益を得ることができ、しかもそういう人たちがのうのうと社会的制裁も受けないで大手を振って歩いている状況が残念ながらあるのだと思います。

 ビジネスの世界で厳しい国際競争にさらされている中国は、今、いやおうなしに「信用を重視しない」人たちは社会的に立ちゆかないようなシステムが社会の中に定着していかざるを得ない状況に置かれていると思います。

 最近、食品・薬品の安全性問題が国際的に取り上げられていますが、これらは「信用がいかに重要視されるか」という観点で、重大な中国の国内問題なのです。信用できない政府、企業、個人がきちんと排除されるようなシステムを作ることが、中国の国内問題として求められているのだと私は思います。

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2007年9月16日 (日)

テレビ画面の臨時ニュース・テロップの意義

 私が、

http://folomy.jp/heart/

の「テレビフォーラム」に8月4日にアップした文章をこちらのココログにも掲載します。

 folomyは、かつての@ニフティのフォーラムを運営していた人たちが集まって運営しているサイトで、メールアドレスを持っている方ならば誰でも無料で登録できます。私がfolomyに書いたものの再アップは、折りを見て時間のあるときに行います。従って、例えばfolomyに掲げた文章のアップは1か月程度遅れると思います。最新の文章を御覧になりたい方は、ぜひ、御自分で上記のアドレスからfolomyに登録して、御覧いただくよう御願いします。

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アップ場所: http://folomy.jp/heart/

「テレビフォーラム(ftv)」-「喫茶室『エフ』」-「『ドナウ川の蚊柱』の続き」

記載日時:2007年8月4日

【テレビ画面の臨時ニュース・テロップの意義】

 日本では、テレビを見ていて、大きなニュースが入った時や地震が起きたとき、気象警報が出たときなど、画面にテロップが流れることがしょっちゅうあります。ドラマなどを見ているとき、特に保存版として録っておこうと思って録画している時にこういったテロップが流れると「うぁ~、せっかくいい場面なのにぃ。」と頭に来る人も多いと思います。NHKでは、知事選挙の当確情報は情報がわかった時点で直ちに全国に向けてテロップで流す方針のようですが、私はこれは不必要だと思います。知事選挙の当確情報のテロップは、その地元地域限定で流すか、次のニュースの時間に放送すれば十分だと思います。

 ただ、地震情報や台風情報、気象警報などは、地上波の場合、やはりテロップで流すのは当然だと思います。全国放送のBSや専門性の高いCSチャンネルでこういう臨時情報のテロップを流すことには議論があると思いますが、例えば津波警報など人の生命に係わる臨時情報の場合はBS/CSでもテロップを流すべきだ、と私は個人的には思っています。

 アメリカでも地上波の放送の場合、その地域の気象警報が出た場合には、必ず画面の下にテロップが流れます。アメリカは大陸性の気候で、雷雨に伴う豪雨や竜巻などは日本よりも強烈なので、こういった短時間気象情報は防災の観点で非常に重要だからです。

 一方、中国のテレビでは、私は気象警報や臨時ニュースのテロップがテレビの画面上に流れたのを見たことがありません。北京に来て、まだ3か月ちょっとしか経っていませんので、たまたま私が見ていなかっただけなのかもしれませんが、日本に比べて気象警報が一般市民に伝わりにくいシステムなのは事実のようです。昨日(8月3日)付けの北京の大衆紙「新京報」の記事によれば、8月1日夜に北京で発生した雷を伴う集中豪雨に関し、気象局は、雷雨警報、大雨警報を出していたのにもかかわらず、多くの市民はそれを知らず、翌日の新聞を見て「あぁ、やっぱり気象局は警報を出していたのだ」と初めて知った、というのが実態のようです。これはテレビだけの責任ではないと思いますが、中国では、スポーツ中継や政治的イベントの生中継をすること以外には、テレビが持つ「リアルタイムで情報を伝えることができる」という利点を十分に活かしていないと思います。

 気象情報や臨時ニュースのテロップは邪魔だ、と思っているドラマ好きの人も多いと思いますが、住んでいる地域に気象警報が出たのに迅速にそれを知る手段がない北京に住んでいると、そういうのは一種の「ぜいたくな悩み」のように思えてしまいます。確かに日本の場合、それほど緊急性のない情報までテロップで流しすぎる傾向があると思うので、その辺は、視聴者の意見を聞きながら、津波警報、気象警報など本当にリアルタイムで流すべき情報を厳選した上で、きちんとテロップで流すようにすべきだと思います。

(2007年8月4日、北京にて記す)

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2007年9月15日 (土)

「新京報」1面トップ写真は日本の月探査機

 今日(9月15日)付けの北京の大衆紙「新京報」の1面に日本の月周回探査機「かぐや」の打ち上げの様子の写真がデカデカと掲載されています。

(参考1)「新京報」2007年9月15日付け記事
「日本の月の『女神』宇宙へ」
http://www.thebeijingnews.com/news/guoji/2007/09-15/014@021544.htm

 「新京報」は、いつも、1面にその日の大きなニュースの見出しと、人目を引くような写真を大きく載せて、読者の目を引きつける紙面構成を取っています。時には、土地開発を巡る土地収容問題で、開発業者に雇われた「地上げ屋」が住民に殴り掛かるところを住民が撮影したショッキングな写真を1面トップに掲載したりします。その意味で若干センセーショナリズム的な部分もあるのですが、「政府公報」的な色彩の強い新聞が数多くある中国の新聞の中では、読者の興味をうまく引きつけることに成功していると私は思っています。

 そういった「新京報」の今日(9月15日)付けの1面の写真は、昨日、種子島宇宙センターから打ち上げられた日本の月周回探査機「かぐや」を搭載したH-IIA13号機の打ち上げの写真(カラー)でした(上記のページに掲載されている3つめの写真です)。

 実際の記事は、国際面のA18-A19の2面にわたって掲載されています(記事の内容は新華社電を転載したものです)。今回の「かぐや」探査計画の内容や日本の宇宙開発の経緯を図面や写真を多く使用して詳しく解説しています(「かぐや」は、中国語では「月亮女神」と表記されています)。

 中国も初めての月周回探査機「嫦娥1号」の打ち上げを今年秋に予定しています(打ち上げ期日は未発表:「嫦娥=チャンア(日本語読みでは『ジョウガ』)」は、中国の伝説上の月に住むという仙女」)。上記の記事では日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)の岩田隆浩博士が「一般の人は日中で競争をしているように見えるかもしれないが、科学者の立場からすると競争ではない。お互いを信頼するという基礎の上に立って、データを交換することは非常によいことなのだ。」「中国が打ち上げを計画している『嫦娥』と『かぐや』は志を同じくする仲間であり、我々はこれら2つの探査機に対して大いに期待している。」と語っていることを紹介しています。

 日本の科学者はいくつかの挫折を乗り越えて「かぐや」の計画を進めている、と解説するなど、記事の内容は非常に好意的です。中国は、有人宇宙飛行に関しては、日本よりずっと前を行っているという自信があることも背景にあるのだと思いますが、宇宙科学探査においても、日本に負けないように中国も頑張ろう、という良い意味でのライバル意識のようなものを感じます。

※なお、この日の「新京報」の国際面での自民党総裁選挙のニュースは、A20面の半分くらいのスペースで「党内で多数派が福田氏を支持、麻生氏劣勢」という記事を伝えています。

 今回の「かぐや」の打ち上げは、日本時間9月14日10:31でしたが、新華社は、打ち上げの直後、即座にニュースを配信しました(日本と中国の時差は1時間)。

(参考2)「新華社」ホームページ2007年9月14日10:18アップ
「日本の『月亮女神』衛星、月の探査計画開始」
http://news.xinhuanet.com/newscenter/2007-09/14/content_6721853.htm

 また、中央電視台(CCTV)のニュース専門チャンネルでは、この打ち上げの様子を生中継していたようです。下記の中央電視台のホームページから打ち上げ時の生中継の様子を見ることができます。画面の右上の「現場直播」は「生中継」の意味です。

(参考3)中央電視台(CCTV)ホームページ2007年9月14日9:52アップ
「動画:日本初の月探査衛星『月亮女神』打ち上げ」
http://news.cctv.com/science/20070914/102821.shtml

※このページの上の方の「視頻」というボタンをクリックすると(通信状態がよければ)CCTVの生放送時の動画を見ることができます。日本の映像に中国語の同時通訳をかぶせています。最後の方では、スタジオの解説陣の解説もちょっとですが見ることができます。

 この打ち上げのニュースは、9月14日12時(日本時間13時)からの中央電視台第一チャンネル(総合チャンネル)の「新聞30分」(お昼のニュース)で、国内ニュースに続く国際ニュースのトップで伝えられていました。

 中国が日本をどう見ているか、のひとつの参考になると思うので、御紹介させていただきました。

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2007年9月13日 (木)

安倍総理辞任表明の中国での伝えられ方

 昨日(9月12日)の安倍総理辞任表明関連のニュースは、中国でもタイムラグなしで報道されています。中国の大衆紙「新京報」の9月13日付け紙面では、1面の2番目に見出しが載り、中の方ではA26-A27面の2面にわたって大きく報道しています。

(参考1)「新京報」2007年9月13日付け記事
「日本の安倍首相、辞職を発表」
http://www.thebeijingnews.com/news/guoji/2007/09-13/018@072548.htm

※ネット版の「新京報」は、従来は記事の全てをネット上に掲載していましたが、9月になってから方針を変え、誰でもアクセスできるネット上では記事の一部しか載せず、「詳しくは電子報のページ(会員限定)へ」と誘導する方針に変更になっています。私は「新京報」(1部1元(約15円))は毎日買っていますが、実際の紙面に載っている記事は、上記のページに載っているよりも詳しく、写真ももっと数多く載っています。

 安倍総理辞任関連のニュースを見ていると、日本の民主主義も、そんなに世界に威張れたもんじゃないなぁ、と思いますが、中国の読者はこの記事を見てどう思ったでしょうか。「新京報」の紙面の方の記事では、新聞の号外を争って受け取る日本の市民の写真や、自民党の幹部が会議をやっている部屋の外で耳をそばだてて中の様子を聞こうとしている記者たちの写真が載っています。記事の中では、「参院選の後に辞めればよかったのに」とあるタクシーの運転手さんが言っていた、という共同電の記事が引用されていました(中国では一般市民が「指導者」の発言についてコメントした発言が新聞やテレビに登場することはありません)。

 今日(9月13日)、安倍総理が入院したニュースは、中央電視台の夜7時(日本時間夜8時)からの「新聞聯播」でも流していました。

 中国の人たちは、こういった外国のニュースはリアルタイムでしょっちゅう見ているので、「自分たちの国とはだいぶ違うんだよなぁ」ということはみんなよく知っています。

 中国の新聞では、例えば、アメリカの大統領選挙などについては、「『自由な選挙』と言われるが、実質的には共和党と民主党の候補者しか大統領になれないし、そもそも党の候補者になるには、相当の集金能力がなければならず、結局はお金のない人は、大統領選挙の候補者にすらなれない。」などという論評が載ることがあります。当たっているだけに反論できないところですが、一般の中国の皆さんはどう考えているのでしょうか。たぶん、政治の話は自分たちが何かしたってどうなるわけでもないので、とにかく自分の生活を少しでも豊かにすることが先決、と考えているのだと思います。

 しかし、例えば、昨日(9月12日)付けの「新京報」の社説では、農民工の子女の義務教育の問題を取り上げていました。

(参考2)このブログの2007年9月2日付け記事
「農民工学校の苦悩」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/09/post_4e0d_2.html

 1部1元(約15円)の「新京報」は、中国の新聞としては値段が高い方だし、広告も多いのですが、北京ではかなり売れている部類の新聞だと思います。「新京報」が結構難しい政治的課題についての記事を載せるのも、読者がそれを読みたいと思っているからだと思います。

 こういった新聞報道などを通じて、中国の人々の政治に対する意識もだんだん変わっていくのだろうなぁ、と安倍総理辞任表明に関する中国の新聞の報道を見ながら感じました。

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2007年9月12日 (水)

「法治国」の方針を立てて10年

 今日(9月12日)付けの人民日報に「法治が中国を変えた~法に基づき国を治めるとの基本方針を打ち出してから10周年に際して~」という特集記事が掲載されていました。1997年9月12日、第15回中国共産党大会で、「法に基づき国を治める」という文字が党の基本方針に明記されてから10年になるのを記念しての特集記事とのことです。

(参考)「人民日報」2007年9月12日付け記事
「法治が中国を変えた~法に基づき国を治めるとの基本方針を打ち出してから10周年に際して~」
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2007-09/12/content_19621148.htm

 実際、この10年間、それまで法律上の規定が明確ではなかった部分に関する法律が次々に制定され、社会の多くの部分が法律に基づいて判断できるようになってきたのは事実だと思います。それでも、中国では、先日9月9日に放送されたNHKスペシャル「激流中国:民が官を訴える ~土地をめぐる攻防~」で紹介されていたように、開発のために土地収用を進める地方政府と、それに反対する住民との間の争いなど、法律上のトラブルが頻発しています。こういったトラブルが最近中国で増加しているということは、法律の未整備が露呈している、と考えるよりむしろ、住民の側の法律に基づく権利意識が高まってきている証拠だ、と前向き考える方が正しいと思います。

 上記の「人民日報」の記事では、「数千年に及ぶ封建的な中国では、君主には権利があるが人民には権利がなく、法によって統治されるのではなく人によって統治され、特権が横行し、権利は主張されず、人民は奴隷のような労働を強いられてきた。昔の人は、優れた君主や大臣に良い政治を寄託し、『優秀な人が上に立てば政治はうまくいき、優秀な人が上に立たなければ政治は機能を失う』という歴史の周期を繰り返してきた。」と中国の過去の歴史を振り返っています。

 また、この記事では、中華人民共和国成立の後、「法治」の兆しが見えはじめたが、法治の道は平坦なものではなかった、として、中国共産党の過去に対する反省も掲載しています。この記事では「文化大革命」の時期は『人』が政治を行い災難を招いた」と文革期の政治のあり方を反省しています。

 結論として、この人民日報の記事では、文革の後、改革開放路線の中で中国共産党の指導により「法治」が進展してきていることを強調しています。

 確かに、中国で社会の根幹をなす法律が次々と整備されつつあるのは事実です。ただ、この10月1日に施行される「物件法」は、土地使用権等の権利を法律上明記したもので、日本で言えば「民法」に当たりますが、日本では百年以上前の明治時代にできた「民法」がまずあって、その法律的基礎に基づく経済的権利義務関係の上に立って経済成長を遂げてきたのに対し、現在の中国では「民法」にあたる法律がないまま高度の経済成長が計られてきたわけで、経済的現状だけが先に行っていた今までがむしろ「異常」だったのであって、現状を法律的に追認するような形で各種の法律が整備されつつある、と考えた方が正しい思える部分も多々あります。

 中国においても「法律の規定よりも党の方針の方が優先する」というようなことは、今後、減っていくものと思われます。そういった方向性を「中国の社会は進歩している」と捉えることもできます。一方、「『法治国』という方針が明示的に決まってからまだ10年しかたっていないのだから、まだまだ先は長い。民法ができて100年以上経つ日本と違い、中国ではまだまだ法律に基づく権利義務関係が社会に浸透していない状況の下でこれだけ高度の経済発展を遂げたため、経済的利害関係を法律によって調整することが難しい場面も多く出現し、まだまだ困難な時期は続く。」と見ることもできると思います。

 法律とは、東洋的統治機構においては「お上が人民を統治するために作った人民を縛るためのもの」という考え方が主流ですが、西洋型民主主義の考え方では、法律とは、「政府機関が我々人民の意向に反した行動を取らないように政府機関を縛るために我々人民が作ったルール」を意味します。本当の「法治」とは、後者の意味での法律に基づき政治が行われることを意味すると私は考えていますが、中国において、私の考える「本当の法治」が実現するまでには、まだかなりの時間が掛かると思いますので、まだまだ長い目で見ていく必要があると思います。

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2007年9月 9日 (日)

場所と時間を超えるテレビ

 私が、

http://folomy.jp/heart/

の「テレビフォーラム」に7月28日にアップした文章をこちらのココログにも掲載します。

 folomyは、かつての@ニフティのフォーラムを運営していた人たちが集まって運営しているサイトで、メールアドレスを持っている方ならば誰でも無料で登録できます。私がfolomyに書いたものの再アップは、折りを見て時間のあるときに行います。従って、例えばfolomyに掲げた文章のアップは1か月程度遅れると思います。最新の文章を御覧になりたい方は、ぜひ、御自分で上記のアドレスからfolomyに登録して、御覧いただくよう御願いします。

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アップ場所:
http://folomy.jp/heart/
「テレビフォーラム(ftv)」-「喫茶室『エフ』」-「『ドナウ川の蚊柱』の続き」

記載日時:2007年7月28日

【場所と時間を超えるテレビ】

 北京に駐在するようになって3か月が過ぎました。日本からビデオ・デッキは持ってきたのですが、もっぱら日本にいたときに録画したものを再生するのに使うだけで、テレビからテープへの録画はしていません。中国のテレビ番組の中にあんまり録画してまで見たいようなものがないからだ、と言えばそれまでですが、見損なったニュースなどはインターネットで見られるので、あえて録画しようとは思わないからというのが最も大きな理由です。中央電視台の夜7時のニュース「新聞聯播」や報道番組「焦点訪談」は、放送の後、中央電視台のホームページで見ることができます。

 一方、日本のニュースもNHKや民放各社のニュースはインターネットで動画で見られるので、北京にいて「日本のニュースが見られない」というフラストレーションが溜まるということはありません。先日の中越沖地震のような大きなニュースの場合は、NHKのBSが見られるので困りません。私のいるアパートメントでは、アメリカのスポーツ専門チャンネルESPNを見ることができますが、私が見たいと思っているアメリカ・プロボウリング(PBA)の中継は、週末のアメリカ時間の昼間、即ち北京時間の夜中なのでナマでは見ることは難しいのですが、これもPBAのホームページ上からインターネットで見ることができるので困りません(ただし、これは有料のサービスです)。

 このように、今は、いろんな国のテレビ番組がインターネット上で見られるので、あえてテレビ放送を録画して見ようとは思わなくて済むのです。日本のドラマを見るのが好きな人は、外国へ行くと日本のドラマが見られないので欲求不満になるかもしれませんが、私は「ドラマ見」の人ではないので苦にはなりません。

 放送エリアと放送時間に縛られるリアルタイムのテレビは、今、多くの人が「不便なもの」と感じていると思います。日本では外出先でワンセグでテレビを見ている人も多いと思いますが、今後、インターネット上の動画コンテンツがどんどん充実していけば、場所や時間を気にせずに見られるオン・デマンド方式のインターネットの動画コンテンツを見る人が増え、反面、テレビをリアルタイムで見る人はどんどん減ると思います。

 1988年、中国の固定電話は472.7万件、移動電話は3000件しかありませんでした。中国情報産業部の数字によると、2007年6月末現在で、中国の固定電話は3.7億件、携帯電話は5億件を超えました。この手の時代の流れのスピードはとんでもなく速いものです。私が北京に来て、日本にいたときとテレビの環境がだいぶ変わったのに、そんなに不便に感じていないのは、テレビを巡る状況の変化も、実は思ったより速く進んでいるからなのかもしれません。

(中国の電話の数の出典)
1988年の数字:中国経済年鑑2005(中国経済年鑑社)
2007年6月末の数字:中国情報産業部「2007年6月通信事業統計月報」
http://www.mii.gov.cn/art/2007/07/25/art_166_32599.html

(2007年7月28日、北京にて記す)

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2007年9月 8日 (土)

中国の法律における行政府への委任

 今日(9月8日)発売の経済専門紙「経済観察報」(2007年9月10日号)の1面に、中国の法律における行政府への委任事項について評した社説が載っていました(タイトルは「立法における『原則とする』というやり方は誰のために余地を残しているのか」)。この社説では、今年3月の全国人民代表大会(全人大)全体会議で可決された「企業所得税法」(2008年1月1日施行)について、実施細目がまだ明らかになっていないため、各企業が自分たちがどれだけの税金を払うことになるのかいまだ明確になっていない例を取り上げて、法律が「原則」を定めることに留まり、詳細を行政府に委任してしまうと、実施細目の決定や法律の解釈において、行政府に過大な自由裁量権を与えてしまう、との懸念を表明しています。

※残念ながら、この社説をネット上で見ることはできません。最近、中国でも新聞の売れ行きに影響を与えるのを避けるため、重要な記事はネットでは見られないようにしているケースが増えています。

 日本の場合、法令は、大まかに言って、国会(立法府)で可決される「法律」と、行政府の長である内閣総理大臣をヘッドとし各府省の大臣をメンバーとする閣議で決める「政令」、各府省がそれぞれ定める「省令(府令)」などに分類されています。国民の権利と義務に直接関係する事項は、国民の代表者である国会議員の議決によって決める「法律」に規定しなければならず、「政令」や「省令(府令)」で規定するのは、法律の定めによって委任された範囲内で、細かな規則を定めるものに留めることになっています。国会の議決を必要とする「法律」は、改正するのに時間が掛かりますので、社会の動きに対応して迅速に改正する必要がある細かな事項などは、「法律」の委任に基づいて「政令」や「省令(府令)」で定められるのですが、税率、刑罰の重さ、など直接的に国民の権利や義務に関係する事項は、例外がある場合はどのような場合が例外であるかも含めて、「法律」で明確に決めなければならず、「政令」や「省令(府令)」に委任することはできない、というのが原則になっています。

 一方、中国の法律では、原則についての規定がある一方、例外規定が設けられていて、どのような場合に「例外」扱いになるのかについての規定は行政府(中国の場合は国務院)などに委任されているケースが数多くあります。例えば、「経済観察報」の社説が例として挙げている企業所得税法では、税率は法律に書いてありますが、優遇措置として減税の対象となる「国家が重点的に援助している公共基礎施設プロジェクトに投資したことによる所得」「一定の条件に合った環境保護目的、省エネ目的、水資源節約目的の所得」「一定の条件に合った技術移転所得」などについては、具体的にどういったものが対象になるのかは行政府(中国の場合は国務院)の判断に任されています。また、減税の額についても法律には書かれていません。

(参考1)ネット版「人民日報」人民網のページにある
「中華人民共和国企業所得税法」全文
http://finance.people.com.cn/GB/8215/79833/5491575.html

 最近、中国では、経済活動の根幹をなす重要な法律が次々に成立しています。例えば、今年3月の全人大全体会議では土地に対する権利等を規定した「物件法」が、6月の全人大常務委員会では「労働契約法」が、8月の全人大常務委員会では「独占禁止法」(中国語では「反壟断法」)が次々に成立しています。

(参考2)(独)科学技術振興機構(JST)中国総合研究センターのホームページ
「JST北京事務所快報」第5号(2007年9月5日)
「中国の科学技術関連法律の最近の動向」
http://crds.jst.go.jp/CRC/

※上記の記事の筆者はこのブログの筆者です。

 これらの重要法律が、実際に施行される際に行政府がどのような実施細目を作るのか、どのような法解釈で実際の法律の運用がなされるのか、について、中国の内外の関係者は大いに注目しています。土地は国有または集団所有であるという社会主義の原則の下で土地使用権等の権利をどう扱うか、政府による経済のコントロールを原則とする社会主義の原則の中で「自由競争の原則」を規定した「独占禁止法」がどのように運用されるのか、は、まさに中国の現在の「社会主義市場経済」の行く末を決める重要なものだと言えるでしょう。

 従来、議論百出でなかなか方向性がまとまらなかったこれらの重要法律を次々と成立させている現在の胡錦濤政権は、法律面でも「改革開放政策」の基盤を固めつつある、と言っていいと思います。これらの法律が、「経済観察報」の社説が心配するように、行政府の自由裁量権を拡大させたり、法律が目指している本来の目的からずれたりすることのないようにすることが、中国の「改革開放政策」を本物にするための重要なポイントになると思います。

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2007年9月 7日 (金)

分散と集中:80年代と今の中国の体制の違い

 私は1986年10月~1988年9月に北京に駐在したことがあり、今また2007年4月から北京に駐在しています。ずっと継続して中国に係わってきた人には、少しずつ変化してきたので何でもないことであっても、20年ぶりに北京に駐在するようになった私としては、大きな変化として鮮烈に感じるものがあります。経済的な発展は、もちろんそのひとつですが、政治体制の違いも私は感じました。

 私が20年前に北京にいた1980年代後半は、トウ小平氏による改革開放路線がスタートしてまもなくでした。そのため、1976年まで続いた文化大革命の反省に立ち、文化大革命が冒した問題点をいかにして克服するか、というのが主要な課題でした。農村では、1982年頃に人民公社が解体され、農民に生産請負制、即ち、農民に生産を請け負わせた結果として一定量の収穫量は公的部門に納めてもらうものの、それ以上生産したものは農民の裁量で売却し、自分の収入にすることができる、という制度がスタートしていました。これがその後の農業の生産力の向上に非常に効果があったと言われています。現在につながる市場経済の導入の始まりでした。

 それと同時に、トウ小平氏は、毛沢東主席のカリスマ性に頼った個人崇拝的な指向や権力の過度の集中に対する警戒感を持っていました。そのため、自らはあまり表に出ず、党の中央軍事委員会主席のポストには就いていたものの、他の政府の要職からは引退していました。この時代、文化大革命の当時に各地に建てられていた毛沢東主席の像は、ほとんどが撤去されました。トウ小平氏が主導して1981年6月に出された中国共産党の「党の建国以来の若干の歴史問題に関する決議」(歴史決議)では、毛沢東主席は革命を指導した偉大な指導者であることは全く揺るがないが、毛主席も晩年には誤りを冒した(=文化大革命のこと)のであり、毛主席の「すべて」が正しい、とする考え方は誤りであるとされました。ある人の「すべてが正しい」という考え方は、個人崇拝につながるものである、とされていたのです。そういった考え方が、各地の毛沢東主席の像の撤去に現れていたと思います。

 1986年10月に私が北京に着任した当時、中国共産党総書記は胡耀邦氏、国務院総理は趙紫陽氏、国家主席は李先念氏でした。この当時の国家主席は、名誉職的存在で、党の統括は胡耀邦氏が、行政の実質的な統括は趙紫陽氏が仕切っていました。権力が集中することはよくない、という反省に立った上での措置だったと思います。

 一方、現在は、胡錦濤氏が、中国共産党総書記と国家主席を兼任し、中国共産党軍事委員会主席も兼ねています。国務院総理は温家宝氏ですが、外交上、外国の首脳と会談するのは国家主席たる胡錦濤氏です。現在の国家主席は単なる名誉職ではなく、中国政府の実質的な代表者です。このように党総書記、国務院総理、国家主席の役割が1980年代のものから変化しているのは、1980年代の「権力分散体制」が、結果的に1989年に見られたような「よくない効果」を産んだ、と考えられたからだと思います。

 個人崇拝については、現在も誰も肯定はしないと思いますが、1元以上のすべてのお札に毛沢東主席の肖像が描かれていることに見られるように、1980年代にあった「毛主席の偉大さはいささかも揺るがないが、だからといって何でもかんでも『毛主席』を引っ張り出すのは個人崇拝につながりやすいので、できれば避けるべきだ」という感覚とは、今の感覚は若干違ってきています。中央電視台の夜8時からの連続ドラマは、今日(9月7日)からまた新しいシリーズが始まりましたが、前回のシリーズも、今回のシリーズも、党の歴史を扱った「歴史物」であるため、毛沢東主席が重要な役回りで登場しています。私は「毛主席の偉大さだけに頼るのではなく、毛主席の築いた基礎の上に立って、我々は自らの力で前へ進むのだ。」という気概のあった1980年代を知っているだけに、今のように何でもかんでも毛主席のカリスマ性に頼ってしまうような傾向には違和感を感じます。

 テレビドラマで中国共産党の歴史を描いた「歴史物」が続くのは、10月15日から始まる予定の党大会へ向けて雰囲気を盛り上げるためでしょうから、しかたがないと思います。ただ、現在は、1978年にトウ小平氏が始めた改革開放路線の延長線上にあるのですが、スタートしてから30年近くが経過して、驚異的な経済発展や一定の資産を持った「新社会階層」の増加などの「変化」が生じてきているのに、政策の方針の一部がその社会の「変化」とは逆のベクトル方向を向いているようにも見えるのが、と私としては気に掛かるところです。

(参考)このブログの2007年6月22日付け記事
「新しい社会階層の台頭」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/06/post_6737.html

 「わざと逆ベクトルのような様子を見せて、全体としてバランスを取っているのだ」という考え方もありますが、このあたりの調整をどのように行っていくのかが、1か月後に迫った党大会の大きな課題なのだと思います。

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2007年9月 6日 (木)

中国における「発表」の読み方

 9月4日に行われた国家発展改革委員会の記者会見で、同委員会の卒井泉副主任から、この秋の食糧作物の収穫については楽観視している、との発言がありました。この問題については、一週間前、同委員会の馬凱主任が、全国人民代表大会(日本の国会に相当)の常務委員会で「洪水や干ばつの影響で、今年の秋の食糧作物の情勢は厳しい」と発言していたことから、発展改革委員会の見方はいったいどちらなのだ、といったとまどいが中国の新聞記者の間にも広まったようです。

 記者のとまどいを伝える記事が載っている「新京報」2007年9月5日付けA05面の記事「記者会見の焦点1:発展改革委員会は、秋の食糧作物生産の情勢は楽観視している」がネット上で見つからないので、同じ発展改革委員会卒井泉副主任の発言を記事にしている新華社の記事のアドレスを下記に掲げておきます。

(参考1)「新華社」2007年9月4日付け記事
「発展改革委員会、中国ではまだ重大なインフレは出現していない」
http://news.xinhuanet.com/newscenter/2007-09/04/content_6663489.htm

(参考2)このブログの2007年8月30日付け記事
「この秋の中国の食糧生産は減収か?」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/08/post_2840.html

 主任と副主任の発言の内容がかなり違うため「どちらが本当の国家発展改革委員会の見方なのか」という疑問が湧くわけです。どうも、この手の経済関係の将来予測に関する発言には、市場や物価などの様子を見るためにわざと言っている、という意味合いもありそうです。日本でも、市場の相場を見ながら、政治家がわざと「こうなるんじゃないかなぁ」などという思わせぶりな発言をする、いわゆる「口先介入」をすることがありますが、中国における要人の発言は、それと同じで、自分の発言と世間の反応とを推し量った上での意図的な発言である可能性がありますので、その辺は認識しておく必要があると思います。

 また、中国における発表は、同じ内容でも、発言する場所や場面、伝えられる言語によって微妙にニュアンスを変えて伝えられる場合があることも要注意です。英語では伝えられているのに、中国語では伝えられていない情報というものもあります。

 ひとつの例として、先日、新華社で配信されたニュースに、大成功だったとされている中国初の有人宇宙船「神舟5号」の飛行は、実は大気圏突入時にレーダーで捕捉ができなくなり一時的に危機的状況があった、という報道がありました。このニュースは日本の新聞にも載ったので、御存じの方も多いと思います。中国国内でも英字紙「チャイナ・ディリー」には載っていました。でも、私が知る限り中国語の新聞やネット上のニュースでは見ませんでした。

(参考3)「チャイナ・ディリー」2007年8月14日付け記事
"Moment of fear for first astronaut"
http://www.chinadaily.com.cn/china/2007-08/14/content_6025089.htm

 また、韓国の在北京大使館の公使が病院でなくなった件について、9月6日、衛生部の陳竺部長は「死因は直前に食べたサンドイッチではない」と発言しているのですが、この発言の内容を伝えるニュースのうち、チャイナ・ディリーでは病院名が明記されているのですが、中国語の「新京報」では明記されていません。

(参考4)このブログの2007年8月4日付け記事
「在北京韓国大使館公使の死去」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/08/post_cfae.html

(参考5)「チャイナ・ディリー」2007年9月6日付け記事
"Death of ROK diplomat 'not food-related'"
http://www.chinadaily.com.cn/cndy/2007-09/06/content_6084107.htm

(参考6)「新京報」2007年9月6日付け記事(ネット上へは9月5日15:14アップ)
「衛生部:韓国公使の突然の死は、食べ物が原因ではない、と発言」
http://www.thebeijingnews.com/news/intime/2007/09-05/018@151417.htm

 陳竺衛生部長の発言では、病院名については触れていないのですが、多くの読者の関心事項である病院名を補足して伝えている「チャイナ・ディリー」の方が報道の仕方としては自然だと思います。

 さらに、ちょっと古いニュースですが、今年6月に人民解放軍の士官が鳥インフルエンザで亡くなった時、「新華社」は、亡くなった時期は「最近」、亡くなったのは「人民解放軍の某部隊の士官」とだけ伝え、亡くなった正確な時期と場所については伝えていません。

(参考7)「新華社」2007年6月5日18:45アップ
「解放軍某部隊で鳥インフルエンザで1人死亡」
http://politics.people.com.cn/GB/1027/5825732.html

 一方、この情報は世界保健機関(WHO)に伝えられ、WHOの英語のホームページには、死んだのが19歳の男性、死んだ時期は6月3日、場所は福建省ということが載っています。

(参考8)世界保健機関(WHO)ホームページ
「感染症に関する警告と対応」鳥インフルエンザ~中国の状況~最新情報3:2007年6月4日付け
http://www.who.int/csr/don/2007_06_04a/en/index.html

 このケースは、亡くなったのが軍の士官だったための特殊ケースだと思います。ただ、WHO経由で英語で世界中に発信されている情報が、中国語で中国国内には伝えられていなかったのは事実です。

 このように中国では、発表される場所、発表される場面、発表される言語によって、微妙にニュアンスが違ったり、一部の情報が伝えられなかったりすることがあるので、要注意です。例えば、「この場にいる人なら伝えてもいいだろう」「英語がわかる人には伝わっても大丈夫だろう」というような考え方から、場所、場面、言語によって、発表する内容を微妙にコントロールしているのではないか、と私は思っています。

 そういったやり方が正しいことなのかどうかは別として、情報を受け取る側としては、その辺も頭に入れておく必要があると思います。

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2007年9月 3日 (月)

チームワークの力

 私が、7月16日に起きた中越沖地震に関する日本のニュースを見ていて書いて

http://folomy.jp/heart/

の「テレビフォーラム」に7月22日にアップした文章をこちらのココログにも掲載します。

 folomyは、かつての@ニフティのフォーラムを運営していた人たちが集まって運営しているサイトで、メールアドレスを持っている方ならば誰でも無料で登録できます。私がfolomyに書いたものの再アップは、折りを見て時間のあるときに行います。従って、例えばfolomyに掲げた文章のアップは1か月程度遅れると思います。最新の文章を御覧になりたい方は、ぜひ、御自分で上記のアドレスからfolomyに登録して、御覧いただくよう御願いします。

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【チームワークの力】

 今回の中越沖地震で被害に遭われた方々にはお見舞い申し上げます。

 北京でもBSの放送が見られるので、今回の地震のニュースはテレビで随分見ましたが、今回の地震のニュースでひとつ印象に残ったのは、ある自動車部品の工場が地震の被害に遭ったために、部品の供給がストップし、大手自動車メーカーのほとんどが生産ラインのストップを余儀なくされた、という話でした。しかも、普段はライバル同士の各自動車メーカーや他の部品ーメーカーがこの部品工場の復旧へ向けて協力している、とのことでした。私は、このニュースを見て、日本の持つ底力の一端を見たような気がしました。

 一般消費者にはほとんど会社の名前すら知られていないが、ある特定の分野の部品に関しては、世界のシェアの6割、7割を占めている、というような部品メーカーが実は日本にはたくさんあります。最近、韓国や中国などのアジア諸国の工業力の発展がめざましく、これらの国々からの輸出製品が欧米の産業に脅威を与え、貿易摩擦として議論されることがよくありますが、これら「Madi in Korea」「Made in China」など製品のキーとなる部品は実は日本から輸出されたものだ、というケースが数多くあります。

 改革開放前の中国の国営企業では、それぞれの工場の中に工作機械やその部品を製作する作業所があり、いわゆる「自給自足」で生産を行っているところが数多くありました。他の企業と関係なく独自の計画で生産できる、というメリットはあるのですが、全ての段階の生産設備を持っているので、非常に非効率的でした。それに対して、日本の場合は、各部品について、分業化・専門化が進んでおり、最も品質がよく、最もコストが低い専門メーカーが作った部品を複数のメーカーが利用するので、全体として品質のよい最終製品を低いコストで生産することができます。「日本株式会社」と言われるゆえんですが、これは、ある意味で、日本という社会の中の「チームワークの力」によるものです。

 野球で、ホームラン・バッターばかりのチームは決して優勝できず、犠牲バントを確実にできる選手、盗塁の得意な選手、短いイニングをぴしゃりと抑えるストッパーなど各専門のスペシャリストが集まってチームワークで勝てるチームが強いのと同じです。

 今回の中越沖地震をはじめ、最近、日本では大きな被害をもたらす地震が相次いでいます。しかし、その都度、チームワークの力で復旧する日本の姿は、あまり日本にいる皆様は感じていないかもしれませんが、私は世界に誇れるものだと思っています。日本では、一人の優秀な人がいてもその力を十分に発揮できず、チームの中に埋没してしまう、という批判もよく聞きますが、日本の持っているこの「チームワークの力」は、これからも大切にして欲しいと私は思っています。

(2007年7月22日、北京にて記す)

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2007年9月 2日 (日)

農民工学校の苦悩

 9月は中国では学校の新学期の時期です。これに関連して今日(9月2日)付けの北京の大衆紙「新京報」に、農民工の子女が通う学校についての記事が二つ載っていました。

 中国では、戸籍が農村、非農村に分かれており、基本的に、義務教育は自分の戸籍がある場所で受けることになっています。一方、大量の農民が都市部に出稼ぎに出て来ていますが(彼ら「農民工」と呼ばれている)、彼らの子女の中には、親から離れて故郷に残って学校へ行っているこどもたちと、親と一緒に都会に出てきて都市部で教育を受けているいるこどもたちがいます。先日、北京に住んでいる人口1700万人のうち、510万人が北京に戸籍のない人たちである、との発表がありましたが、この中には多くのこどもたちも含まれていると思います。

(参考1)このブログの8月25日付けの記事
「北京の流動人口は510万人」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/08/510_5d24_1.html

 親と一緒に都会に出てきているこどもたちは、その都会には戸籍がないため、都会の公立学校に入ることができません。このため民間の篤志家の寄付などで運営されている私立の学校で教育を受けることになります。これら都市部の農民工の子女のための学校は、政府からの公的補助が受けられないため、その経営は非常に厳しいものになっています。この問題は、農民工の子女の義務教育を受ける権利に関係することなので、中国国内でも以前から大きな問題として認識されており、日本でもときどき報道されています。

 「新京報」に載っていた一つ目の記事は以下の記事です。

(参考2)「新京報」2007年9月2日付け記事
「新課程改訂始まる。高校の課程表は『ぎっしり』」という記事の中にある
「新問題:スクールバス停止で200人以上の生徒が学校をやめた」
http://www.thebeijingnews.com/news/beijing/2007/09-02/017@024615.htm

 北京市朝陽区にある農民工子女の学校「育英学校」でも、ほかの学校と同じように9月1日から新学期が始まりました。最近、スクールバスに使用するバスの安全基準が改訂されて厳しくなったのですが、この学校が使っていたスクールバスは新しい安全基準を満たしておらず、使うことができなくなりました。このため学校側は、新学期の開始に当たり、生徒の父母たちに、一般の公共バスで通学するためのICバスカードを学校でまとめて買うことを承諾するか、そうでなければ学校をやめるか、2つに1つを選択して欲しい、と要請したそうです。この学校には1,300人の生徒がおり、このうち500人近くがスクールバスで通っていましたが、こういった学校側の問い掛けを受けて、200人以上の生徒が学校をやめることにした、とのことです。

 農民工子女のための学校は、あちこちにあるわけではありませんので、遠くから通わざるを得ない生徒も多く、そういう生徒はスクールバスに乗って登下校するしかなかったのです。北京のバスはかなり安い(ICバスカードを使えば、割引があるので大人0.4元(約6円)で乗れます)のですが、毎日こどもを通わせるとなると、農民工の親にとってはかなりの負担となります。そのために200人以上が学校をやめざるを得なかったのです。

 学校側は、スクールバスとして安全基準に合ったバスを借り上げたいと思っているのですが、2台の大型バスを借りるには1学期(中国は2学期制)あたり20万元(約300万円)掛かるとのことです。学校側としては、1か月スクールバスの運行を停止して、その間に資金援助してくれる企業を探すが、どこも援助してくれない場合は、バスの借り上げ費用は学校側ではとても払える額ではないので、スクールバスの運行はあきらめざるを得ない、とのことでした。

 この「新京報」の記事は「関係部門には、こういった実際の状況を十分に考慮するよう希望する。」と結ばれていますが、学校をやめた200人以上の生徒たちがこれからどうするのか、については書かれていません。

 二つ目の記事は以下の記事です。

(参考3)「新京報」2007年9月2日付け記事
「南都基金会、大興区の行知学校に100万元を援助」
http://www.thebeijingnews.com/news/beijing/2007/09-02/017@021045.htm

 これは全国で100か所以上の学校を支援している南都基金会という団体が、北京市大興区の行知学校という学校に100万元を援助することになった、という記事です。現在、農民工の子女の学校は私立学校なので「営利目的の学校」扱いになっているのですが、こういった資金提供団体からの援助を受け、資金提供者、教育の専門家、財務の専門家、弁護士及び父母の代表が集まって理事会形式で学校を運営することにより、「非営利目的の公益学校」としての体裁を整え、政府の補助金を受けやすくする計画が進められています。このような学校を「新公民学校」と呼ぶのだそうです。行知学校も、この資金援助により、名前を「行知新公民学校」に変えることにしたとのことです。

 こういうふうに実際に農民工の子女の学校に対する民間レベルでの資金援助が行われている、ということは、ある意味ですごいことです。「教育は基本中の基本。政府が何もしてくれないなら、何とかしなければならない。」と思っている人が多いのでしょう。ただ、民間からの援助に頼っていたのでは、援助できる学校と援助の手が回らない学校が出てきてしまいますから、やはり基本は政府が支援をしなければならない、と多くの人が思っていると思います。

 都市部に働きに出てきている農民工の子女の学校を支援することは、「こどもは自分の戸籍のあるところで義務教育を受ける」という基本原則を崩すことになるので、政府としては表立ってはできないのだと思います。しかし、やはり、中国の経済発展も北京オリンピックのためのいろいろな建造物の建築も、農民工の働きがなければ成り立ち得ないことを考える必要があると思います。13億人という膨大な数の人民がおり、その人民みんなが「教育は大事だ」と思っており、実際にほとんど100%に近い人々がきちんと義務教育を受けている、ということが、中国の大きな「強み」です。この「強み」を自ら壊すことのないよう、中国政府にはこの問題に対する適切な対応が求められていると思います。

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2007年9月 1日 (土)

肉まん事件以降、牙を抜かれた「焦点訪談」

 中央電視台第一チャンネル(総合チャンネル)で、毎日、「新聞聯播」(夜7時のニュース)、天気予報に続いて19:38から放送される報道番組「焦点訪談」は、中国社会が抱える問題を鋭く指摘する番組として、私としても楽しみにしている番組のひとつでした。地方政府の窓口で法令に基づかない違法な手数料を徴収しているとか、水の供給設備の補助金を受け取りながら動かない設備を備え付けただけでほったらかしにしてある地方政府の実態とか、許可を得ないで勝手に農地に別荘を建てて儲けている村の政府とか、そういうところに直撃取材を試み、時として隠し撮りで不正の実態を暴く番組でした。

(参考1)このブログの2007年7月13日付け記事
「中国の地方政府による無秩序な土地開発」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/07/post_1c55.html

 ところが、7月に北京電視台による「段ボール肉まんやらせ事件」が起こって以降、この「焦点訪談」が全然つまらなくなってしまいました。

(参考2)このブログの2007年7月13日付け記事
「『段ボール肉まん』報道は『やらせ』だった」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/07/post_10f1.html

 最近の「焦点訪談」は、「洪水に苦しむ住民とそれを助ける地方政府」とか「身体障害者を援助する地域住民」とか、確かに社会問題は扱っているし、間違ったことは放送していないし、扱っている問題は社会的に重要な問題ばかりですので、番組制作者に対しては、大変失礼なんですけど、「つまらなくなった」というのは私の素直な感想です。「隠し撮り」の手法を使うことがなくなっただけでなく、「不正を暴く」という姿勢もなくなってしまったように思えるのです。そんなふうなので、最近は、私も「焦点訪談」を見なくなってしまいました。発表はされていませんが、たぶん、視聴率も落ちていると思います。

 「段ボール肉まんやらせ事件」のようなことは再発させてはならん、という「その筋」からの「お達し」があったのでしょうし、番組制作の現場もかなり萎縮しているからなのだろうと思います。でもこれでは「ヘタなことをやって、住民から中央電視台に投書でもされて、『焦点訪談』で取り上げられたらヤバイ」と思って緊張していた地方政府の「タガ」がゆるんでしまうのではないかと心配です。こんなに「焦点訪談」の牙が抜かれたような状態を見ると、あの北京電視台の「段ボール肉まんやらせ事件」自体が、実は「不正暴露報道をやめさせたい」と思っていた勢力による「やらせ」だったのではないか、などと勘ぐりたくなってしまいます。

 もう「段ボール肉まんやらせ事件」から1か月半たって「ほとぼり」も冷めた頃だと思いますので、「焦点訪談」には、以前のような「鋭さ」を取り戻して欲しいと思います(10月15日から開幕する共産党大会が終わるまでは無理かな)。

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