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2007年9月 7日 (金)

分散と集中:80年代と今の中国の体制の違い

 私は1986年10月~1988年9月に北京に駐在したことがあり、今また2007年4月から北京に駐在しています。ずっと継続して中国に係わってきた人には、少しずつ変化してきたので何でもないことであっても、20年ぶりに北京に駐在するようになった私としては、大きな変化として鮮烈に感じるものがあります。経済的な発展は、もちろんそのひとつですが、政治体制の違いも私は感じました。

 私が20年前に北京にいた1980年代後半は、トウ小平氏による改革開放路線がスタートしてまもなくでした。そのため、1976年まで続いた文化大革命の反省に立ち、文化大革命が冒した問題点をいかにして克服するか、というのが主要な課題でした。農村では、1982年頃に人民公社が解体され、農民に生産請負制、即ち、農民に生産を請け負わせた結果として一定量の収穫量は公的部門に納めてもらうものの、それ以上生産したものは農民の裁量で売却し、自分の収入にすることができる、という制度がスタートしていました。これがその後の農業の生産力の向上に非常に効果があったと言われています。現在につながる市場経済の導入の始まりでした。

 それと同時に、トウ小平氏は、毛沢東主席のカリスマ性に頼った個人崇拝的な指向や権力の過度の集中に対する警戒感を持っていました。そのため、自らはあまり表に出ず、党の中央軍事委員会主席のポストには就いていたものの、他の政府の要職からは引退していました。この時代、文化大革命の当時に各地に建てられていた毛沢東主席の像は、ほとんどが撤去されました。トウ小平氏が主導して1981年6月に出された中国共産党の「党の建国以来の若干の歴史問題に関する決議」(歴史決議)では、毛沢東主席は革命を指導した偉大な指導者であることは全く揺るがないが、毛主席も晩年には誤りを冒した(=文化大革命のこと)のであり、毛主席の「すべて」が正しい、とする考え方は誤りであるとされました。ある人の「すべてが正しい」という考え方は、個人崇拝につながるものである、とされていたのです。そういった考え方が、各地の毛沢東主席の像の撤去に現れていたと思います。

 1986年10月に私が北京に着任した当時、中国共産党総書記は胡耀邦氏、国務院総理は趙紫陽氏、国家主席は李先念氏でした。この当時の国家主席は、名誉職的存在で、党の統括は胡耀邦氏が、行政の実質的な統括は趙紫陽氏が仕切っていました。権力が集中することはよくない、という反省に立った上での措置だったと思います。

 一方、現在は、胡錦濤氏が、中国共産党総書記と国家主席を兼任し、中国共産党軍事委員会主席も兼ねています。国務院総理は温家宝氏ですが、外交上、外国の首脳と会談するのは国家主席たる胡錦濤氏です。現在の国家主席は単なる名誉職ではなく、中国政府の実質的な代表者です。このように党総書記、国務院総理、国家主席の役割が1980年代のものから変化しているのは、1980年代の「権力分散体制」が、結果的に1989年に見られたような「よくない効果」を産んだ、と考えられたからだと思います。

 個人崇拝については、現在も誰も肯定はしないと思いますが、1元以上のすべてのお札に毛沢東主席の肖像が描かれていることに見られるように、1980年代にあった「毛主席の偉大さはいささかも揺るがないが、だからといって何でもかんでも『毛主席』を引っ張り出すのは個人崇拝につながりやすいので、できれば避けるべきだ」という感覚とは、今の感覚は若干違ってきています。中央電視台の夜8時からの連続ドラマは、今日(9月7日)からまた新しいシリーズが始まりましたが、前回のシリーズも、今回のシリーズも、党の歴史を扱った「歴史物」であるため、毛沢東主席が重要な役回りで登場しています。私は「毛主席の偉大さだけに頼るのではなく、毛主席の築いた基礎の上に立って、我々は自らの力で前へ進むのだ。」という気概のあった1980年代を知っているだけに、今のように何でもかんでも毛主席のカリスマ性に頼ってしまうような傾向には違和感を感じます。

 テレビドラマで中国共産党の歴史を描いた「歴史物」が続くのは、10月15日から始まる予定の党大会へ向けて雰囲気を盛り上げるためでしょうから、しかたがないと思います。ただ、現在は、1978年にトウ小平氏が始めた改革開放路線の延長線上にあるのですが、スタートしてから30年近くが経過して、驚異的な経済発展や一定の資産を持った「新社会階層」の増加などの「変化」が生じてきているのに、政策の方針の一部がその社会の「変化」とは逆のベクトル方向を向いているようにも見えるのが、と私としては気に掛かるところです。

(参考)このブログの2007年6月22日付け記事
「新しい社会階層の台頭」
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2007/06/post_6737.html

 「わざと逆ベクトルのような様子を見せて、全体としてバランスを取っているのだ」という考え方もありますが、このあたりの調整をどのように行っていくのかが、1か月後に迫った党大会の大きな課題なのだと思います。

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