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2007年6月23日 (土)

悪徳レンガ工場事件で山西省長が謝罪

 日本では、一度報道されたあと、あんまり続報が報道されていないようですが、6月15日に明らかになった、山西省での悪徳レンガ工場業者で、誘拐されたこどもや農民が奴隷のように強制労働させられていた事件については、中国の新聞では、この手の社会的事件にしてはかつてないほど、連日、激しく報道されています。「中央の関係当局が悪徳レンガ工場業者の摘発に動いていたその日、摘発を担当すべき山西省のある地方部局では、勤務時間中に職員がポーカーをやっていた。」などというどこかの国で聞いたような話が次々に暴露されて、悪徳業者を非難するよりも、「本気で取り締まる気のない地方政府はけしからん!」という声が盛り上がっています。

 このような中、6月22日(金)15時(北京時間)から、中央の関係部署と山西省長らによる「新聞通気会」(状況説明会)が開かれました。山西省の于幼軍省長(知事)は「(今回の事件に関しては)農民やこどもたちの合法的な権利を侵し、心身に被害を与え、国内外によくない政治的影響を与えたことに対し、省長として、そのとがめを逃れることはできず、深く心に痛みを感じており、ここに省政府を代表して、被害者及びそのご家族に対しお詫び申し上げる。また、全省の人民に対し、反省していることを申し上げる。」と述べました。これは、中国の地方政府代表としては、今までにない異例の発言だと思います。

 この発言は、今の時点での中国中央電視台のホームページ

http://www.cctv.com/default.shtml

のトップ・ニュースとして掲載されています。それだけ、内外の批判が強い、ということでしょう。ただ、この状況説明会は、中央の関係部署及び山西省側の一方的な説明だけで終了し、新聞記者からの質疑応答は受け付けずに終了しました。

 中国語でこういう言い方をするのが普通なのかどうかよく知りませんが、「新聞通気会」という言い方は私は始めて聞きました。普通、記者会見は「新聞発表会」と呼ばれます。中国語で言う「新聞発表会」は、日本語で言う「記者会見」なので、当然、ひととおりの説明の後、記者からの質疑応答があります。今回の会が「新聞通気会」と銘打っていたのは、最初から質疑応答をするつもりがなかったからでしょう。「通気会」は、文字通り読めば「ガス抜き会」ですが、これでは、新聞記者は大きな不満を抱くと思います。

 ということで、于幼軍省長は「新聞通気会」での自分の発言が終わった後、退席する際に記者に囲まれて質問攻めにされることになりました(日本のプレス用語でいう「ぶら下がり」)。この様子は、ネット版人民日報「人民網」が写真入りで伝えていますので御覧下さい。

「人民網」2007年6月22日16:13掲載
「于幼軍、本ネット記者の質問に答えた:『メディアによる山西省に対する監督は、引き続き歓迎する』」
http://politics.people.com.cn/GB/14562/5901564.html

 この記事で、「人民網」の記者が「今回の事件に対してネットが発揮した作用について、歓迎するのか、それとも反感を感じているのか。」と質問したのに対し、于幼軍省長は次のように応えています。「ネットで情報が流される前から、山西省は行動を開始しており、一定の成果を得ていた。しかし、関係部門が、メディアに適切なタイミングで情報を提供しなかったので、ネット閲覧者はこらの状況を把握できていなかった。このため、ネット上では不確実な伝聞に基づく情報が伝えられる余地があった。ネットに提供する情報については、我々は、現在、事実を確認してから情報を提供する姿勢を堅持している。一方、ネット上における各メディアの山西省に対する監督は、今後も継続して歓迎する。」

 「人民網」の記者の質問自体、なかなか鋭いし、写真で見る雰囲気も結構緊迫しています。本件については、中国のメディアは、かなり使命感に燃えて、対応しているように思います。

 こういった中国のメディアの盛り上がりは、私に1987年5月の黒竜江省大興安嶺森林火災のことを思い起こさせます。1987年のこの森林火災は、結果として、約1か月にわたって燃え続けた大森林火災で、延焼面積は約101万ヘクタール(岐阜県の面積に近い)、死者は193人に上りました。火災の原因が森林内での伐採機の油漏れや伐採労働者のタバコの火の不始末だったことから、地方政府が現場監督の怠慢を非難されるのを恐れて、現場サイドで処理しようと試み、中央へは「大したことはない。既に消火した。」と報告したり、中央から駆けつけた救援隊に対して「ここは管理区域なので、許可証を持っていない者には立ち入りは認めない」と言ったりしたことから、全国から大きな批判を浴びました。この時、経済日報などの記者は、率先して現場に入り、実情をレポートしました。当局も「地方政府の官僚主義は排除すべき」としてこれらの記者の行動を容認したため、記者たちは、積極的な活動を展開しました。これら新聞記者らによる「社会の問題点はきちんと調べて正すべき」という姿勢が、広く社会の雰囲気として広がっていき、翌々1989年の事態へとつながっていった、と私は思っています。

 1987年と今年2007年との違いは、今の中国が既に1989年の事態の再発が許されないほど世界経済の中で大きな位置を占めていることと、来年に北京オリンピックを控えている(従って中国政府はどう転んでもオリンピックが終わるまでは1989年の事態を再発させることができない)ということです。

 この20年の間、中国のメディアも、中国の人民も、中国政府も多くのことを学んできていると思います。だから、私は、今回は、今のこの中国のメディアの使命感に満ちた熱気を社会を安定的に前に進めるパワーに変えることができると信じています。

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