北京の住宅立ち退き問題で住民投票
中国では、今、都市部などで古い住宅を壊して新しいビルを建てるプロジェクトがものすごいスピードで進展していますが、ビルを建てようとする開発業者と立ち退きを求められる住民との間でのトラブルが絶えません。立ち退きに当たっては、一定の補償金が支払われますが、退職して年金で暮らしている高齢者などの中には、住み慣れた場所から出たくない、と思っている人も大勢います。収入が低く、補償金をもらっただけでは新しく住む場所を買ってそこに住み替えることが簡単にはできない人もいます。多くの人が移転に同意しても、少数の移転反対者が居座ってプロジェクトがストップし、先に移転に同意して既に住む家を取り壊された人が困ってしまった、という事態も起きています。
開発業者の中には、こういった移転反対の住民に対して、日本で言う「地上げ屋」を雇って移転反対者に対して強圧的な態度で臨むこともあります。住民側も防衛対策を取り、開発業者に雇われた「地上げ屋」と住民側が衝突し、負傷者が出る暴力事件も多発しています。
このあたりの話は、時々日本のマスコミでも報道されていますので、御存じの方も多いと思います。このような暴力事件の多発に対し、先日、北京のある新聞では「今、政府の執政能力が試されている」とまで書いていました。
こういった問題を解決するひとつの方策として、6月9日、北京市北東部にある酒仙橋地区で、中華人民共和国成立以来初めて、と言われる都市開発問題に関する住民投票が行われました。この住民投票は、老朽家屋を取り壊し都市開発を行う計画に関するひとつの対処案に対する賛否投票という形で行われました。結果は、5473戸の対象住民中、投票したのが3711戸(投票率67.8%)、投票の結果は対処案に賛成が2451票、反対が1228票、無効票が32票でした。投票総数のうち反対が66.0%、反対が32.6%で、住民投票の結果としては、対処案に従った移転賛成が多数を占めたのですが、この投票結果は、結構複雑なものとして受け取られました。というのは、投票しなかった人が3分の1いたために、賛成票を投じた人は、対象住民の44.8%に過ぎず、過半数に達しなかったからです。また、ブロックごとに賛否の割合が異なり、最低のブロックでは投票数の33%しか対処案に従った移転に賛成しませんでした。
アパートを借りて住んでいる人、平屋建てを借りて住んでいる人、持ち家の人などいろいろな立場の人がいるので、事情は複雑です。なお、そもそも中国の場合、土地の所有権は国にあり、住民が持っているのは「土地使用権」だけですので、「持ち家」とはなんぞや、というところが、日本とは異なることには留意が必要です。
この投票結果については、「そもそも設問が『対処案』に対する賛否だったため、移転には賛成だけれども『対処案』に示された条件ではイヤだ、という人も反対票を投じたので、住民投票の設問の設定の仕方がおかしかった」とか、「住民投票で大多数が移転に賛成したからと言って、それで少数者の権利を奪うわけにはいかない。だからこの問題はそもそも住民投票では解決できなかったのではないか」とか、いろいろな意見が新聞で論じられています。
6月13日付けの人民日報でも、この件について報じています。この開発計画は、北京市政府の許可を得て進められてきたものですが、この人民日報の報道では、12日に記者会見した北京市朝陽区酒仙橋街道事務所工事委員会副書記が次のように言っています。 「この投票結果は、住民の都市計画の条件に対する意見を表しているものであって、計画そのものに対する反対を示しているのではない。この種の要求は理解できるが、開発業者ができる対応策にも限界がある。住民と開発業者との間の最もよい『妥協点』を見い出すしかない。」
これに対して、この日の人民日報の記事は「このような『妥協点』とは、いったいどこにあるのだろうか?」という言葉で終わっています。
この手のプロジェクトにおいて、住民に立ち退いてもらう問題は、非常に難しい問題です。日本でも、過去に様々な場所で問題が起きました。この種の問題は、上記の議論のように、住民投票をすれば解決する問題ではありません。一方、現在の中国において、住民自らが自由な投票によって意思表示をする機会を与えられ、その投票結果が率直に報道された、ということ自体、極めて画期的だ、という見方もできます。
オリンピックを約1年ちょっと後に控え、各地で過熱気味の建設ラッシュが続き、バブル崩壊の懸念が高まる中、首都北京で、このような住民投票が行われ、各新聞、なかんずく中国共産党の最も権威ある機関誌たる人民日報までもが大きな紙面を割いてこれを詳細に報道しているのはなぜでしょうか。そしてその人民日報の記事が「『妥協点』は、いったいどこにあるのだろうか?」と解決の方向が全く見えない形の終わり方をしていることをどう捉えたらよいのでしょうか。この点は、私もよくわかっていません。考えられるのは、以下の点です。
○本来は移転賛成が圧倒的多数を占め、その結果をもって少数の移転反対者を排除するつもりだったが、予想外に反対票が多過ぎた(賛成票が少な過ぎた)ので、当局は困惑している。
○そもそも、党中央としては「暴力的な『地上げ行為』で住民を追い出すのは不当だ。住民投票をはじめとして様々な手段で住民の意見を聞くべきだ」と開発業者に釘を刺すメッセージを一般国民向けに出すことにより、国民の間で高まっている党や政府に対する不満を柔らげる狙いがあった。
○そもそも、「多くの住民を平和的に納得させて移転計画を進めるのには非常に手間と時間が掛かるので、投資としてはそれほどメリットは大きくない」というメッセージを開発業者に向けて出すことにより、過熱気味の建設ラッシュへの投資に水を差す狙いがあった。
○そもそも、開発業者と住民との間の暴力事件が多発する中、「党や政府は何もしていない」との批判を避けるため、すぐに解決に結びつけることは難しいことはわかっていたが「住民投票」というこれまでにない新しい試みを実施し、問題解決に党も政府も努力している、という姿勢を見せる狙いがあった。
○そもそも、実社会の事態は複雑で「住民投票をすれば解決する」というわけにはいかない、という実例を広く知らしめることにより、政治の民主化(自由立候補及び自由投票による選挙)を求める一部の国民に対し、「今の中国ではまだ無理だ」ということを示す狙いがあった。
(参考)2007年6月13日付け人民日報記事「移転『票決』の道は難航」
http://society.people.com.cn/GB/1062/5856851.html
いずれにせよ、今回の老朽家屋を取り壊し都市開発を行う計画の対処案に対する住民投票は、現在の中国の社会における、ひとつの画期的なできごとだった、と私は思っています。
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